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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 20日

開目抄愚記 下二

一 釈迦・多宝坐を(なら)

 問う、何事を(ひょう)するや。

 答う、本地(ほんち)無作(むさ)の三身を表するなり。文の八・三十四に云く「境智(すで)に会すれば、則ち大報円満す。釈迦と多宝と同じく一座に座するが如し。大報円なるを以ての故に機に随って応を(いだ)。分身(みな)(あつ)まるが如し」文。「境智既に会すれば、則ち大報円満」とは、即ち是れ()(おん)元初(がんじょ)の自受用報身なり。自受用報身とは、境智冥合の真仏なり。境は是れ(ほっ)(しん)、智は是れ報身、境智冥合すれば則ち無縁の慈悲有り。(たと)えば(かん)(がい)相応(そうおう)すれば、則ち含蔵(ごんぞう)(ゆう)あるが如し。含蔵の用は即ち外の物に()す、故に機に随い応を出すなり。故に知んぬ、二仏並座(びょうざ)・分身来集(らいじゅう)は、即ち久遠元初の自受用、報中論三の無作三身を表するなり。此の無作(むさ)(さん)(じん)、末法に出現して主師親と(あら)るるなり。

 故に御義口伝下に云く「無作の三身とは末法の法華経の行者(ぎょうじゃ)なり」云云。末法の法華経の行者、(あに)蓮祖聖人に(あら)ずや。

 故に当抄の終りに云く「日蓮は日本国の諸人にしうし(主師)父母なり」等云云。()(しか)らば実に末法の主師親、無作三身を表するなり。

一 人天大会(だいえ)は星をつら()ね等

 問う、二仏を日月(にちがつ)(たと)え、()(しゅう)を星に譬うる所以(ゆえん)如何(いかん)

 答う、(いま)深く意を探るに、(まさ)に三義を含むべし。一には勝劣(しょうれつ)の義を顕す故に、二には一多の義を顕す故に、三には空に処する義を顕す故なり。経に云く「諸の大衆を(せっ)して、(みな)虚空(こくう)()きたまう」と云云。

 問う、時衆は空に処す、表する所は如何(いかん)

 答う、若し迹門の意は、開権(かいごん)の説を聞いて初めて寂光(じゃっこう)に入る、故に空に処するなり。若し本門の意は、顕本(けんぽん)の説を聞いて皆本地の娑婆(しゃば)即寂光に住する故なり。記の八本・四十七に「釈迦久しからずして本を(あらわ)し、(また)()ず空に()して以て(これ)を表す」と云云。即ち()の意なり。彼の下、啓運(けいうん)(しょう)に理の顕本に約するは恐らく不可なり。

一 分身(ふんじん)の諸仏は大地の上等

 問う、時衆(なお)空に居する、分身何ぞ地に処するや。

 答う、本尊抄に云く「迹仏(しゃくぶつ)迹土(しゃくど)を表する故なり」と云云。記の八本四十も之に同じ。

一 華厳(けごん)経の蓮華蔵(れんげぞう)

 此の下は次に今昔対弁、亦二有り。初めに昔を(えら)び、次に「是れ寿量品」の下は分身の()()を明かす。初めの昔を簡ぶに亦二有り。初めに別して釈し、次に総じて結す。

一 十方(じっぽう)此土(しど)の報仏・各各に国国等

 記の八本三十四に云く「彼の華厳経は(ただ)十方(たが)(しゅ)(はん)と為すと云うのみにして、(なお)伴は是れ仏の分身(ふんじん)と云わず。文中の諸品には(みな)諸の菩薩を集むと云いて、諸の仏を集むとは云わず」(取意)等云云。今即ち此の記文の意なり。

一 大日経・金剛(こんごう)(ちょう)経等

 大日経の八葉九尊、金剛頂経の三十七尊なり。(つぶさ)啓蒙(けいもう)(およ)び註中の如し。

 問う、御義口伝上巻に八葉九尊を明かして云く「東の方には阿閦(あしゅく)、南の葉には(ほう)(しょう)(ぶつ)、西の方には無量寿、北の方には不空(ふくう)成就仏」(新定二七四一)云云。是れ大日経の四仏に(あら)ずや、如何。

 答う、此れは是れ金剛頂の三十尊の中の四方の四仏なり。故に知んぬ、蓮師は両経の意を合して是れを(しゃく)するなり。

 問う、御義口伝に八葉九尊を引いて、以て当体蓮華を釈す。此の義如何(いかん)

 答う、啓運抄(けいうんしょう)第二・三十に云く「此の義は真言の心なり。当宗としては(これ)を用うべからず」云云。

 今(いわ)く、御義口伝の意は(ただ)是れ彼を借りて此れを(あらわ)すのみなり。五大院の菩提(ぼだい)(しん)()第一に云く「一切衆生の胸間の肉団(にくだん)()の形八分なり。此の八分を()て八葉の(はちす)と為す。上に九仏を開く」等云云。明匠(みょうしょう)口決(くけつ)第四・二十一に云云。御義口伝上に云く「此の胸の間なる八葉の蓮華を蓮華と名づけ、上なる九尊の体を妙法と云うなり。天台(てんだい)事相(じそう)とは()くの如く習うなり。是れ深秘(じんぴ)の法門なり。」(新定二七四一)等云云。(あに)彼を借りて此れを顕すに非ずや。録外二十三・四(新定二一三五)、又諫暁八幡抄二十七・二十四に云く「八葉は八幡(はちまん)・中台は教主釈尊なり」と云云。

一 総じて一切(いっさい)経の中に等

 此の下は総じて結するなり。

一 (是れ)()宝塔品(寿量品)()寿量品(遠序)の遠序なり

 此の下は二に分身(ふんじん)()()を明かすなり。

一 平等(びょうどう)意趣(いしゅ)

 「平等意趣」も亦四義を含む。

 一には字の平等、自他を仏と名づくること同じき故に。

 二には語の平等、微妙(みみょう)にして言語同じき故に。

 三には身の平等、色相(しきそう)荘厳(しょうごん)にして同じき故に。

 四には法の平等、諸仏の功徳同じき故に自他同じと云うなり。

 唱法華題目抄十一・四十四に云く「諸経には平等意趣をもつて他仏自仏と()なじと云えども、実には一仏に一切仏の功徳をおさ()めず今法華経は(乃至)十方世界の三身円満の諸仏をあつめて、皆釈迦一仏の分身と談ずる故に、一仏・一切仏にして妙法の二字に諸仏皆(おさ)まれり」文。

一 所化(しょけ)十方(じっぽう)充満(じゅうまん)

 啓運抄(けいうんしょう)三十一・九に「変化(へんげ)する所の分身(ふんじん)の仏なり」等云云。此の義は不可なり。(ただ)是れ所化(しょけ)の衆生なり。啓蒙(けいもう)の義は可なり。

一 分身(すで)に多し等

 玄の九・六十三に云く、此の次の文に云く「(はちす)て池に満つるの(たとえ)の如し」等云云。

           つづく


開目抄愚記下 目次



by johsei1129 | 2015-07-20 11:47 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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