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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 09月 07日

妙法蓮華経とは一切衆生の仏性なり、仏性とは法性なりと説いた【聖愚問答抄 上】二

[聖愚問答抄 上 本文]その二


経教は西天より東土に洎(およ)ぼす時・訳者の意楽(いぎょう)に随つて経論の文不定なり、さて後秦の羅什(らじゅう)三蔵は我漢土の仏法を見るに多く梵本に違せり、我が訳する所の経若し誤りなくば我死して後・身は不浄なれば焼くると云えども舌計り焼けざらんと常に説法し給いしに、焼き奉る時・御身は皆骨となるといへども御舌計りは青蓮華の上に光明を放つて日輪を映奪(えいだつ)し給いき有り難き事なり、さてこそ殊更・彼の三蔵所訳の法華経は唐土にやすやすと弘まらせ給いしか、然れば延暦寺の根本大師・諸宗を責め給いしには法華を訳する三蔵は舌の焼けざる験(しるし)あり、汝等が依経は皆誤れりと破し給ふは是なり、涅槃(ねはん)経にも我が仏法は他国へ移らん時誤り多かるべしと説き給へば経文に設(たと)ひ法華経はいたずら事・釈尊をば無明に迷へる仏なりとありとも権教・実教・大乗・小乗・説時の前後・訳者能く能く尋ぬべし、所謂(いわゆる)老子・孔子は九思一言・三思一言・周公旦は食するに三度吐き沐(もく)するに三度にぎる、外典のあさき猶是くの如し況や内典の深義を習はん人をや、其の上此の義・経論に迹形(あとかた)もなし、人を毀り法を謗じては悪道に堕つべしとは弘法大師の釈なり、必ず地獄に堕んこと疑い無き者なり。

爰に愚人・茫然とほれ忽然となげひて良(やや)久しうして云く、此の大師は内外の明鏡・衆人の導師たり、徳行世に勝れ名誉普(あまね)く聞えて或は唐土より三鈷(こ)を八万余里の海上をなぐるに即日本に至り或は心経の旨をつづるに蘇生の族(やから)・途に彳(たたず)む、然れば此の人ただ人にあらず大聖権化の垂迹(すいじゃく)なり、仰いで信を取らんにはしかじ、聖人云く、予も始めは然なり但し仏道に入つて理非を勘へ見るに仏法の邪正は必ず得通自在にはよらず、是を以て仏は依法不依人と定め給へり前に示すが如し、彼の阿伽陀(あかだ)仙は恒河を片耳にただへて十二年・耆兎(ぎと)仙は一日の中に大海をすひほす張階は霧を吐き欒巴(らんぱ)は雲を吐く、然れども未だ仏法の是非を知らず因果の道理をも弁へず、異朝の法雲法師は講経勤修の砌(みぎり)に須臾(しゅゆ)に天華をふらせしかども妙楽大師は感応斯(か)くの如きも猶理に称(かな)わずとていまだ仏法をばしらずと破し給う、夫れ此の法華経と申すは已今当の三説を嫌つて已前の経をば未顕真実と打破り肩を並ぶる経をば今説の文を以てせめ已後の経をば当説の文を以て破る実に三説第一の経なり、第四の巻に云く「薬王今汝に告ぐ、我所説の経典而かも此の経の中に於て法華最第一なり」文、此の文の意は霊山会上(りょうぜんえじょう)に薬王菩薩と申せし菩薩に仏告げて云く始華厳より終涅槃経に至るまで無量無辺の経・恒河沙(ごうがしゃ)等の数多し其の中には今の法華経最第一と説かれたり、然るを弘法大師は一の字を三と読まれたり、同巻に云く「我仏道の為に無量の土に於て始より今に至るまで広く諸経を説く而も其の中に於て此の経第一なり」と、此の文の意は又釈尊無量の国土にして或は名字を替え或は年紀を不同になし種種の形を現して説く所の諸経の中には此の法華経を第一と定められたり、同き第五巻には最在其上(さいざいごじょう)と宣べて大日経・金剛頂経等の無量の経の頂に此の経は有るべしと説かれたるを弘法大師は最在其下(さいざいごげ)と謂(おも)へり、釈尊と弘法と法華経と宝鑰(ほうやく)とは実に以て相違せり、釈尊を捨て奉つて弘法に付くべきか、又弘法を捨てて釈尊に付奉るべきか。又経文に背いて人師の言に随ふべきか、人師の言を捨てて金言を仰ぐべきか、用捨心に有るべし。

 又第七の巻薬王品に十喩(ゆ)を挙げて教を歎ずるに第一は水の譬なり、江河を諸経に譬へ大海を法華に譬へたり、然るを大日経は勝れたり法華は劣れりと云う人は即大海は小河よりもすくなしと云わん人なり、然るに今の世の人は海の諸河に勝る事をば知るといへども法華経の第一なる事をば弁へず、第二は山の譬なり、衆山を諸経に譬へ須弥山(しゅみせん)を法華に譬へたり、須弥山は上下十六万八千由旬(ゆじゅん)の山なり、何れの山か肩を並ぶべき法華経を大日経に劣ると云う人は富士山は須弥山より大なりと云わん人なり、第三は星月の譬なり、諸経を星に譬へ法華経を月に譬ふ、月と星とは何れ勝りたりと思へるや、乃至次下には此の経も亦復是くの如し一切の如来の所説若しは菩薩の所説若しは声聞の所説諸の経法の中に最も為れ第一とて此の法華経は只釈尊一代の第一と説き給うのみにあらず、大日・及び薬師・阿弥陀等の諸仏・普賢文殊等の菩薩の一切の所説・諸経の中に此の法華経第一と説けり。

 されば若し此の経に勝りたりと云う経有らば外道天魔の説と知るべきなり、其の上・大日如来と云うは久遠実成の教主釈尊・四十二年・和光同塵(どうじん)して其の機に応ずる時・三身即一の如来暫(しばら)く毘盧遮那(びるしゃな)と示せり、是の故に開顕実相の前には釈迦の応化と見えたり、爰を以て普賢経には釈迦牟尼(むに)仏を毘盧遮那遍一切処と名け其の仏の住処を常寂光と名くと説けり、今法華経は十界互具・一念三千・三諦即是(たいそくぜ)・四土不二と談ず、其の上に一代聖教の骨髄たる二乗作仏・久遠実成は今経に限れり、汝語る所の大日経・金剛頂経等の三部の秘経に此等の大事ありや、善無畏・不空等・此等の大事の法門を盗み取つて己が経の眼目とせり、本経本論には迹形(あとかた)もなき誑惑(おうわく)なり、急ぎ急ぎ是を改むべし。

抑大日経とは四教含蔵して尽形寿戒(じんぎょうじゅかい)等を明せり、唐土の人師は天台所立の第三時・方等部の経なりと定めたる権教なり、あさまし・あさまし、汝実に道心あらば急いで先非を悔ゆべし、夫れ以(おもんみ)れば此の妙法蓮華経は一代の観門を一念にすべ十界の依正(えしょう)を三千につづめたり。

[聖愚問答抄 下 本文] その一に続く

by johsei1129 | 2019-09-07 22:13 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
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