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日蓮大聖人『御書』解説

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2024年 09月 21日

在在諸仏の土に常に師と倶に生れん、と説いた【最蓮房御返事】

【最蓮房御返事】
■出筆時期:文永九年(1272)四月十三日 五十一歳御作。
■出筆場所:佐渡・一の谷(さわ)入道の屋敷にて。
■出筆の経緯:本抄は当時大聖人と同様に佐渡に流罪になっていた天台宗の学僧・最蓮房に与えられたご消息文です。
最蓮房はこの年の一月十六日に行われた「塚原問答」での大聖人の振る舞いに心を動かされます。そして本文中で『貴辺に去る二月の比(ころ)より大事の法門を教へ奉りぬ。結句は卯月(うづき)八日夜半・寅(とら)の時に妙法の本円戒を以て受職潅頂(かんじょう)せしめ奉る者なり』と記されるおられるように、四月八日に大聖人より本門妙法の受戒をうけ日浄の名を賜っておられます。
本抄で大聖人は法華経・化城諭品第七をひいて「在在諸仏の土に常に師と倶に生れん」と記し、さらに「我等末法濁世に於て生を南閻浮提・大日本国にうけ、忝(かたじけな)くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ、心に信じ・身に持ち・手に翫(もてあそ)ぶ事、是れ偏に過去の宿習なるか」と、自らが末法の本仏であることを示唆するとともに、日蓮と最蓮房は過去世の深い宿習があってともに佐渡に流され再び今是に見(まみ)えたと師弟の契を示しておられます。
また文末では「余りにうれしく候へば契約一つ申し候はん<中略>日蓮先立つてゆり候いて鎌倉へ帰り候はば、貴辺をも天に申して古京へ帰し奉る可く候」と、最蓮房を励ましておられます。事実、大聖人が翌翌年の文永十一年三月八日に赦免状が佐渡に届き、同月二十五日に鎌倉に帰還されますが最蓮房も翌年佐渡流罪を赦免されておられます。
■ご真筆: 現存しておりません。

[最蓮房御返事 本文]

 御礼の旨・委細承り候い畢(おわ)んぬ。都よりの種種の物・慥(たし)かに給び候い畢んぬ。鎌倉に候いし時こそ常にかかる物は見候いつれ、此の島に流罪せられし後は未だ見ず候。是れ体(てい)の物は辺土の小島にては・よによに目出度き事に思い候。

 御状に云く、去(いぬ)る二月の始めより御弟子となり帰伏仕り候上は・自今以後は人数(ひとかず)ならず候とも、御弟子の一分と思(おぼ)し食され候はば・恐悦(きょうえつ)に相存ず可く候云云。

 経の文には「在在諸仏の土に常に師と倶に生れん」とも或は「若し法師に親近(しんごん)せば速(すみや)かに菩薩の道を得ん。是の師に随順して学せば恒沙(ごうじゃ)の仏を見たてまつることを得ん」とも云へり。釈には「本(もと)此の仏に従つて初めて道心を発し、亦此の仏に従つて不退地に住せん」とも、或は云く「初め此の仏菩薩に従つて結縁し、還つて此の仏菩薩に於て成就す」とも云えり。此の経釈を案ずるに、過去無量劫より已来(このかた)師弟の契約有りしか、我等末法濁世に於て生を南閻浮提・大日本国にうけ、忝(かたじけな)くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ、心に信じ・身に持ち・手に翫(もてあそ)ぶ事、是れ偏(ひとえ)に過去の宿習なるか。

