一 日本の聖徳太子文
此の下は二に例を引く自ら二有り。初には師は少くして弟子は老いたり、次に父は少くして子は老いたるとなり。今此に例を引くは、恐らく深意あらん。謂く、本経文に父の少くして子の老いたるの譬を以て、師は少くして弟子の老いたるを疑う。今初めの文は、所譬の師は少く弟子老いたるを例顕し、次の文は能譬の父は少くして子老いたるを例顕するなり。
問う、父少くして子老いたるの譬は発問の下に在り。何ぞ今、疑念の中に是れを明かすや。
答う、将に之を言に発せんとするに、豈先ず心中に是れを念ぜざらんや。
一 六歳の太子等文。
問う、註に釈書十五初を引いて「太子は敏達二年癸巳正月朔に誕まる。同六年冬十月百済国、仏の経論等を貢ぐ」云云。「私に五歳の時なり」云云。
答う、太子伝の上二に「敏達元年壬辰正月朔に誕まる」と云云。故に六歳の時なり。今此の説に拠るなり。啓蒙等も爾なり。亦百済の日羅を指して「吾が弟子」ということは、太子十一歳の時なり。
一 外典の中等文。
註に云く「未だ出処を知らず」と云云。
一 されば弥勒菩薩等疑つて云く等文。
此の下は次に発問、亦二あり。初に正しく明かし、次に「一切の菩薩」の下は、是れ一代第一の疑なることを示す、亦三と為す。初に標、次に「無量義」の下は釈、三に「されば仏・此の疑」の下は結前生後云云。
一 此の疑・第一の疑なるべし等文。
風大なれば波大なり。声大なれば響大なり。疑第一なれば則ち悟も亦第一なり。大疑の下には大悟有りとは此の謂か。
一 歴劫・疾成等文。
四十余年の「歴劫」と今の無量義の「疾成」となり。
一 耆婆月光に・をどされて等文。
註及び啓蒙の如し。又観経疏二十三に云く「剣を按えて威を現じ、以て王の忿を息む」等云云。此の文に仍明らかなり。
一 されば観経を読誦せん人等文。
玄私の六・三十四に云云、往いて見よ。弘の二末三十四に云く「法華を除いて外の余の一切の経には、但生々に悪を為して相悩むと云えり」等云云。玄の五七十一に云く「資成即ち業道とは、悪は是れ善の資なり。悪無ければ亦善も無し乃至提婆達多は是れ善知識なり、豈悪は即ち資成なるに非ずや」と云云。是れ今経には善悪不二・逆即是順の妙旨を明かす故なり。
つづく
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