2015年 08月 02日
【富木尼御前御書】 ■出筆時期:建治二年(西暦1276年)三月二十七日 五十五歳御作。 ■出筆場所:身延山中 草庵にて。 ■出筆の経緯:本書は富木常忍の妻・富木尼に送られた書です。この頃富木常忍の母が亡くなり、常忍は大聖人に弔ってもらおうと下総から亡き母の遺骨を首にかけ、身延の草庵を訪れます(忘持経事)。その時常忍は大聖人に、妻が手厚く母の看病していたことと、妻も病気であることを伝えられ、大聖人は直ぐに本書を記します。最初に「をとこ(男)のしわざはめ(婦)のちからなり。いまときどののこれへ御わたりある事尼ごぜんの御力なり」と記し、常忍をはるばる身延まで送り出したのは貴方の力であると讃えられておられます。そして病について「かまえてさもと三年、はじめのごとくにきうじせさせ給へ」と記し、三年間は十分注意して灸治に専念しなさいと具体的に指導されておられます。さらに貴女は法華経の行者なのだから「非業の死」に会うことはなく「設い業病なりとも法華経の御力たのもし」と励まされておられます。 大聖人は本書では平仮名を多く使われておりますが、女性信徒には、わかりやすいように平仮名を多用した消息文が多いようです。これは釈尊が、当時の上流階級が使用するサンスクリットではなく、民衆が使用するマガダ語など、現地の日常語を使用して説法したことと同じ意味があります。ともに本仏としての慈悲の振る舞いであると感じ入ります。 尚、富木尼は富士郡重須の出身で、前夫と死別の後富木常忍と再婚します。また前夫との間に二男一女をもうけておりますが、その子息は六老僧の一人で佐渡で大聖人に常随給仕された日頂上人と、日興上人の弟子で、大聖人滅後、重須の初代学頭を任じられた日澄上人となります。富木尼はその後病状も回復し、常忍亡き後故郷富士郡に戻り、子息が日興上人の元で広布に励むのを見守りながら嘉元元年(1303)年十一月一日、法華経信仰を貫いた尊い生涯を終えられます。 ■ご真筆: 中山法華経寺所蔵。 ![]() [真筆箇所 第一紙本文:[真筆本文:下記緑字箇所] [富木尼御前御書 本文] [英語版] 鵞目一貫並びにつつひとつ給い候い了んぬ。
や(矢)のはしる事は弓のちから、くも(雲)のゆくことはりう(竜)のちから、をとこ(男)のしわざはめ(婦)のちからなり。いまときどの(土木殿)のこれへ御わたりある事尼ごぜんの御力なり。けぶり(煙)をみれば火をみる、あめ(雨)をみればりうをみる、をとこをみればめをみる。今ときどのにけさんつかまつれば尼ごぜんをみたてまつるとをぼう。 ときどのの御物がたり候は、このはわのなげきのなかに、りんずう(臨終)のよくをはせしと、尼がよくあたりかんびやうせし事のうれしさ、いつのよにわするべしともをぼえずとよろこばれ候なり。 なによりもをぼつかなき事は御所労なり。かまえてさもと三年はじめのごとくにきうじせさせ給へ、病なき人も無常まぬかれがたし、但しとしのはてにはあらず。法華経の行者なり非業の死にはあるべからずよも業病にては候はじ、設い業病なりとも法華経の御力たのもし、阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ陳臣は十五年の命をのべたり、尼ごぜん又法華経の行者なり御信心月のまさるがごとく・しをのみつがごとし。 いかでか病も失せ寿ものびざるべきと強盛にをぼしめし身を持し心に物をなげかざれ、なげき出来る時はゆきつしまの事だざひふの事かまくらの人人の天の楽・のごとにありしが、当時つくしへむかへばとどまるめこゆくをとこ、はなるるときはかわをはぐがごとくかをと・かをとをとりあわせ目と目とをあわせてなげきしが、次第にはなれてゆいのはま・いなぶらこしごえさかわはこねさか一日二日すぐるほどに、あゆみあゆみとをざかるあゆみをかわも山もへだて雲もへだつれば、うちそうものはなみだなりともなうものはなげきなり。 いかにかなしかるらむかくなげかんほどに、もうこのつわものせめきたらば山か海もいけとりか・ふねの内か・かうらいかにて・うきめにあはん。これ・ひとへに失もなくて日本国の一切衆生の父母となる法華経の行者日蓮をゆへもなく、或はのり或は打ち、或はこうじをわたし、ものにくるいしが十羅刹のせめをかほりてなれる事なり。 又又これより百千万億倍たへがたき事どもいで来るべし。不思議を目の前に御らんあるぞかし、我れ等は仏に疑いなしとをぼせば・なにのなげきか有るべき、きさきになりても・なにかせん天に生れても・ようしなし、竜女があとをつぎ摩訶波闍波提比丘尼のれちにつらなるべし、あらうれし・あらうれし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えさせ給へ、恐恐謹言。 三月二十七日 日 蓮 花押 尼ごぜんへ
by johsei1129
| 2015-08-02 22:02
| 富木常忍・尼御前
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