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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 09日

極楽寺良観の熱心な信者である父を大聖人に帰依させた池上兄弟を称えた書【兵衛志殿御書(親父入信御書)】

【兵衛志殿御書(親父入信御書) 】
■出筆時期:弘安元年(西暦1278年)九月九日 五十七歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は池上兄弟の弟、兵衛志宗長に与えられたご消息文です。池上兄弟の父康光は、幕府作事奉行(建築・土木事業の長)と言う要職についていましたが、念仏僧・極楽寺良観の熱心な信者で、良観を批判する大聖人に帰依する兄宗仲を、家督を継ぐ資格が無いという理由で前年(建治三年)の十一月、二度目の勘当をします。しかしその後兄弟の熱意にうたれついに大聖人に帰依します。

本抄で大聖人は「殿の御心賢くして日蓮がいさめを御もちゐ有りしゆへに、<中略>兄弟の御力にて親父を法華経に入れまいらせさせ給いぬる御計らい、偏に貴辺の御身にあり」と記され、勘当されても法華経信仰を貫いた兄宗仲と違い、法華経信仰を続けるべきか、はたまた父に従うべきか揺らいだ宗長を厳しく指導され、その結果父子ともども大聖人に帰依したことを「殿の御心賢くして日蓮がいさめを御もちゐ有りしゆへ」と讃えられておられます。

さらに文末では「教主釈尊の御使を二度までこうぢをわたし、弟子等をろうに入れ、或は殺し或は害し、或は所国をおひし故に、其の科必ず其の国国万民の身に一一にかかるべし。或は又白癩・黒癩・諸悪重病の人人おほかるべし、我が弟子等・此の由を存ぜさせ給へ」と記し、日蓮並びに弟子たちを弾圧した科は、必ず「還著於本人」の結果が出るので、その理由をよく知っておきなさいと指導されております。また追伸では「総じては我が一門の人人御覧有るべし、他人に聞かせ給うな」と記し、日蓮の弟子信徒以外の者が聞くと誤解する恐れがあるので、口外しないよう厳命されておられます。
■ご真筆: 東京都・池上本門寺所蔵。古写本:日興上人筆(北山本門寺所蔵)
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[真筆箇所本文:志殿と、とのとの御事ふしぎに候。
つねさまには代すえになり候へば聖人賢人もみなかくれ、ただざんじん・ねいじん・わざん・きよ]

[兵衛志殿御書(親父入信御書) 本文]

久しくうけ給わり候はねば・よくおぼつかなく候、何よりも・あはれに・ふしぎなる事は大夫志殿と殿との御事・不思議に候。
常さまには世末になり候へば聖人・賢人も皆かくれ・ただ・ざんじむ(讒人)・ねいじん(佞人)・わざん(和讒)・きよくり(曲理)の者のみこそ国には充満すべきと見へて候へば、喩えば水すくなくなれば池さはがしく、風ふけば大海しづかならず、代の末になり候へば、かんばち(旱魃)えきれい(疫癘)大雨大風ふきかさなり候へば、広き心も・せばくなり、道心ある人も邪見になるとこそ見へて候へ。

されば他人はさてをきぬ父母と夫妻と兄弟と諍う事、れつし(猟師)としか(鹿)と、ねことねずみと、たかときじとの如しと見へて候。

良観等の天魔の法師らが親父左衛門の大夫殿をすかし、わどのばら二人を失はんとせしに、殿の御心賢くして日蓮がいさめを御もちゐ有りしゆへに、二(ふたつ)のわ(輪)の車をたすけ、二(ふたつ)の足の人を・になへるが如く、二(ふたつ)の羽のとぶが如く、日月の一切衆生を助くるが如く、兄弟の御力にて親父を法華経に入れまいらせさせ給いぬる御計らい、偏に貴辺の御身にあり。

又真実の経の御ことはりを代(よ)末になりて仏法あながちに・みだれば、大聖人世に出ずべしと見へて候。喩へば松のしも(霜)の後(のち)に木の王と見へ、菊は草の後に仙草と見へて候。代のおさまれるには賢人見えず、代の乱れたるにこそ聖人愚人は顕れ候へ。

あはれ平の左衛門殿、さがみ殿の日蓮をだに用いられて候いしかば、すぎにし蒙古国の朝使(つかい)のくびは・よも切(きら)せまいらせ候はじ、くやしくおはすらなん。

人王八十一代安徳天皇と申す大王は、天台の座主・明雲等の真言師等・数百人かたらひて源の右将軍頼朝を調伏せしかば、還著於本人とて、明雲は義仲に切られぬ、安徳天皇は西海に沈み給う。人王八十二三四隠岐の法皇・阿波の院・佐渡の院・当今・已上四人・座主慈円僧正・御室・三井等の四十余人の高僧等をもて、平の将軍義時を調伏し給う程に、又還著於本人とて上の四王島島に放たれ給いき。

此の大悪法は弘法・慈覚・智証の三大師・法華経最第一の釈尊の金言を破りて、法華最第二・最第三・大日経最第一と読み給いし僻見を御信用有りて、今生には国と身とをほろぼし後生には無間地獄に堕ち給いぬ。

今度は又此の調伏三度なり、今我が弟子等死したらん人人は仏眼をもて是を見給うらん。命つれなくて生(いき)たらん眼(まなこ)に見よ。国主等は他国へ責めわたされ、調伏の人人は或は狂死(くるいじに)或は他国或は山林にかくるべし。

教主釈尊の御使を二度までこうぢ(街路)をわたし、弟子等をろう(牢)に入れ、或は殺し或は害し、或は所国をおひし故に、其の科(とが)必ず其の国国万民の身に一一にかかるべし。或は又白癩・黒癩・諸悪重病の人人おほかるべし、我が弟子等・此の由を存ぜさせ給へ。恐恐謹言。

九月九日          日 蓮 花 押

此の文(ふみ)は別しては兵衛の志殿へ、総じては我が一門の人人御覧有るべし、他人に聞かせ給うな。

by johsei1129 | 2019-11-09 17:41 | 池上兄弟 | Trackback | Comments(0)
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