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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 08月 12日

観心本尊抄文段 上二八  爾前(にぜん)は所開・迹門は能開、迹門は所開・本門は能開、脱益(だっちゃく)は所開・下種は能開なり。


一 (しか)りと(いえど)(せん)ずる所は一念三千の仏種に(あら)ずんば乃至(ないし)有名(うみょう)無実(むじつ)なり

此の下は結文なり。

問う、一念三千を以て仏種と名づくる意は如何(いかん)

答う、種は是れ能生(のうしょう)の義なり。故に妙楽の記の第四に「種は生の義」と云うなり。(しか)れば今「一念三千」とは、即ち是れ文底(もんてい)秘沈(ひちん)本地(ほんち)難思(なんし)の境智の妙法の御事なり。此の本地難恩の境智の妙法蓮華経は()十方(じっぽう)三世の諸仏を生ず。故に「一念三千の仏種」と云うなり。即ち前に引く所の開結(かいけつ)二経の意なり。忠抄の仏種の義、(おそ)らくは是れ浮浅(ふせん)なり。

一 問うて日く、(かみ)の大難(いま)だ其の会通(えつう)を聞かず等

此の下は三に(まさ)しく受持(じゅじ)(そく)(かん)(じん)を明かすなり。文(わか)つに(また)二あり。初めに問、次に答、三と()す。初めに文を引き、次に「私に会通を加えば」の下は釈。三に「妙楽」の下は結文なり。

文に云く「未だ六波羅蜜(はらみつ)を修行する事を得ずと(いえど)も乃至自然(じねん)に在前す」等文。此の文の意は、因位の万行の妙法五字に具足(ぐそく)する義を(あらわ)すなり。故に妙法五字を受持する(とき)は因位の万行を修せずと雖も、義は之を修するに(あた)る、故に「自然に在前(ざいぜん)す」と云うなり。因位の万行(すで)(しか)り、果位の万徳も(また)(しか)なり。例せば大乗の因とは諸法実相、大乗の果とは(また)諸法実相の如し云云。故に下に「因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に()(そく)す」と云うなり。

文に云く「法華経に云く『具足(ぐそく)の道を開かんと欲す』」等云云。此の下の五文、(なら)びに妙法即ち是れ「具足」の義を顕すなり。(みょう)(らく)()一中四に云く「法華の前には(いま)(かつ)て権を開せざれば具足と名づけず」等云云。(まさ)に知るべし、()(ぜん)は所開・迹門は能開、迹門は所開・本門は能開、(だっ)(ちゃく)は所開・下種は能開なり。(いま)文底下種の本地(ほんち)難思(なんし)の境智の妙法を以て「具足」と名づくるなり。

一 私に会通(えつう)を加えば本文を(けが)すが如し等

此の下は釈、亦二と()す。初めに正釈、次に釈成。文に云く「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に()(そく)す」等とは「因行果徳の二法」と言うは、即ち(さき)に難ずる所の(ごん)(しゃく)(ほん)の教主釈尊の因行・果徳の二法なり。「妙法蓮華経の五字に具足す」と言うは、即ち(さき)に引く所の開結(かいけつ)二経の本地難思の境智の妙法なり。前に難ずる所の権迹本の因果の二法は即ち是れ所生(しょしょう)なり。前に引く所の本地難思の境智の妙法は即ち是れ能生(のうしょう)なり。所生は必ず能生に帰し、権は必ず実に帰し、(しゃく)は必ず本に帰し、脱は必ず種に帰す。故に()の釈尊の因行・果徳の二法は妙法五字に()(そく)す。故に「具足」と云うなり。

(げん)の第七・三一に云く「()し過去は最初所証の権実の法を名づけて本と()すなり。本証より已後(いご)、方便()()し、開三顕一し、発迹(ほっしゃく)顕本(けんぽん)するは(かえ)って最初を指して本と為す。中間(ちゅうげん)示現(じげん)の発迹顕本も(また)最初を指して本と為す。今日(こんにち)の発迹顕本も亦最初を指して本と為す。未来の発迹顕本も亦最初を指して本と為す。三世(すなわ)(こと)なれども毘盧(びる)遮那(しゃな)の一本は異らず、百千の枝葉(しよう)同じく一根に(おもむ)くが如し」等云云。此の文、正しく是れ()遠元(おんがん)(じょ)を本と為し、一根に(たと)う。本果已後(いご)(しゃく)に属し、以て枝葉に譬う。而して「百千の枝葉同じく一根に趣くが如し」と言う。(あに)権迹本の教主釈尊の因果の功徳、本地難思の境智の妙法に具足するに(あら)ずや。

問う、本地難思の境智の妙法は、即ち是れ十方(じっぽう)三世の諸仏の能生(のうしょう)の種子なり。故に十方三世の諸仏の因果の功徳も皆(ことごと)此の妙法五字に具足(ぐそく)すべし。何ぞ「釈尊の因行果徳」と云うや。

答う、実に所問の如し。一切諸仏の因位の万行、果位の万徳、皆(ことごと)此の妙法五字に具足するなり。故に本尊の功徳無量無辺にして(しか)も広大深遠の力用(りきゆう)を備えたまえり。(しか)るに(ただ)「釈尊」と云うは即ち是れ一を挙げて諸に例する故なり。例せば「是れ我が方便なり、諸仏も(また)(しか)なり」及び「諸仏如来は、法(みな)是くの如し」等の如し。


つづく 

文段上 目次



by johsei1129 | 2015-08-12 12:09 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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