 予・日本の体を見るに、第六天の魔王・智者の身に入りて正師を邪師となし善師を悪師となす。に「悪鬼入其身(あっきにゅうごしん)」とは是なり。日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・我が身に入らんとするに、兼(かね)ての用心深ければ身によせつけず。故に天魔力及ばずして王臣を始めとして良観等の愚癡の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり。
 然るに今時は師に於て正師・邪師・善師・悪師の不同ある事を知つて邪悪の師を遠離し、正善の師に親近すべきなり。設(たと)い徳は四海に斉(あまね)く、智慧は日月に同じくとも、法華経を誹謗するの師をば悪師邪師と知つて是に親近すべからざる者なり。或る経に云く「若し誹謗の者には共住すべからず。若し親近し共住せば即ち阿鼻獄に趣(おもむ)かん」と禁(いまし)め給う是なり。いかに我が身は正直にして世間・出世の賢人の名をとらんと存ずれども、悪人に親近すれば自然に十度に二度・三度、其の教へに随ひ以て行くほどに終に悪人になるなり。釈に云く「若し人本(もと)悪無きも悪人に親近すれば後・必ず悪人と成り、悪名天下に遍(あまね)からん」云云。所詮其の邪悪の師とは今の世の法華誹謗の法師なり。涅槃経に云く「菩薩悪象等に於ては心に恐怖(くふ)すること無かれ、悪智識に於ては怖畏(ふい)の心を生ぜよ。悪象の為に殺されては三趣(しゅ)に至らず、悪友の為に殺さるれば必ず三趣に至らん」法華経に云く「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲(てんごく)」等云云。

 先先(さきざき)申し候如く、善無畏・金剛智・達磨・慧可・善導・法然・東寺の弘法・園城寺の智証・山門の慈覚・関東の良観等の諸師は今の「正直捨方便」の金言を読み候には「正直捨実教・但説方便教」と読み、或は「於諸経中(お・しょきょうちゅう)・最在其上(さいざいごじょう)」の経文をば「於諸経中・最在其下」と、或は「法華最第一」の経文をば「法華最第二・第三」等と読む。故に此等の法師原(ばら)を邪悪の師と申し候なり。

 さて正善の師と申すは釈尊の金言の如く、諸経は方便・法華は真実と正直に読むを申す可く候なり。華厳の七十七の入法界品・之を見る可し云云。法華経に云く「善知識は是れ大因縁なり。所謂化導して仏を見たてまつり、阿耨(あのく)菩提を発することを得せしむ」等云云。仏説の如きは正直に四味三教・小乗・権大乗の方便の諸経・念仏・真言・禅・律等の諸宗・並びに所依の経を捨て、但・唯以(ゆいい)一大事因縁の妙法蓮華経を説く師を正師善師とは申す可きなり。然るに日蓮末法の初めの五百年に生を日域に受け、如来の記文の如く三類の強敵を蒙(こうむ)り、種種の災難に相値つて身命を惜まずして南無妙法蓮華経と唱え候は、正師か邪師か能く能く御思惟・之有る可く候。

 上に挙ぐる所の諸宗の人人は、我こそ法華経の意を得て法華経を修行する者よと名乗り候へども、予(よ)が如く弘長には伊豆の国に流され、文永には佐渡嶋に流され、或は竜口の頚の座等・此の外種種の難・数を知らず。経文の如くならば予は正師なり善師なり、諸宗の学者は悉く邪師なり・悪師なりと覚(おぼ)し食し候へ。此の外・善悪二師を分別する経論の文等是れ広く候へども、兼て御存知の上は申すに及ばず候。

 只今の御文(ふみ)に自今(いまより)以後は日比(ごろ)の邪師を捨て、偏(ひとえ)に正師と憑(たの)むとの仰せは不審に覚へ候。我等が本師釈迦如来、法華経を説かんが為に出世ましませしには・他方の仏・菩薩等、来臨影響(ようごう)して釈尊の行化を助け給う。されば釈迦・多宝十方の諸仏等の御使ひとして来たって化を日域に示し給うにもやあるらん。経に云く「我於余国遣化人(が・およこく・けんげにん)・為其集聴法衆(い・ごしゅうちょう・ほうしゅ)・亦遣化随順不逆(やくけんげ・ずいじゅんふぎゃく)」此の経文に比丘と申すは貴辺の事なり。其の故は聞法信受・随順不逆・眼前なり、争(いかで)か之を疑い奉るべきや。設(たと)い又「在在諸仏土・常与師倶生」の人なりとも、三周の声聞の如く下種の後に・退大取小して五道・六道に沈輪し給いしが、成仏の期・来至して順次に得脱せしむべきゆへにや。念仏・真言等の邪法・邪師を捨てて日蓮が弟子となり給うらん、有り難き事なり。

