2015年 08月 17日
【守護国家論】 ■出筆時期:正元元年(1259) 三十八歳御作。
■出筆場所:鎌倉松葉ヶ谷の草庵にて。 ■出筆の経緯:大聖人は正嘉元年八月二十三日の大地震、翌年八月の大風などの前代未聞の事象の原因を探るべく、駿河岩本実相寺の経蔵で一切経を読了・精査される。その後、一代聖教大意、一念三千理事、十如是事、一念三千法門など次々と述作していかれるが、その集大成ともゆうべき著作が、読み下し文で3万5千字以上に及ぶ本書「守護国家論」である。 大聖人は冒頭でこの書を著した目的を「中昔(ちゅうじゃく)・邪智の上人有つて末代の愚人の為に一切の宗義を破して選択集一巻を造る<中略>予・此の事を歎く間・一巻の書を造つて選択集謗法の縁起を顕わし、名づけて守護国家論と号す。願わくば一切の道俗、一時の世事を止めて永劫の善苗(ぜんびょう)を種えよ。今経論を以て邪正を直(ただ)す。信謗は仏説に任せ敢て自義を存する事無かれ」と記され、法然の「選択集」こそ最大の悪知識であると断じ、自ら本書の題号を「守護国家論」と号されておられる。 本文は自ら七門(章)に分けて明快に論じられておられる。その章建ては「一には如来の経教に於て権実二教を定むることを明し、二には正像末の興廃を明し、三には選択集の謗法の縁起を明し、四には謗法の者を対治すべき証文を出すことを明し、五には善知識並に真実の法には値い難きことを明し、六には法華・涅槃に依る行者の用心を明し、七には問に随つて答うることを明す」となっている。 尚、大聖人は翌年の文応元年七月十六日、本書を基盤として「立正安国論」を表し北条時頼に献上し国家諌暁を果たすことになる。 ■ご真筆:身延山久遠寺に存在したが明治八年の大火で焼失。 [守護国家論 本文] その一 夫れ以(おも)んみれば偶(たまたま)十方微塵の三悪の身を脱れて希(まれ)に閻浮日本の爪上(そうじょう)の生を受け、亦閻浮(えんぶ)日域・爪上の生を捨てて十方微塵・三悪の身を受けんこと疑い無き者なり。 然るに生を捨てて悪趣に堕つるの縁一に非ず。或は妻子眷属の哀憐に依り、或は殺生悪逆の重業に依り、或は国主と成つて民衆の歎きを知らざるに依り、或は法の邪正を知らざるに依り、或は悪師を信ずるに依る。 此の中に於ても世間の善悪は眼前に在り。愚人も之を弁うべし。仏法の邪正・師の善悪に於ては証果の聖人・尚之を知らず。況んや末代の凡夫に於ておや。 しかのみならず仏日・西山に隠れ、余光・東域を照してより已来(このかた)、四依の慧灯(えとう)は日に減じ、三蔵の法流は月に濁る。実教に迷える論師は真理の月に雲を副(そ)え、権経に執する訳者は実経の珠を砕きて権経の石と成す。何に況んや震旦の人師の宗義其の誤り無からんや。何に況んや日本辺土の末学誤りは多く、実は少き者か。随つて其の教を学する人数は竜鱗(りゅうりん)よりも多く、得道の者は麟角(りんかく)よりも希なり。或は権教に依るが故に・或は時機不相応の教に依るが故に・或は凡聖の教を弁えざるが故に・或は権実二教を弁えざるが故に・或は権教を実教と謂(おも)うに依るが故に・或は位の高下を知らざるが故に、凡夫の習い・仏法に就いて生死の業を増すこと其の縁・一に非ず。 中昔(なかむかし)・邪智の上人有つて末代の愚人の為に一切の宗義を破して選択集(せんちゃくしゅう)一巻を造る。名を鸞(らん)・綽(しゃく)・導の三師に仮つて一代を二門に分ち、実経を録して権経に入れ、法華真言の直道を閉じて浄土三部の隘路(あいろ)を開く。亦浄土三部の義にも順ぜずして権実の謗法を成し、永く四聖の種を断じて阿鼻の底に沈む可き僻見(びゃっけん)なり。 而るに世人之に順(したが)うこと譬えば大風の小樹の枝を吹くが如く、門弟此の人を重んずること天衆の帝釈を敬うに似たり。此の悪義を破らんが為に亦多くの書有り。所謂・浄土決義鈔・弾選択・摧邪輪等なり。此の書を造る人、皆碩徳の名一天に弥(はびこ)ると雖も、恐くは未だ選択集謗法の根源を顕わさず。故に還つて悪法の流布(るふ)を増す。譬えば盛んなる旱魃の時に小雨を降らせば草木弥(いよいよ)枯れ、兵者を打つ刻(みぎり)に弱兵を先んずれば強敵倍(ますます)力を得るが如し。 予・此の事を歎く間、一巻の書を造つて選択集謗法の縁起を顕わし、名づけて守護国家論と号す。願わくば一切の道俗、一時の世事を止めて永劫の善苗(ぜんびょう)を種えよ。今経論を以て邪正を直す。信謗は仏説に任せ敢へて自義を存する事無かれ。 