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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 08月 12日

観心本尊抄文段 上三一  其れ能(よ)く本尊を護(まも)る我等衆生は、即ち是れ無作の三身なり。故に「釈迦・多宝・十方の諸仏は我等が己心の仏界」と云うなり。


一 宝塔(ほうとう)品に云く等

此の下は次に無作(むさ)三身に約して親子一体を示すなり。当に知るべし、「()()く此の経法を(まも)ること有らん者」は即ち是れ観心なり。「我及び多宝、(もろもろ)の来りたまえる化仏」は即ち是れ本尊なり。「我」は是れ無作の報身、「多宝」は是れ無作の(ほっ)(しん)、「(ぎゅう)」は即ち境智冥合なり。「我に及ぶ多宝」は是れ境の智に(みょう)ずるなり。「我多宝に及ぶ」は是れ智の境に冥ずるなり。境智冥合すれば必ず慈悲(じひ)有り。慈悲即ち是れ無作の応身なり。故に「諸来化仏」と云うなり。其れ()く本尊を(まも)る我等衆生は、即ち是れ無作の三身なり。故に「釈迦・多宝・十方の諸仏は我等が()(しん)の仏界」と云うなり。故に我等、無作(むさ)(さん)(じん)の跡を紹継(しょうけい)して無作三身の功徳を受得し、即無作三身と顕る。故に「須臾(しゅゆ)も之を聞かば、即ち究竟(くきょう)することを得ん」と云うなり。

(いわ)く、須臾も本尊を受持すれば我等の当体(まった)是れ究竟()(まん)の無作三身なり。(たと)えば太子、三種の神器を受持すれば先帝の(あと)を紹継し、先帝統御(とうぎょ)の国々を受得して即ち帝王と顕るるが如し。(しか)れば則ち本尊も無作三身、我等も(また)無作三身、親も仏、子も仏、親も帝王、子も帝王、(あに)親子一体に(あら)ずや。

一 寿量品に云く、然るに(われ)実に成仏してより已来(このかた)

此の下は三に久遠元初に約して君臣合体を示すなり。「我(じつ)成仏已来(いらい)」とは、今は通明(つうみょう)三身に約するなり。「我」は即ち無作の法身、「成仏」は即ち無作の報身、「已来(いらい)」は即ち無作の応身なり。

文に「我等が己心の釈尊は五百慶点乃至(ないし)所顕の三身にして無始の古仏」と云うは、

問う、云う所の「乃至」とは、是れ何物を指すや。

答う、蒙抄所引の恵抄の意は(のう)(けん)を以て「乃至」と云うなり。是れ(しょ)(けん)」の二字に望む故なり。是れに多種の能顕有り。一には本因(ほんにん)(みょう)は能顕、本果妙は(しょ)(けん)なり。二には報身は能顕、法身は所顕なり。三には折伏(しゃくぶく)の行は是れ能顕、衆生の仏種は所顕なり。四には妙法修行は能顕、()(しん)の妙法は所顕なり云云。是れ即ち忠抄の義なり。

(いわ)く、既に「五百慶点乃至(ないし)」と云う、故に是れ時に約するなり。(しか)も後より前に向かって「乃至」と云うなり。謂く「五百塵点」は即ち是れ久遠本果の時なり。「所顕の三身」は久遠名字(みょうじ)の時に在り。今久遠本果の時より久遠名字の時に向って其の中間(ちゅうげん)(ない)()するなり。即ち諸抄の「五百塵点の当初(そのかみ)」の文に同じきなり。故に今の「乃至」は即ち是れ諸抄の「当初(そのかみ)」の二字なり。

総勘文抄に云く「釈尊、五百塵点の当初、凡夫の御時、即座(そくざ)(かい)()し」(取意)等云云。

当体義抄に云く「釈尊五百慶点劫の当初、妙法の当体蓮華を証得(しょうとく)して」等云云。

秘法抄に云く「大覚(だいかく)()(そん)・久遠実成の当初証得の一念三千なり」等云云。此等の諸抄の「当初(そのかみ)」の二字、之を思い合すべし。

故に今の文意は、我等が己心の釈尊は五百塵点の当初、名字(みょうじ)凡夫(ぼんぷ)の御時、所顕の三身にして無始の古仏なり云云。是れ即ち久遠(くおん)元初(がんじょ)自受用(じじゅゆう)(しん)(ほう)中論(ちゅうろん)(さん)無作(むさ)三身なり。諸門流の(やから)此の無始の本仏を知らず、所以(ゆえ)に当文を(しょう)すること(あた)わざるなり。

御義口伝下十四に云く「()(ほっ)(しん)(ぶつ)は報身、(らい)は応身なり此の三身・無始無終の古仏(こぶつ)にして自得(じとく)なり、無上(むじょう)宝聚(ほうじゅ)不求(ふぐ)自得(じとく)之を思う可し」云云。

文に云う「我(もと)菩薩の道を行じて乃至我等が()(しん)の菩薩等」とは、

「我等が己心の釈尊」は即ち是れ種家の本果妙、無始(むし)の仏界なり。「我等が己心の菩薩界」は即ち是れ種家の本因(ほんにん)(みょう)、無始の九界なり。此の本因・本果の釈尊は我等が己心の主君なり。地涌(じゆ)千界(せんがい)の菩薩は己心の釈尊の眷属なり。常恒(じょうごう随逐して仏の行化を(たす)く。(たと)えば(しゅう)(こう)・太公等の如し。此の地涌千界の上行等は我等が()(しん)の菩薩界なり。君臣既に我等が一心に()、一心(あに)君臣を分たんや。故に君臣合体を示すと云うなり。

(まさ)に知るべし、前問の初めに三徳を()げて難を(もう)け、今は三徳に約して一体を示すなり。文体の首尾(しゅび)、常山の蛇の如し。古来の学者、此の意を(りょう)せず。宗祖の意に(そむ)き、後生(こうせい)をして迷わしむ。一に何ぞ(あやま)るや。


つづく
文段上 目次



by johsei1129 | 2015-08-12 15:07 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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