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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 23日

開目抄愚記 下三

  第二十九段 ()()出現を明かす

一 ()の上に地涌千界(せんがい)

 此の下は次に(ごん)()、亦二あり。初めに涌出(ゆじゅつ)、次に「弥勒()」の下は疑問。初めを亦二と()す。初めに総じて地涌を(たん)じ、二に「此の千世界」の下は別にして上首(じょうしゅ)を歎ずるなり。

一 ()(げん)文殊(もんじゅ)

 是れ今経の始終(しじゅう)の菩薩を()ぐるなり。

一 宝塔(ほうとう)品に来集(らいじゅう)る大菩薩

 是れ分身の仏に随って来集せる諸菩薩なり。

一 大日経等の金剛(こんごう)薩埵(さった)等の十六の大菩薩等

 「大日経等」の等の字は、金剛(こんごう)(ちょう)経を等取(とうしゅ)するなり。文意に云く、大日経の四菩薩は金剛頂経の十六の大菩薩等なりと。註には大日経の十九金剛の文を引くも、此の義(しか)らざるなり。啓蒙(けいもう)の義も亦不足なり。

一 獼猴(みこう)(むらが)中に等

 ()五二、()五上十八、甫註の十三二十四、仏蔵の第一巻。

一 山人(やまがつ)(げっ)(けい)

 山人は(あるい)(やま)(がつ)に作り、或は山賤(やまがつ)に作る。月卿は三位(さんみ)已上なり。四位已下は雲客(うんかく)なり。職原(しょくげん)抄に云く「天子を日に(たと)うる故に()(ぎょう)(げっ)(けい)と名づけ、殿(でん)上人(じょうびと)雲客(うんかく)と云うなり」(取意)。

 問う、本化・迹化、何の故に尊卑(そんぴ)有りや。

 答う、天台(てんだい)云く「法妙なるが故に人尊し」等云云。(みょう)(らく)の記の四の本四十一に云く「仏世すら(なお)(すなわ)ち人を以て法を(あらわ)す」等云云。故に知んぬ、法に勝劣(しょうれつ)ある故に人に尊卑有り。(いま)、人の尊卑を以て法の勝劣を顕すなり。

一 此の千世界等

 此の下は二に別して上首(じょうしゅ)(たん)ず。(まさ)に知るべし、上首に両重(りょうじゅう)有り。所謂(いわゆる)四大菩薩は是れ上首、六万恒沙(ごうしゃ)は是れ眷属(けんぞく)。六万恒沙(ごうしゃ)は是れ上首、無量千万億は是れ眷属なり。故に四大菩薩は上首の中の上首なり。

一 所謂(いわゆる)・上行等

 問う、当流の口伝に総体の地涌(じゆ)別体(べったい)の地涌と云う。証文は如何(いかん)

 答う、輔記(ふき)九・四に云く「上行は我を表し、無辺(むへん)(ぎょう)は常を表し、(じょう)(ぎょう)は浄を表し。安立(あんりゅう)(ぎょう)は楽を表す。有る時は一人に此の四義を具す。二死の表を出ずるを上行と名づけ、(だん)(じょう)(きわ)()ゆるを無辺行と称し、五重の()(るい)()ゆるを浄行を名づけ、道樹にして徳(まどか)なるを安立行と云う」と文。

文意は、二死の裏に没するは即ち是れ(くだ)る義なり。二死の表に()ずるは(あに)(のぼ)る義に(あら)ずや。二死の裏に没すれば、即ち是れ繋縛(けばく)不自在なり。二死の表に出ずれば、則ち解脱(げだつ)自在なり。故に上行は我を表するなり。断常を()えて(へん)(ざい)無きは即ち是れ中道常住なり。故に無辺行は常を表するなり。五重の()(るい)()ゆれば、即ち是れ清浄(しょうじょう)なり。故に(じょう)(ぎょう)は浄を表するなり。道場菩提樹下にして万億円満の故に安楽に成立す。故に安立(あんりゅう)(ぎょう)は楽を表するなり。此れは是れ別体の地涌なり。「或る時は一人に此の四義を()す」とは、即ち是れ総体の地涌なり。(まさ)に知るべし、在世は是れ別体の地涌なり、末法は是れ総体の地涌なり。故に「或る時」と云う。或る時と言うは、即ち末法を()す。是れ内鑒(ないがん)冷然(れいねん)の意なるのみ云云。(なお)人法の相伝有り云云。

 問う、又此の四菩薩は地水火風の四大という証文は如何(いかん)

 答う、台家(たいけ)の学者・尊舜の止観(しかん)見聞(けんもん)五に云く「地涌の四大士は即ち四大なり。地大は万物を育て、清水は(じん)()を洗い、火大は寒苦を防ぎ、涼風は()()の熱を(りょう)す。皆是れ本化の慈悲、本覚(ほんがく)の施す所なり」文。此の文の意、()(すべから)く是れを案ずべし。(あに)(ただ)我一人のみ能く救護(くご)を為す」に(あら)ずや。

  問う、四大菩薩を以て四大に配する(そう)は如何。

  答う、火は是れ空に(のぼ)る、故に上行は火大なり。風は(へん)(ざい)無し、故に無辺(むへん)(ぎょう)は風大なり。水は是れ清浄なり、故に(じょう)(ぎょう)は水大なり。地は是れ万物を安立(あんりゅう)す、故に安立行は地大なり。

  問う、四菩薩の行の字は如何(いかん)

  答う、御義の上巻終に云く「火は物を焼くを以て行とし、水は物を(きよ)むるを以て行とし、風は(じん)()を払うを以て行とし、大地は草木を長ずるを以て行とするなり、四菩薩の利益(りやく)是なり、四菩薩の行は不同なりと(いえど)も、(とも)に妙法蓮華経の修行なり」文。

  宗祖の十四・四十四に云く「地水火風空、(これ)則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり」等云云。

  又云く「此の良薬(ろうやく)を持たん女人等をば、此の四人の大菩薩・前後左右に(たち)そひて・此の女人たたせ給へば、此の大菩薩も立たせ給ふ。乃至此の女人・道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ」等云云。

  此等の文、()く是れを思うべし。

つづく


開目抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-07-23 22:22 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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