分ちて七門と為す、一には如来の経教に於て権実二教を定むることを明し、二には正像末の興廃を明し、三には選択集の謗法の縁起を明し、四には謗法の者を対治すべき証文を出すことを明し、五には善知識並びに真実の法には値い難きことを明し、六には法華涅槃に依る行者の用心を明し、七には問に随つて答うることを明す。 大文の第一に如来の経教に於て権実二教を定むることを明すとは此れに於て四有り。 一には大部の経の次第を出して流類(るるい)を摂(せっ)することを明し、二には諸経の浅深を明し、三には大小乗を定むることを明し、四には且らく権を捨てて実に就くべきことを明す。 第一に大部の経の次第を出して流類を摂することを明さば、 問うて云く、仏最初に何なる経を説きたまうや。 答えて云く、華厳経なり。 問うて云く、其の証如何。 答えて云く、六十華厳経の離世間浄眼品に云く「是の如く我聞く。一時・仏・摩竭提(まかだ)国・寂滅道場に在つて始めて正覚を成ず」と。 法華経の序品に放光瑞の時、弥勒菩薩・十方世界の諸仏の五時の次第を見る時、文殊師利菩薩に問うて云く「又諸仏聖主師子の経典の微妙第一なることを演説し給うに其の声・清浄に柔軟の音を出だして諸の菩薩を教え給うこと無数億万なることを覩る」。 亦方便品に仏自ら初成道の時を説いて云く「我始め道場に坐し、樹を観じ亦経行す。乃至・爾の時に諸の梵王及び諸天帝釈・護世四天王及び大自在天並に余の諸の天衆・眷属百千万・恭敬(くぎょう)合掌し・礼して我に転法輪を請ずと」。 此等の説は法華経に華厳経の時を指す文なり。故に華厳経の第一に云く「毘沙門(びしゃもん)天王 略 月天子 略 日天子 略 釈提桓因(しゃくだいかんにん) 略 大梵 略 摩醯首羅(まけいしゅら)等 略」 已上。 涅槃経に華厳経の時を説いて云く「既に成道し已つて梵天・勧請(かんじょう)すらく、唯願わくば如来・当に衆生の為に広く甘露の門を開き給うべし乃至・梵王復(また)言く、世尊・一切衆生に凡そ三種有り。所謂・利根・中根・鈍根なり。利根は能く受く、唯願わくば為に説き給え。仏言く、梵王諦(あきらか)に聴け。我今当に一切衆生の為に甘露の門を開くべし」。 亦三十三に華厳経の時を説いて云く「十二部経・修多羅の中の微細の義を我先に已に諸の菩薩の為に説くが如し」。 此くの如き等の文は皆諸仏・世に出で給いて一切経の初めには必ず華厳経を説き給いし証文なり。 問うて云く、無量義経に云く「初めに四諦を説き、乃至・次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説く」。此くの如き文は般若経の後に華厳経を説くと相違如何。 答えて云く、浅深の次第なるか或は後分の華厳経なるか。法華経の方便品に一代の次第浅深を列ねて云く「余乗 華厳経なり 若は二 般若経なり 若は三 方等経なり 有ること無し」と此の意なり。 問うて云く、華厳経の次に何れの経を説き給うや。 答えて云く阿含経を説き給うなり。 問うて云く、何を以て之を知るや。 答えて云く、法華経の序品に華厳経の次の経を説いて云く「若し人・苦に遭うて老病死を厭うには為に涅槃を説く」 方便品に云く「即ち波羅奈(はらない)に趣き乃至・五比丘の為に説く」。 涅槃経に華厳経の次の経を定めて云く「即ち波羅奈国に於て正法輪を転じて中道を宣説す」。 此等の経文は華厳経より後に阿含経を説くなり。 問うて云く、阿含経の後に何れの経を説き給うや。 答えて云く、方等経なり。 問うて云く、何を以て之を知るや。 答えて云く、無量義経に云く「初に四諦を説き乃至・次に方等十二部経を説く」 涅槃経に云く「修多羅より方等を出す」。 問うて云く、方等とは天竺の語・此には大乗と云う。華厳・般若・法華・涅槃等は皆方等なり。何ぞ独り方等部に限り方等の名を立つるや。 答えて云く、実には華厳・般若・法華等皆方等なり。然りと雖も今方等部に於て別して方等の名を立つることは私の義に非ず。無量義経・涅槃経の文に顕然たり。阿含の証果は一向小乗なり。次に大乗を説く、方等より已後皆大乗と云うと雖も大乗の始なるが故に初に従つて方等部を方等と云うなり。例せば十八界の十半は色なりと雖も初に従つて色境の名を立つるが如し。 問うて云く、方等部の諸経の後に何れの経を説き給うや。 答えて云く、般若経なり。 問うて云く、何を以て之を知るや。 答えて云く、涅槃経に云く「方等より般若を出す」 問うて云く、般若経の後には何れの経を説き給うや。 答えて云く、無量義経なり。 問うて云く、何を以て之を知るや。 