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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 28日

法華経を信ぜし人なれば、無一不成仏疑なきものなりと、説いた【破良観等御書】

【破良観等御書】
■出筆時期:建治二年(1276年)五十五歳 御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は前半と文末部分が欠けているため執筆年、及び対告衆は明示されておりませんが、文中の内容から建治二年に安房国・天津に住む光日房に与えられた御消息文と思われます。

 内容は初めに、釈尊に敵対し釈迦の教団の分裂を図った破和合僧の罪、また崖から岩を落として釈迦の指から血を流した出仏身血の罪、酔った象をけしかけ釈迦の弟子たちを踏み潰して殺害した殺阿羅漢の罪、これら三逆罪を犯した提婆達多と、法華経の行者日蓮並びに弟子・信徒を迫害した良観らの念仏・真言・禅宗・律の各宗派の僧侶の罪業は、提婆達多に超過し、無間地獄におちるであろうと示されておられます。

 また光日房の息子・故弥四郎について、武士として人を殺すような罪を犯したとしても、仏敵である提婆達多の三逆罪に比べれば小罪であるとしるし、「法華経を信ぜし人なれば、無一不成仏・疑ひなきものなり」と示し法華経を信仰してきたのであるから成仏は間違いないと、光日房を励まされておられます。
■ご真筆:現存しておりません。

[破良観等御書 本文]

