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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 13日

多宝塔中にして二仏並坐の時上行菩薩に譲り給いし題目の五字を日蓮粗広め申す也と説いた【煩悩即菩提御書】

【四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書)】
■出筆時期:文永九年(1272)五月二日 五十一歳御作。
■出筆場所:佐渡国 一谷の屋敷にて
■出筆の経緯:大聖人は本書を四条金吾送られた三か月前には佐渡の塚原で「開目抄」を書き上げ四条金吾の元に送られておられる。
本書は開目抄で説いた末法の本仏の内証を、より分かり易く記しておられる。文末では「若し然らば日蓮・法華経の法師なる事疑なきか、則ち如来にもにたるらん「行如来事」をも行ずるになりなん。多宝塔中にして二仏並坐の時・上行菩薩に譲り給いし題目の五字を日蓮粗ひろめ申すなり、此れ即ち上行菩薩の御使いか」と記し、内証は末法の本仏、外用は上行菩薩の再誕であると示しておられる。
■ご真筆: 現存していない。

[四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書) 本文]

日蓮が諸難について御とぶ(訪)らひ今に・はじめざる志ありがたく候、法華経の行者として・かかる大難にあひ候は・くやしくおもひ候はず、いかほど生をうけ死にあひ候とも是ほどの果報の生死は候はじ、又三悪・四趣にこそ候いつらめ、今は生死切断し仏果をうべき身となれば・よろこばしく候。

天台伝教等は迹門の理の一念三千の法門を弘め給うすら、なを怨嫉(おんしつ)の難にあひ給いぬ、日本にしては伝教より義真・円澄・慈覚等・相伝して弘め給ふ、第十八代の座主(ざす)・慈慧大師なり御弟子あまたあり、其の中に檀那・慧心・僧賀・禅瑜(ぜんゆ)等と申して四人まします、法門又二つに分れたり、檀那僧正は教を伝ふ、慧心僧都は観をまなぶ、されば教と観とは日月のごとし教はあさく観はふかしされば檀那の法門は・ひろくして・あさし、慧心の法門は・せばくして・ふかし。

今日蓮が弘通する法門は・せばきやうなれども・はなはだふかし、其の故は彼の天台・伝教等の所弘の法よりは一重立入りたる故なり、本門寿量品の三大事とは是なり、南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し、されども三世の諸仏の師範・十方薩埵(さった)の導師・一切衆生皆成仏道の指南にてましますなれば・ふかきなり。

経に云く「諸仏智慧(しょぶつちえ)・甚深無量(じんじんむりょう)」云云、此の経文に諸仏とは十方三世の一切の諸仏・真言宗の大日如来・浄土宗の阿弥陀・乃至諸宗・諸経の仏・菩薩・過去・未来・現在の総諸仏・現在の釈迦如来等を、諸仏と説き挙げて次に智慧といへり。此の智慧とは・なにものぞ諸法実相・十如果成の法体なり。其の法体とは又なにものぞ南無妙法蓮華経是なり、釈に云く「実相の深理・本有(ほんぬ)の妙法蓮華経」といへり、其の諸法実相と云うも釈迦多宝の二仏となら(習)うなり、諸法をば多宝に約し実相をば釈迦に約す、是れ又境智の二法なり多宝は境なり釈迦は智なり。

境智而二(きょうちにに)にして・しかも境智不二の内証なり、此等はゆゆしき大事の法門なり。悩即即菩提(ぼんのうそくぼだい)・生死即涅槃(しょうじそくねはん)と云うもこれなり。まさしく男女交会のとき南無妙法蓮華経と・となふるところを煩悩即菩提・生死即涅槃と云うなり。生死の当体不生不滅とさとるより外に生死即涅槃はなきなり、

普賢経に云く「煩悩(ぼんのう)を断ぜず五欲を離れず諸根を浄(きよ)むることを得て諸罪を滅除す」止観に云く「無明塵労(じんろう)は即是菩提(ぼだい)生死は即涅槃なり」寿量品に云く「毎(つね)に自ら是の念を作(な)す。何を以てか衆生をして無上道に入り、速(すみやか)に仏身を成就することを得せしめん」と、方便品に云く「世間の相常住なり」等は此の意なるべし、此くの如く法体と云うも全く余には非ずただ南無妙法蓮華経の事なり。かかる・いみじく・たうとき法華経を過去にてひざ(膝)のしたに・をきたてまつり、或はあな(蔑)づりくちひそ(顰蹙)み、或は信じ奉らず、或は法華経の法門をならうて一人をも教化し法命をつぐ人を悪心をもつて・とによせ・かくによせ・おこつ(謔弄)きわらひ、或は後生のつとめなれども先(まず)今生かなひがたければ・しばらく・さしをけなんどと無量にいひうとめ謗ぜしによ(依)つて今生に日蓮種種の大難にあうなり。

諸経の頂上たる御経をひき(低)くをき奉る故によりて、現世に又人にさ(下)げられ用いられざるなり。譬喩品に「人にしたしみつくとも人心(こころ)にいれて不便とおもふべからず」と説きたり、然るに貴辺法華経の行者となり結句大難にもあひ日蓮をもたすけ給う事、法師品の文に「遣化(けんげ)四衆・比丘比丘尼優婆塞優婆夷(うばそくうばい)」と説き給ふ、此の中の優婆塞とは貴辺の事にあらずんば・たれをかささむ、すでに法を聞いて信受して逆はざればなり不思議や不思議や。

若し然らば日蓮・法華経の法師なる事疑なきか、則ち如来にもに(似)たるらん「行如来事」をも行ずるになりなん。多宝塔中にして二仏並坐(びょうざ)の時・上行菩薩に譲り給いし題目の五字を日蓮粗(ほぼ)ひろめ申すなり、此れ即ち上行菩薩の御使いか。

貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈(あに)流通にあらずや、法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やす(休)みぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ、あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や法華経ゆへの名をや、女房にも此の由を云ひふくめて日月・両眼・さう(雙)のつばさ(翼)と調(ととの)ひ給へ、日月あらば冥途あるべきや両眼あらば三仏の顔貌(げんみょう)拝見疑なし、さうのつばさあらば寂光の宝刹(ほうせつ)へ飛ばん事・須臾(しゅゆ)刹那なるべし、委(くわ)しくは又又申べく候、恐恐謹言。

五月二日                     日 蓮 花押
四条金吾殿御返事

by johsei1129 | 2019-10-13 11:24 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
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