日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2015年 08月 18日

大聖人滅後、宗祖の遺命を守ることに精魂を込めた日興上人の心境が吐露された書【美作房御返事】


【美作房御返事】
■出筆時期:弘安七年(1284年)十月十八日 日興上人三十九歳 御作
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:本抄は、大聖人御遷化の二年後に日興上人から美作房日保に宛てられた書です。美作房は上総国興津の領主・佐久間重貞の子で、大聖人が生母梅菊の危篤で故郷・安房に帰られた時、重貞が大聖人の説法を聞き法華経に帰依したことで、翌年わずか七歳で得度し大聖人から日保の名を賜った。
本書は大聖人の三回忌法要がおこなわれた直後に記されておられ、この法要で五老僧が一人も身延の大聖人の墓に参詣しにこなかった事、また大聖人の墓を守るために作られた「墓所可守番帳事」(六老僧含め十八名の弟子が交代で墓所を守る取り決めで真筆が西山本門寺に現存)」が守られず、墓地の周辺が荒れ果てていることを痛む苦しい胸の内を率直に訴え、美作房に身延に見参するよう呼びかけておられます。また「安国論の事、御沙汰何様なるべく候らん」と記され、幕府執権が北条時宗から貞時に変わった時、日興上人が大聖人の意思を引き継ぎ「立正安国論」を幕府に献上したことを伺わせる記述も見受けられます。
さらに「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由、御遺言には承り候へども、不法の色も見えず候」記し、四年後の身延離山を予感させる記述も見られるが、この時点では地頭の波木井氏に謗法の兆候が無かったことを伺わせます。尚、波木井氏は弘安八年(1285年)に日興上人の呼びかけで六老僧の一人日向が身延に戻ってきてから日向の影響で念仏の道場建立するなど決定的な謗法を犯したため、ついに日興上人は身延離山に至ります。
■ご真筆:現存しておりません。

[美作房御返事 本文]
熊と申さしめんと欲し候の処、此の便宣候の間悦び入り候。 今年は聖人の御第三年に成らせ給い候いつるに身労なのめに候はば何方へも参り合せ進らせて、御仏事をも諸共に相たしなみ進らすべく候いつるに、所労と申 し、又一方ならざる御事と申し、何方にも参り合せ進らざず候いつる事、恐入り候上、歎き存じ候。 抑代も替りて候。

 聖人より後も三年は過ぎ行き候に、安国論の事、御沙汰何様なるべく候らん。鎌倉には定めて御さはぐり候らめども、是れは参りて此の度の御世間承らず候に、当今も身の術なきままはたらかず候へば仰せを蒙ることも候はず、万事暗暗と覚え候。 

 此の秋より随分寂日房と申し談じ候いて、御辺へ参らすべく候いつるに其れも叶わず候。何事よりも身延沢の御墓の荒はて候いて、 鹿かせきの蹄に親り縣らせ給い候事、目も当てられぬ事に候。 

 地頭の不法ならん時は我も住むまじき由、御遺言には承り候へども、不法の色も見えず候。
 其の上聖人は日本国中に我を待つ人無かりつるに、此の殿ばかりあり。然れば墓をせんにも国主用いん程は尚難くこそ有らんずれば、いかにも此の人の所領に臥すべき御状候いし事、日興の賜ってこそあそばされてこそ候いしか。

 是れは後代まで定めさせ給いて候を、彼には住せ給い候はぬ義を立て候はん。如何が有るべく候らん。所詮縦い地頭不法に候はば昵んで候なん。 争でか御墓をば捨て進らせ候はんとこそ覚え候。 師を捨つべからずと申す法門を立てながら、忽ちに本師を捨て奉り候はん事、大方世間の俗難に術なく覚え候。 此くの如き子細も如何がと承り度く候。波木井殿も見参に入り進らせかたらひ給い候。 如何が御計らい渡らせ給い候べき。委細の旨は越後公に申さしめ候い了んぬ。

 若し日興等が心を兼ねて知し食す事渡らせ給うべからず、其の様誓状を以て真実知者のほしく渡らせ給い候事、越前公に申させ候い畢んぬ。 波木井殿も同じ事におわしまし候。 さればとて老僧達の御事を愚かに思い進らせ候事は、法華経も御知見候へ。 
 地頭と申し某等と申し、努努無き事に候、 今も御不審免れ候へば悦び入り候の由、地頭も申され候。某等も存じ候。
 其の旨さこそ御存知わたらせ給い候らん。
 聞こしめして候へば、 白地に候様にて御墓へ御入堂候はん事苦しく候はじと覚え候。 当時こそ寒気の比にて候へば叶わず候とも、明年の二月の末三月のあわいに、 あたみ湯冶の次いでには如何が有るべく候らん。越後房の私文には苦しからず候、 委細に承り候はば先づ力付き候はんと波木井殿も仰せ候なり。 
いかにも御文には尽し難 く候て、併ら省略候い畢んぬ。恐恐謹言。
       
     弘安七年甲申十月十八日         僧 日興 判
     進上 美作公御房御返事

by johsei1129 | 2015-08-18 20:36 | 日興上人 | Comments(0)


<< 善き弟子を持つ時んば師弟仏果に...      観心本尊抄文段 下二 >>