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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 08月 15日

開目抄愚記 下一六


一 「
心如工(しんにょく)画師(えし)の文の(たましい)とす

華厳疏抄(けごんしょしょう)十九の上四十七に云く「心は(たくみ)なる画師(えし)()く諸の世間を(えが)(ない)()心の如く仏も(また)(しか)なり。仏の如く衆生も(しか)り」と。(しょ)に云く「(まさ)に心と仏と衆生と性体(みな)無尽(むじん)と云うべし。妄体(もうたい)本真なるを以ての故に(また)無尽なり。是れを以て如来は性悪(しょうあく)を断ぜず、亦(なお)闡提(せんだい)は性善を断ぜざるがごとし」已上。一家不共(ふぐう)の性悪を書き入れたるは、即ち一念三千を盗みたる義なり。「如来は性悪(しょうあく)を断ぜず」とは、仏界に九界を()する故なり。「闡提(せんだい)は性善を断ぜざる」とは、九界に仏界を()する義なり。故に性善性悪の法門は(すなわ)ち一念三千の法門なり。又御書十二・三十三を()いて見よ。

 問う、天台も亦「心如工画師」の文を引き、以て千如(せんにょ)の妙境を立つるは如何(いかん)

答う、浄覚云く「今引用するは会入(えにゅう)の後に従って説くなり」と云云。

宗祖の云く「止観に外典(げてん)()(ぜん)(ひき)()せて候も、文をば()れども義をば(けず)捨つるなり」(取意)と云云。

一 「(色心)実相・我一切本初(ほんじょ)の文の(たましい)

 ()る本には「(しき)」の字無し云云。義釈一・四十一に云く「彼の言う諸法実相とは、即ち是れ()の経の心の実相なり」と云云。是れ迹門の理の一念三千を盗むなり。又義釈九・四十五に云く「我一切本初(ほんじょ)とは、本初は即ち是れ寿量の義なり」と云云。是れ本門の()の一念三千を盗むなり。

一 二乗(にじょう)作仏(さぶつ)・十界()()は一定・大日経にありや等

是れ分明(ふんみょう)難勢(なんぜい)なり。()六末六に云く「(あまね)法華()(ぜん)の諸経を尋ぬるに、実に二乗作仏の文(およ)び如来()(じょう)の本を明かすこと無し」云云。実無の両字之を思え。(しか)るに弘法(こうぼう)の雑問答十九に云く「上の()()延力(えんりき)は、大勢力(だいせいりき)を以て衆生を救う故に那羅延力と云う。次の大那羅延力は、是れ不共(ふぐう)の義なり。一闡提(いっせんだい)の人は必死(ひっし)の病、二乗定性(じょうしょう)已死(いし)の人は、余経の救う所に非ず、(ただ)此の秘密(ひみつ)神通(じんつう)の力のみ即ち()救療(くりょう)す。此の不共の力を(あらわ)さんが(ため)に大を以て之を(わか)つ」と已上。

(およ)そ大日経の中に、一切の声聞(しょうもん)(えん)(がく)と共にせずと説く。二乗を(へだ)つるの文ありと(いえど)も、実に二乗作仏の文無し。故に()いて同聞(どうもん)衆の大那(だいな)()延力(えんりき)の文を取って二乗作仏の義を(おぎな)わんと(ほっ)す。(まこと)珍義誑惑(おうわく)なり。況や「二乗定性已死(いし)の人は余経の救う所に非ず」と云云。(あに)法華の二乗作仏を隠没(おんもつ)する大謗法罪に非ずや。

一 新来(しんらい)の真言家

 一義に云く、此の文は(もと)弘法(こうぼう)を破し、今転用して無畏(むい)等を破す云云。一義に云く、此の文は元来(がんらい)無畏等を破するなり。(ただ)し「新」「旧」の言は是れ新訳(しんやく)旧訳(くやく)には非ず。華厳は新旧(とも)(さき)に来る故に「旧到(くとう)」と云い、真言教は最後に来る故に「新来」と云うなり。法報(ほっぽう)を分たず二三を弁ずること(なか)(ほっ)(しん)の説法等は(みな)前代筆受(ひつじゅ)の相承を(ほろ)ぼすとなり。

 今の所引は即ち本文の意に()(ごう)するなり。又今の前後に(じゅん)ずるに「旧到の華厳」等は同文の故に来るか、是れを思え。或は二宗に(わた)るか。後日、報恩抄愚記()に云うが如し。

一 ほのぼのと云ううた()

 古今(こきん)第九の()(りょ)の部に()でたり。有る人云く「柿本(かきのもとの)人麻呂(ひとまろ)が歌なり」云云。人麻呂の事は古今の序、本朝語園三初、啓蒙(けいもう)七・五十七、同三十六・百三十二、神社考の六・二十六、()いて見よ。

一 漢土(かんど)・日本の学者(また)かくのごとし

 蓮祖已(れんそい)(ぜん)伝教(でんぎょう)大師を除く自余(じよ)の学者は、皆俘囚体(えぞてい)の者なり。善無畏(ぜんむい)(たぼら)かされたるが故なり。

一 良諝(りょうしょ)和尚(わじょう)

 釈書三・二十四、統紀の八・三、中正の十六・五十二。

一 ()し法華経涅槃(ねはん)等の経に望むれば(これ)接引(じょういん)(もん)

()くの如く点ずるは最も可なり。


          つづく
開目抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-08-15 17:29 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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