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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 28日

開目抄愚記 下六  大疑の下には大悟(たいご)有り


一 日本の聖徳太子

此の下は二に例を引く(おのずか)ら二有り。初には師は(わか)くして弟子は()いたり、次に父は少くして子は老いたるとなり。今(ここ)に例を引くは、恐らく深意あらん。(いわ)く、本経文に父の少くして子の老いたるの(たとえ)を以て、師は(わか)くして弟子の老いたるを疑う。今初めの文は、(しょ)()の師は少く弟子老いたるを例顕(れいけん)し、次の文は(のう)()の父は少くして子老いたるを例顕するなり。

  問う、父少くして子老いたるの(たとえ)は発問の下に在り。何ぞ今、疑念の中に是れを明かすや。

  答う、(まさ)に之を言に発せんとするに、(あに)()ず心中に是れを念ぜざらんや。

一 六歳の太子等

  問う、註に釈書十五初を引いて「太子は()(たつ)二年(みずの)(とみ)正月(ついたち)()まる。同六年冬十月百済(くだら)国、仏の経論等を(みつ)ぐ」云云。「私に五歳の時なり」云云。

  答う、太子伝の上二に「()(たつ)元年(みずのえ)(たつ)正月朔に()まる」と云云。故に六歳の時なり。(いま)此の説に()るなり。啓蒙(けいもう)等も(しか)なり。亦百済の(にち)()を指して「()が弟子」ということは、太子十一歳の時なり。

一 外典()(申す)

  註に云く「(いま)だ出処を知らず」と云云。

一 されば()(ろく)菩薩()疑つて云く等

  此の下は次に発問、亦二あり。初に(まさ)しく明かし、次に「一切の菩薩」の下は、是れ一代第一の(うたがい)なることを示す、亦三と()す。初に(ひょう)、次に「無量義」の下は釈、三に「されば仏・此の疑」の下は結前生後云云。

一 此の(うたがい)・第一の疑なるべし等

  風大なれば波大なり。声大なれば(ひびき)大なり。疑第一なれば則ち(さとり)も亦第一なり。大疑の下には大悟(たいご)有りとは此の(いい)か。

一 歴劫(りゃっこう)(しつ)(じょう)

四十余年の「歴劫」と今の無量義の「疾成」となり。

一 耆婆(ぎば)月光(がっこう)に・をどされて等

  註(およ)び啓蒙の如し。又観経疏(かんぎょうしょ)二十三に云く「剣を(おさ)()を現じ、以て王の忿(いかり)(やす)む」等云云。此の文に(なお)明らかなり。

一 されば(かん)(ぎょう)(どく)(じゅ)せん人等文。

  (げん)()六・三十四に云云、()いて見よ。()二末三十四に云く「法華を除いて(ほか)()一切(いっさい)経には、(ただ)生々に悪を()して相(なや)()えり」等云云。玄の五七十一に云く「()(じょう)即ち(ごう)(どう)とは、悪は是れ善の(たすけ)なり。悪無ければ(また)善も無し乃至提婆(だいば)(だっ)()は是れ善知識なり、(あに)悪は即ち資成なるに非ずや」と云云。是れ今経には善悪(ぜんなく)不二(ふに)(ぎゃく)(そく)()(じゅん)(みょう)()を明かす故なり。


 つづく


開目抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-07-28 22:38 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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