答えて云く、仁王経に云く「二十九年中」無量義経に云く「四十余年」 問うて云く、無量義経には般若経の後に華厳経を列ね、涅槃経には般若経の後に涅槃経を列ぬ。今の所立の次第は般若経の後に無量義経を列ぬる相違如何。 答えて云く、涅槃経第十四の文を見るに涅槃経已前の諸経を列ねて涅槃経に対して勝劣を論じ而も法華経を挙げず。第九の巻に於て法華経は涅槃経より已前なりと之を定め給う。法華経の序品を見るに無量義経は法華経の序分なり。無量義経には般若の次に華厳経を列ぬれども、華厳経を初時に遣れば般若経の後は無量義経なり。 問うて云く、無量義経の後に何れの経を説き給うや。 答えて、云く法華経を説き給うなり。 問うて云く何を以て之を知るや。 答えて云く、法華経の序品に云く「諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名づくるを説き給う。仏此の経を説き已つて結跏趺坐(けっかふざ)し無量義処三昧(さんまい)に入る」 問うて云く、法華経の後に何れの経を説き給うや。 答えて云く、普賢経を説き給うなり。 問うて云く、何を以て之を知るや。 答えて云く、普賢経に云く「卻(かえっ)て後・三月、我当に般涅槃(はつねはん)すべし乃至・如来昔・耆闍崛山(ぎしゃくっせん)及び余の住処に於て已に広く一実の道を分別し今も此の処に於てす」 問うて云く、普賢経の後に何れの経を説き給うや。 答えて云く、涅槃経を説き給うなり。 問うて云く、何を以て之を知るや。 答えて云く、普賢経に云く「卻て後・三月我当に般涅槃すべし」 涅槃経三十に云く「如来何が故ぞ二月に涅槃し給うや。亦・如来は初生・出家・成道・転法輪皆八日を以てす何ぞ仏の涅槃独り十五日なるやと云う」と。 大部の経大概是くの如し。此より已外諸の大小乗経は次第不定なり。或は阿含経より已後に華厳経を説き、法華経より已後に方等般若を説く。皆義類を以て之を収めて一処に置くべし。 第二に諸経の浅深を明さば、 無量義経に云く「初に四諦を説き、阿含次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説き菩薩の歴劫修行を宣説す」亦云く「四十余年には未だ真実を顕わさず」又云く「無量義経は尊く過上無し」 此等の文の如くんば四十余年の諸経は無量義経に劣ること疑い無き者なり。 問うて云く、密厳経に云く「一切経の中に勝れたり」大雲経に云く「諸経の転輪聖王なり」金光明経に云く「諸経の中の王なり」と。此等の文を見るに諸大乗経の常の習ひなり。何ぞ一文を瞻(み)て無量義経は四十余年の諸経に勝ると云うや。 答えて云く、教主釈尊若し諸経に於て互ひに勝劣を説かずんば・大小乗の差別・権実の不同有るべからず。若し実に差別無きに互ひに差別浅深等を説かば、諍論の根源・悪業起罪の因縁なり。爾前の諸経の第一は縁に随つて不定なり。或は小乗の諸経に対して第一と、或は報身の寿を説くに諸経の第一なり、或は俗諦・真諦・中諦等を説くに第一なりと。一切の第一に非ず。今の無量義経の如きは四十余年の諸経に対して第一なり。 問うて云く、法華経と無量義経と何れが勝れたるや。 答えて云く、法華経勝れたり。 問うて云く、何を以て之を知るや。 答えて云く、無量義経には未だ二乗作仏と久遠実成とを明さず。故に法華経に嫌われて今説の中に入るなり。 問うて云く、法華経と涅槃経と何れが勝れたるや。 答えて云く、法華経勝るるなり。 問うて云く、何を以て之を知るや。 答えて云く、涅槃経に自ら如法華中等と説き更無所作と云う。法華経に当説を指して難信難解と云わざるが故なり。 問うて云く、涅槃経の文を見るに涅槃経已前をば皆邪見なりと云う如何。 答えて云く、法華経は如来出世の本懐なる故に「今者已満足」「今正是其時」「然善男子、我実成仏已来」等と説く。但し諸経の勝劣に於ては仏自ら「我所説経典無量千万億」なりと挙げ了つて「已説・今説・当説」等と説く時、多宝仏・地より涌現して皆是真実と定め、分身の諸仏は舌相を梵天に付け給う。是くの如く諸経と法華経との勝劣を定め了んぬ。此の外・釈迦一仏の所説なれば先後の諸経に対して法華経の勝劣を論ずべきに非ざるなり。故に涅槃経に諸経を嫌う中に法華経を入れず。法華経は諸経に勝るる由・之を顕わす故なり。
by johsei1129
| 2015-08-17 19:15
| 重要法門(十大部除く)
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