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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 24日

観心本尊抄文段 上一八  今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作の一念三千の生身の御仏なり。謹しんで文字及び木画と謂(おも)うこと勿れ


 第二段 一念三千は情・非情に(わた)ることを明かす


一 問うて(いわ)百界(ひゃっかい)千如(せんにょ)と一念三千と差別如何(いかん)

是れ(さき)大旨(たいし)を受けて、此の問を起すなり。此の下は次に一念三千は情、非情(ひじょう)(わた)るを明かす、二と()す。初めに通じて界如・三千の不同を明かし、次に「不審して」の下は別して非情の十如を明かす、二と為す。初めは問、次は答に三あり。初めに難信(なんしん)難解(なんげ)を明かし、次に「爾りと雖も」の下は道理を立て、三に「疑つて云く」の下は文証を引く、

初めの難信難解を明かすに亦二あり。初めに(ひょう)、次に「天台」の下は(しゃく)二あり。初めに列名(れつみょう)、次に「其の教」の下は釈、二あり。初めに教門の難信難解、次に(まさ)しく観門の難信難解を明かす。初めの教門の難信難解に亦三あり。初めに(ひょう)、次に「」の下は釈、三に「此れは教門」の下は結。

一 (しか)りと雖も木画(もくえ)の二像に於て乃至天台一家(いっけ)より出でたれども

(まさ)()くの如く点ずべきなり。此の下は内外(ないげ)(とも)に許すの事を引いて以て道理を立つるなり。(いわ)く、木画の像に於ては内外共に本尊と()す。その義に於ては天台一家より出でたりと雖も、()し草木の上に(しき)(しん)の因果を置かずんば本尊と(たの)み奉るも(やく)なし。(すで)に内外共に本尊と恃み奉る、故に知んぬ、色心の因果を()することを云云。(ここ)(すなわ)ち道理明らかなり。

一 疑つて(いわ)、草木国土の上の十(にょ)()の因果の二法等

此の下は三に三文を引いて(しょう)するなり。

文に云く「国土世間(また)十種の法を具す」とは、草木各相(こと)なるは如是相なり。草木(おのおの)改まらざるは如是(しょう)なり。草木の主質は如是体なり。草木の寒熱に()ゆるは如是力なり。草木の林に(しげ)り庭に(さか)うるは如是作なり。草木の花を()ぐむは如是因なり。草木の(つぼみ)(うるお)すは如是縁なり。草木の花を開くは如是果なり。草木の菓を結ぶは如是報なり。

一 (おのおの)一仏性・各一因果あり(えん)(りょう)()(そく)

是れ即ち性得の三因(さんいん)仏性なり。「(おのおの)一仏性」とは正因(しょういん)仏性なり。此の正因仏性即ち是れ一念三千なり。故に「各一因果」と云うなり。(いわ)く、因果とは即ち是れ十如是の因果の二法なり。実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土(しんど)、故に因果の二法即ち是れ一念三千なり。故に三千即中の辺を以て正因仏性と名づくるなり。

此の三千即中の正因仏性の(たい)に於て三千(そく)(くう)・三千(そく)()(ゆう)具足(ぐそく)するなり。三千即仮は即ち是れ縁因仏性、三千即空は即ち是れ(りょう)(いん)仏性なり。故に「縁了を具足す」と云うなり。()の五中十四に云く「三千即空性は了因なり。三千即仮性は縁因なり。三千即中性は正因なり」と云云。

問う、今此の下の答の大旨(たいし)如何(いかん)

答う、(およ)そ草木成仏とは、一往(いちおう)(じゅく)(だつ)に通ずと(いえど)も、実は是れ文底下種の法門なり。その故は宗祖云く(せん)ずる所は一念三千の仏種に(あら)ずんば有情(うじょう)の成仏・木画(もくえ)二像の本尊は有名(うみょう)無実(むじつ)なり」と。一念三千の法門は(ただ)法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈め給えるが故なり。末師の料簡(りょうけん)(しばら)く之を()く云云。

(つつし)んで諸御抄の意を案ずるに、草木成仏に略して二意あり。一には不改(ふかい)(ほん)()の成仏、二には木画(もくえ)二像の成仏なり。

初めの不改本位の成仏とは、(いわ)く、草木の全体、本有(ほんぬ)無作(むさ)の一念三千即自受(じじゅ)(ゆう)(しん)の覚体なり。

外十三・十四に草木成仏の口伝()に云く「『草にも木にも()る仏なり』云云、此の意は草にも木にも成り給ヘる寿量品の釈尊なり」云云。

又二十三・二十一に云く「(また)之を案ずるに草木の根本は本覚の如来(にょらい)本有(ほんぬ)常住の妙体なり」(新定一三五九)と云云。

総勘文抄に云く「春の時来りて風雨の縁に()いぬれば、心無き草木も皆(ことごと)()え出生して(はな)()き栄えて世に()気色(けしき)なり、秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば、草木(みな)悉く()成熟(じょうじゅく)して一切の有情を養育し、寿命を続き長養(じょうよう)(つい)に成仏の徳用(とくゆう)(あらわ)す」等云云。

(まさ)に知るべし、此の中に草木の体は是れ本覚の法身なり。その時節を(たが)えざる智慧は本覚の報身なり。有情を養育するは本覚の(おう)(じん)なり。故に不改本位の成仏と云うなり。

二に木画二像の草木成仏とは、(いわ)く、木画の二像に一念三千の仏種の魂魄(こんぱく)を入るるが故に、木画の全体生身(しょうしん)の仏なり。

二十八・十二四条金吾抄に云く「一念三千の法門と申すは三種の世間より()これり乃至第三の国土世間と申すは草木世間なり乃至五(しき)()()は草木なり画像(えぞう)是より起る、木と申すは木像是より出来(しゅったい)す、此の画像木像に魂魄(こんぱく)と申す(たましい)を入るる事は法華経の(ちから)なり、天台大師のさとりなり、()の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画像木像にて申せば草木成仏と申すなり」と云云。

文の中に「()の法門」とは即ち一念三千の法門なり。

亦三十一巻二十骨目抄に云く「三十一相の木画(もくえ)の像に法華経を印すれば木画二像の全体生身の仏なり、草木成仏といへるは是れなり」と云云。()此の意を得ば、答の大旨(おのずか)ら知るべし。

(また)(また)(まさ)に知るべし、若し草木成仏の両義を(あきら)むれば、則ち(いま)安置し奉る処の御本尊の全体、本有(ほんぬ)無作(むさ)の一念三千の生身の御仏なり。(つつし)んで文字及び木画と(おも)うこと(なか)れ云云。 


                     つづく

上巻 目次



by johsei1129 | 2015-07-24 23:35 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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