 良観・道隆・悲願聖人等が極楽寺・建長寺・寿福寺・普門寺等を立てて叡山の円頓大戒を蔑如するが如し。此れは第一には破僧罪なり、二には仏の御身より血を出だす。今の念仏者等が教主釈尊の御入滅の二月十五日を・をさへとり、阿弥陀仏の日とさだめ、仏生日の八日をば薬師仏の日といゐ、一切の真言師が大日如来をたのみて教主釈尊は無明に迷える仏・我等が履(くつ)とりにも及ばず、結句は潅頂して釈迦仏の頭をふむ、禅宗の法師等は教外別伝とののしりて一切経をば・ほんぐ(反古)には・をとり・我等は仏に超過せりと云云。此は南印度の大慢ばら門がながれ、出仏身血の一分なり。
 第三に蓮花比丘尼を打ちころす。これ仏の養母にして阿羅漢なり。此れは阿闍世王の提婆達多をすてて仏につき給いし時、いかりをなして大火・胸をやきしかば・はらをすへかねて此の尼のゆきあひ候たりしを打ち殺せしなり。今の念仏者等が念仏と禅と律と真言とをせめられて・のぶるかたわなし、結句は檀那等をあひかたらひて日蓮が弟子を殺させ・予が頭(こうべ)等にきずをつけ・ざんそうをなして二度まで流罪、あわせて頚をきらせんと・くわだて、弟子等数十人をろうに申し入るるのみならず、かまくら内に火をつけて日蓮が弟子の所為(しょい)なりとふれまわして一人もなく失わんとせしが如し。
 而るに提婆達多が三逆罪は仏の御身より血をいだせども、爾前の仏・久遠実成の釈迦にはあらず。殺羅漢も爾前の羅漢・法華経の行者にはあらず。破和合僧も爾前小乗の戒なり、法華円頓の大戒の僧にもあらず。大地われて無間地獄に入りしかども法華経の三逆ならざれば・いた(甚)うも深くあらざりけるかのゆへに、提婆は法華経にして天王如来とならさせ給う。
 今の真言師・念仏者・禅・律等の人人・並びに此れを御帰依ある天子並びに将軍家・日本国の上下万人は法華経の強敵となる上、一乗の行者の大怨敵となりぬ。されば設い一切経を覚(さと)り・十方の仏に帰依し・一国の堂塔を建立し・一切衆生に慈悲を・をこすとも、衆流大海に入り・かんみ(鹹味)となり、衆鳥・須弥山に近ずきて同色となるがごとく、一切の大善変じて大悪となり、七福かへりて七難をこり、現在眼前には他国のせめきびしく、自身は兵(つわもの)にやぶられ、妻子は敵(かたき)にとられて後生には無間大城に堕つべし。
 此れをもん(以)てをもうに、故弥四郎殿は設い大罪なりとも提婆が逆にはすぐべからず、何に況んや小罪なり。法華経を信ぜし人なれば無一不成仏・疑ひなきものなり。
 疑って云く、今の真言師等を無間地獄と候は心へられぬ事なり。今の真言は源(もと)弘法大師・伝教大師・慈覚大師・智証大師、此の四大師のながれなり。此の人人・地獄に堕ち給はずば・今の真言師いかで堕ち候べき。
 答えて云く、地獄は一百三十六あり。一百三十五の地獄へは堕つる人雨のごとし、其の因やすきゆへなり。一の無間大城へは堕つる人かたし・五逆罪を造る人まれなるゆへなり。又仏前には五逆なし、但(ただし)殺父・殺母の二逆計りあり。又二逆の中にも仏前の殺父・殺母は決定として無間地獄へは堕ちがたし・畜生の二逆のごとし。而るに今日本国の人人は又一百三十五の地獄へはゆきがたし。日本国の人人・形はことなれども同じく法華経誹謗の輩なり。日本国異なれども同じく法華誹謗の者となる事は源・伝教より外の三大師の義より事をこれり。
 問うて云く、三大師の義如何。
 答えて云く、弘法等の三大師は其の義ことなれども同じく法華経誹謗は一同なり。所謂善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の法華経誹謗の邪義なり。
 問うて云く、三大師の地獄へ堕つる証拠如何。
 答えて云く、善無畏三蔵は漢土日本国の真言宗の元祖なり。彼の人すでに頓死して閻魔のせめにあへり。其のせめに値う事は他の失ならず、法華経は大日経に劣ると立てしゆへなり。而るを此の失を知らずして其の義をひろめたる慈覚・智証、地獄を脱るべしや。但し善無畏三蔵の閻魔のせめにあづかりし故をだにも・たづね・あきらめば、此の事自然に顕れぬべし。善無畏三蔵の鉄の縄七すぢつきたる事は大日経の疏に我とかかれて候上、日本醍醐の閻魔堂・相州鎌倉の閻魔堂にあらわせり。此れをもつて慈覚・智証等の失をば知るべし。
 問うて云く、法華経と大日の三部経の勝劣は経文如何。
 答えて曰く、法華経には諸経の中に於て最も其の上に在りと説かれて、此の法華経は一切経の頂上の法なりと云云。大日経七巻・金剛頂経三巻・蘇悉地経三巻・已上十三巻の内・法華経に勝ると申す経文は一句一偈もこれなし。但蘇悉地経計りにぞ三部の中に於て此の経を王と為すと申す文候。此れは大日の三部経の中の王なり。全く一代の諸経の中の大王にはあらず。例せば本朝の王を大王といふ・此れは日本国の内の大王なり、全く漢土・月支の諸王に勝れたる大王にはあらず。法華経は一代の一切経の中の王たるのみならず、三世十方の一切の諸仏の所説の中の大王なり。例せば大梵天王のごときんば諸の小王・転輪王・四天王・釈王・魔王等の一切の王に勝れたる大王なり。
 金剛頂経と申すは真言教の頂王、最勝王経と申すは外道・天仙等の経の中の大王、全く一切経の中の頂王にはあらず。法華経は一切経の頂上の宝珠なり。論師・人師をすてて専ら経文をくらべば・かくのごとし。而るを天台宗・出来の後、月氏よりわたれる経論並びに天竺・漢土にして立てたる宗宗の元祖等、修羅心を・さしはさめるかのゆへに・或は経論にわたくしの言をまじへて事を仏説によせ・或は事を月氏の経によせなんどして・私の筆をそへ・仏説のよしを称す。
 善無畏三蔵等は法華経と大日経との勝劣を定むるに理同事勝と云云。此れは仏意にはあらず。仏説のごとくならば大日経等は四十余年の内、四十余年の内にも華厳・般若等には及ぶべくもなし。但阿含・小乗経にすこし・いさてたる経なり。而るを慈覚大師等は此の義を弁えずして善無畏三蔵を重くをもうゆへに理同事勝の義を実義とをもえり。弘法大師は又此等には・にるべくもなき僻人(びゃくにん)なり。所謂法華経は大日経に劣るのみならず華厳経等にも・をとれり等云云。而(しかる)を此の邪義を人に信ぜさせんために或は大日如来より写瓶(しゃびょう)せりといゐ、或は我・まのあたり霊山にして・きけりといゐ、或は師の慧果和尚の我をほめし、或は三鈷をなげたりなんど申し種種の誑言(おうげん)をかまへたり。愚な者は今信をとる。又天台の真言師は慈覚大師を本とせり。叡山の三千人もこれを信ずる上・随って代代の賢王の御世に勅宣を下す。其の勅宣のせん(詮)は法華経と大日経とは同醍醐、譬へば鳥の両翼・人の左右の眼等云云。今の世の一切の真言師は此の義をすぎず。此等は螢火を日月に越ゆと・をもひ、蚯蚓(きゅういん)を花山より高しという義なり。
 其の上一切の真言師は潅頂(かんじょう)となづけて釈迦仏を直ちにかきて・しきまんだら(敷曼荼羅)となづけて弟子の足にふませ、或は法華経の仏は無明に迷える仏・人の中のいぞ(夷)のごとし、真言師が履(くつ)とりにも及ばずなんど・ふみ(文)につくれり。今の真言師は此の文を本疏(ほんじょ)となづけて日日・夜夜に談義して公家武家のいのりと・がうして・ををくの所領を知行し檀那をたぼらかす。事の心を案ずるに、彼の大慢ばら門がごとく・無垢(むく)論師にことならず。此等は現身に阿鼻の大火を招くべき人人なれども強敵のなければ・さてすぐるか。而りといへども其のしるし眼前にみへたり。慈覚と智証との門家等・闘諍ひまなく、弘法と聖覚が末孫が本寺と伝法院・叡山と薗城との相論は、修羅と修羅と猿と犬とのごとし。此等は慈覚の夢想に日をい(射)るとみ、弘法の現身妄語のすへか。仏・末代を記して云く、謗法の者は大地微塵よりも多く、正法の者は爪上の土よりすくなかるべし。仏語まことなるかなや、今日本国かの記にあたれり。
 予はかつしろしめされて候がごとく、幼少の時より学文に心をかけし上、大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て日本第一の智者となし給へ、十二のとしより此の願を立つ。其の所願に子細あり。今くはしく・のせがたし。
 其の後・先ず浄土宗・禅宗をきく。其の後・叡山・薗城・高野・京中・田舎等処処に修行して自他宗の法門をならひしかども・我が身の不審はれがたき上、本よりの願に諸宗何(いず)れの宗なりとも偏党執心あるべからず、いづれも仏説に証拠分明(ふんみょう)に道理現前ならんを用ゆべし。論師・訳者・人師等にはよるべからず、専ら経文を詮とせん。
 又法門によりては設い王のせめなりとも・はばかるべからず。何に況んや其の已下の人をや。父母・師兄等の教訓なりとも用ゆべからず。人の信・不信はしらず、ありのままに申すべしと誓状を立てしゆへに、三論宗の嘉祥・華厳宗の澄観・法相宗の慈恩等をば天台・妙楽・伝教等は無間地獄とせめたれども、真言宗の善無畏三蔵・弘法大師・慈覚・智証等の僻見(びゃっけん)は・いまだ・せむる人なし。善無畏・不空等の真言宗をすてて天台による事は妙楽大師の記の十の後序(こうじょ)、並びに伝教大師の依憑集(えひょうしゅう)にのせられたれども、いまだ・くはしからざればにや、慈覚・智証の謬悞(びゅうご)は出来せるかと強盛にせむるなり。

