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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 20日

観心本尊抄文段 上一七  大聖人は宗旨建立以後第二十七年に当って己心中の一大事、本門戒壇の本尊を顕わしたまえり


一 (ある)本に云く、一界に三種の世間を()

問う、両本の(こころ)如何(いかん)

答う、(とも)是れ一界は(のう)()、十如は(しょ)()、十如は能具、三世間は所具なり。若し()本の意は一界所具の十如の一々に(おのおの)三世間を具す。故に三十種世間と云うなり。若し異本の意は(しばら)く十如の中の一(にょ)()に約す。故に三種世間と云う。一を以て九に例する故に、現本の意と()いて(たが)わざるなり。

問う、両本(とも)に何ぞ十如を()げざるや。

答う、若し前後の(かい)(けん)を挙ぐれば、中間(ちゅうげん)の十如は(おのずか)(あらわ)るる故なり。解釈の巧妙(こうみょう)なること、学者見るべし。

一 問うて()く、(げん)()

 此の下は次に玄文並びに止観(しかん)(さき)の四に一念三千を明かさざることを示す、あり、初めに三千の名目(みょうもく)を明かさざることを示し、次に「疑つて曰く」の下は其の名目を明かさざるの相を示す。

 初めの文に(また)二あり。初めに玄文、次に止観。

 初めの玄文に二あり。初めに(なら)べて示し、次に引証。引証の文に「並に未だ一念三千と云わず」等と云うは、今に在っては(まさ)しく玄文を指して「並に」と云うなり。余は(ことごと)く文の如し。

一 疑つて()、玄義等

此の下は次にその名目を明かさざるの(そう)を示す、二と()す。初めに玄文並びに百界(ひゃっかい)千如(せんにょ)に限るを示し、次に「問うて曰く止観」の下は止観の前の六章は方便に属するを示す。

問う、初めの文の(こたえ)を欠く意如何(いかん)

答う、疑問即ち答なり。(すで)に百界千如に限る文を引く故なり。

  問う、次の文に止観の(さき)の四巻と云うに何ぞ止観の前の六章等と云うや。

  答う、文は是れ巻を()すと(いえど)も、意は前の六章を問う。十章抄に云く「大意より方便までの六重は前四巻に限る」云云。(いわん)(また)(ただ)巻を問えるをや。何ぞ第四の問に(ことな)らんや。況や(また)答の文に「()の故に前の六をば皆()(ぞく)す」と云えるをや。意に(いわ)く、(さき)の六章は既に是れ方便なり。何ぞ正観の一念三千を明かさん云云。

一 ()れ智者の弘法(ぐほう)三十年

  此の下は三に結歎(けったん)二と為す。初めに正しく本師を(たん)じ、次に(ちな)んで末学を破するなり。

初めの文意は、()れ智者大師は仏滅後千四百八十七年、(りょう)の武()の大同四年の誕生、十八歳出家、二十三歳南岳(なんがく)()い、三十歳(きん)(りょう)に至り、翌年瓦官(がかん)()()して玄義を講ず。(しか)(のち)、五十七歳、玉泉寺に於て止観を講ず。其の(のち)、六十歳の御入滅なり。故に玄義開講より御入滅に至るまで、正しく是れ三十年なり。故に「智者の弘法(ぐほう)三十年」と云うなり。

文に云く「二十九年の間は玄文等の諸義を説いて」とは、啓蒙(けいもう)に云く「入滅の年を除き二十九年の間を玄・文等の弘法(ぐほう)に属するか。(あるい)は五十七歳の止観の説法を第三十年と為し、其の前を玄・文等の弘法(ぐぼう)に属するか」と云云。

(あん)じて云く、三十一歳玄義開講より五十七歳止観を説きたまう春に至るまで、正に是れ二十七年なり。故に「二十九年」とは恐らく(あやま)れり。(まさ)に「二十七年」に作るべし。字形相似(そうじ)の故に伝写(これ)を謬るか。

(いま)例文を考うるに、撰時抄の下に云く「玄奘(げんじょう)三蔵は六生を経て(がっ)()に入りて十九年」と云云。(もう)の十一に云く「月氏に入りて十九年とは、恐らくは(あやま)れり、御直書は十七年なり。語式の如し」等云云。(すで)に十七年を以て謬って十九年に作る。今(また)(しか)るべきか。()し御真筆に(たと)い二十九年と有りと雖も、(なお)是れ()(どう)凡夫(ぼんぷ)の故に不慮(ふりょ)の書き(あやま)りならんか。例せば(みょう)(らく)、証真に告ぐるが如し。(また)下の文の「諸論師の事章」の如きなり云云。また御書四十三第二・二十六、是れを見合(みあわ)すべし。

亦復(まさ)に知るべし、宗祖の弘法(ぐほう)亦三十年なり。三十二歳より六十一歳に至る故なり。而して(また)宗旨建立已後(いご)第二十七年に当って()(しん)(ちゅう)の一大事、本門戒壇の本尊を(あらわ)したまえり。学者(よろ)しく之を思い合わすべし。

一、天竺(てんじく)の大論(なお)其の(たぐい)(あら)

何ぞ(ただ)竜樹(りゅうじゅ)の大論に勝るるのみならん、(まさ)に天竺一切(いっさい)の大論師に勝るるなり。故に「天竺の論師(いま)だ述べざる」の文に同ずる義、最も(しか)るべきなり。

                 つづく
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by johsei1129 | 2015-07-20 19:10 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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