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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 08月 15日

開目抄愚記 下一七


一 
善無畏(ぜんむい)三蔵の閻魔(えんま)(せめ)云云

 大日経(しょ)第五、止私の二末十六。

一 後に心をひるがへし法華経に帰伏(きぶく)してこそ等

 是れ(すなわ)ち「(こん)()三界(さんがい)」の文を唱うるが故なり。御書三十巻(善無畏抄)、往いて見よ。

一 善無畏・不空(ふくう)等・法華経を両界の中央にをきて

 例文は釈書の十八・二十六。

一 弘法(こうぼう)も教相の時等

 真言宗に事相(じそう)・教相と云う事あり。教相とは十住心の(はい)(りゅう)の如く、経の(せん)(じん)沙汰(さた)する法門なり。事相とは(だん)に登り、本尊を(らい)し、鈴をふり、独鈷(どっこ)を握り、印を結び(まじない)(じゅ)する等なり。

一 (じっ)()(しん)()(えん)(ちょう)(こう)(じょう)

 釈書の第三、同第二終、同第三四。

一 三論の嘉祥(かじょう)乃至()()()()

 朝抄に云く「(およ)そ四家の大乗の異論は(もっぱ)()の事に()り。華厳(けごん)天台(てんだい)には三乗の外に仏乗を立てて四乗と配するなり。法相・三論は三乗の外に仏乗を立てざる所以(ゆえ)(ただ)三乗なり。故に第三の菩薩乗の(ほか)に仏乗(これ)無し。故に(ただ)二乗を破会(はえ)して菩薩を破会せず。故に会二(えに)()()と云うなり」と云云。啓蒙(けいもう)四・五十四に安然(あんねん)の自他宗諍論(じょうろん)の文を引く。朝抄(ちょうしょう)最も符合(ふごう)するなり。御書五・四二十五・四()いて見よ。

会二破二(えにはに)」の一乗とは、実に是れ菩薩乗なり。三一相対の一乗とは、即ち是れ仏乗なり。()(じょう)は四教の菩薩の不同を知らず、故に第三の菩薩乗は(ただ)是れ蔵通二教の(ぶん)(ざい)か。真言宗(また)(また)かくの如し。撰時抄の上四云云。

一 (ほう)(おん)(りん)・七巻・十二巻

 是れ()(おん)の述作なり。守護章の中の上十九往いて見よ。

一 一乗方便・三乗真実文。

 華厳玄談の五・八に云く「法相(ほっそう)宗の意の如きは、一乗を以て(ごん)()し、三乗を(じつ)と為す」と云云。

一 (げん)(さん)の第四には「故亦両存(こやくりょうぞん)

 此の文は鏡水所述の玄賛要集の第四に()でたり。(しか)るに彼の鏡水の文は、即ち()(おん)の意を述するが故に(ただ)ちに「玄賛」と云うなり。一乗要決の下四十八、啓蒙(けいもう)七・六十七に之を引く。其の中、要集の文に云く「(すなわ)ち知る、慈恩は一乗を縁と為すことを。然るに(もと)宗とする所の故に五性を(はら)わず、道理に順ずる故に永く一乗に背かず。此れに()って唱えて説を定むべからずと言う」と云云。

一 華厳(けごん)(ちょう)(かん)乃至法華を方便とかける等

  日朝は演義抄を引いて云く「法華は前の余経を(せっ)して華厳に帰す」と云云。是れ(しょう)(まつ)帰本(きほん)の相を判ずるなり。又云く「法華は仏知見を開きて法界に得入し、華厳と(ごう)()す」と云云。

一 彼の宗、(これ)を以て実と為す、此の宗の(りゅう)()・理通ぜざること無し等

  華厳疏抄(けごんしょしょう)二十・三十九に云く「法華の唯仏(ゆいぶつ)与仏(よぶつ)等、天台云く乃至(ないし)便(すなわ)ち三千世間を(じょう)ず、彼の宗(これ)を以て実と()す乃至一家の意、理として通ぜざること無し」略抄。()の「一家」と云うは即ち華厳を指す。故に今「()の宗」と云うなり。

一 善無畏(ぜんむい)・弘法も又かくのごとし

  是れ結文なり。


                 つづく
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by johsei1129 | 2015-08-15 17:30 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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