 かく申す程に年卅二・建長五年の春の比より念仏宗と禅宗と等をせめはじめて後に真言宗等をせむるほどに、念仏者等・始めにはあなづる。日蓮いかに・かしこくとも明円房・公胤(こういん)僧上・顕真座主等には・すぐべからず。彼の人人だにも・はじめは法然上人をなん(難)ぜしが・後にみな堕ちて或は上人の弟子となり・或は門家となる。日蓮は・かれがごとし、我つめん・我つめんとはやりし程に、いにしへの人人は但法然をなんじて善導・道綽等をせめず、又経の権実を・いわざりしかばこそ念仏者は・をご(憍)りけれ。今日蓮は善導・法然等をば無間地獄につきをとして専ら浄土の三部経を法華経に・をしあはせて・せむるゆへに、螢火(けいか)に日月・江河に大海のやうなる上、念仏は仏のしばらくの戯論(けろん)の法、実にこれをもつて生死を・はなれんとをもわば・大石を船に造り大海をわたり、大山をに(荷)なて嶮難を越ゆるがごとしと難ぜしかば・面(おもて)をむかうる念仏者なし。

 後には天台宗の人人を・かたらひて・どしうちにせんと・せしかども・それもかなはず。天台宗の人人も・せめられしかば在家出家の心ある人人・少少念仏と禅宗とをすつ。念仏者・禅宗・律僧等我が智力叶わざるゆへに・諸宗に入りあるきて種種の讒奏をなす。在家の人人は不審あるゆへに各各の持僧等、或は真言師、或は念仏者、或はふるき天台宗、或は禅宗、或は律僧等をわきにはさみて、或は日蓮が住処に向い、或はかしこへよぶ、而れども一言二言にはすぎず・迦旃延(かせんねん)が外道をせめしがごとく、徳慧菩薩が摩沓婆(まとうば)をつ(詰)めしがごとく・せめしゆへに其の力及ばず。人は智かしこき者すくなきかのゆへに結句は念仏者等をば・つめさせて・かなはぬところには・大名して・ものをぼへぬ侍ども、たのしくて先後も弁えぬ在家の徳人等・挙(こぞっ)て日蓮をあだするほどに、或は私に狼藉をいたして日蓮が・かたの者を打ち・或は所ををひ・或は地をたて・或はかんだうをなす事かずをしらず。上に奏すれども人の主となる人は・さすが戒力といゐ福田と申し・子細あるべきかとをもひて左右なく失にも・なされざりしかば、きりもの(権臣)ども・よりあひて・まちうど(町人)等をかたらひて・数万人の者をもつて夜中に・をしよせ失わんとせしほどに、十羅刹の御計らいにてやありけん、日蓮其の難を脱れしかば、両国の吏・心をあわせたる事なれば、殺されぬを・とがにして伊豆の国へながされぬ。最明寺殿計りこそ子細あるかとをもわれて・いそぎゆるされぬ。

 さりし程に最明寺入道殿・隠れさせ給いしかば・いかにも此の事あしくなりなんず。いそぎかくるべき世なりとは・をもひしかども、これにつけても法華経のかたうど方(人)・つよくせば、一定(いちじょう)事いで来たるならば身命を・すつるにてこそ・あらめと思い切りしかば、讒奏の人人いよいよ・かずをしらず。上下万人・皆父母のかたき・とわり(後妻)をみるがごとし。不軽菩薩の威音王仏のすへ(末)にすこしもたがう事なし。




by johsei1129 | 2019-10-28 22:13 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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