 何(いず)れの辺に付いても予が如く諸宗の謗法を責め、彼等をして捨邪帰正せしめ給いて、順次に三仏・座を並べたもう常寂光土に詣(まい)りて・釈迦多宝の御宝前に於て、我等無始より已来(このかた)師弟の契約有りけるか・無かりけるか、又釈尊の御使ひとして来つて化し給へるか、さぞと仰せを蒙つてこそ・我が心にも知られ候はんずれ。何様にも・はげませ給へ・はげませ給へ。

 何となくとも貴辺に去る二月の比(ころ)より大事の法門を教へ奉りぬ。結句は卯月(うづき)八日・夜半・寅の時に妙法の本円戒を以て受職潅頂せしめ奉る者なり。此の受職を得るの人、争(いかで)か現在なりとも妙覚の仏を成ぜざらん。若し今生妙覚ならば後生・豈(あに)等覚等の因分ならんや。実に無始曠劫(こうごう)の契約・常与師倶生の理ならば、日蓮今度成仏せんに貴辺豈相離れて悪趣に堕在したもう可きや。如来の記文仏意の辺に於ては世・出世に就いて更に妄語無し。
 然るに法華経には「我が滅度の後に於て応(まさ)に斯(こ)の経を受持すべし。是の人仏道に於て決定(けつじょう)して疑ひ有ること無けん」或は「速為疾得(そくいしっとく)・無上仏道」等云云。此の記文・虚(むなし)くして我等が成仏今度虚言(そらごと)ならば、諸仏の御舌もきれ・多宝の塔も破れ落ち・二仏並座(びょうざ)は無間地獄の熱鉄の牀(ゆか)となり、方・実・寂の三土は地・餓・畜の三道と変じ候べし。争(いかで)か・さる事候べきや。あらたのもしや・たのもしや。是くの如く思いつづけ候へば我等は流人なれども身心共にうれしく候なり。

 大事の法門をば昼夜に沙汰(さた)し、成仏の理をば時時・刻刻にあぢはう。是くの如く過ぎ行き候へば、年月を送れども久(ひさし)からず、過ぐる時刻も程あらず。例せば釈迦・多宝の二仏、塔中に並座(びょうざ)して法華の妙理をうなづき合い給いし時、五十小劫・仏の神力の故に諸の大衆をして半日の如しと謂(おも)わしむと云いしが如くなり。劫初(こっしょ)より以来(このかた)、父母・主君等の御勘気を蒙(こうむ)り遠国の島に流罪せらるるの人・我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ。されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ、常寂光の都為(た)るべし。我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見、本有(ほんぬ)の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事・うれしとも申す計り無し・申す計り無し。

 余りにうれしく候へば契約一つ申し候はん。貴辺の御勘気・疾(と)く疾く許(ゆ)りさせ給いて都へ御上り候はば、日蓮も鎌倉殿は・ゆるさじと・の給(たま)ひ候とも諸天等に申して鎌倉に帰り、京都へ音信(おとずれ)申す可く候。又日蓮先立つてゆ(許)り候いて鎌倉へ帰り候はば、貴辺をも天に申して古京(こきょう)へ帰し奉る可く候。恐恐謹言。

四月十三日           日 蓮 花押

最蓮房御返事

 夕(ゆう)ざりは相構え相構えて御入り候へ。得受職人(とくじゅ・しょくにん)功徳法門・委細申し候はん。


 【妙法蓮華経 化城諭品第七】

  為無量億衆 説仏無上慧 
  各各坐法座 説是大乗経
  於仏宴寂後 宣揚助法化 
  一一沙弥等 所度諸衆生
  有六百万億 恒河沙等衆
  彼仏滅度後 是諸聞法者
  在在諸仏土 常与師倶生

 [和訳]

 無量億の衆生の為に、仏の無上の智慧を説かんと
 各々、法座に坐り、是の大乗経(法華経)を説き、
 仏が入滅された後に於いても (この法を)宣揚して衆生の教化を助け
 それぞれの沙弥等に 救われる諸々の衆生は
 六百万億の恒河(ガンジス川)の砂に等しい衆生があり、
 彼の仏の滅度の後、是の諸の法(法華経)を聞きし者は、
 此処・彼処の諸々の仏国土に、常に師と倶に生まるるなり。




by johsei1129 | 2024-09-21 10:53 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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