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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 30日

母の骨は子の骨なり<中略>母と子と倶に霊山浄土へ参り給うべし、と称えた【光日上人御返事】

【光日上人御返事】
英語版
■出筆時期:弘安四年(1281)八月八日 六十歳御作。
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:光日上人は大聖人と同じ安房国・天津(あまつ)に住んでいた女性信徒で光日房と称されていた。光日房は子息の弥四郎が最初に大聖人様に帰依、その弥四郎の勧めで入信し、生涯大聖人に帰依し続けた強信徒であった。
 建治二年に、佐渡ご赦免から三度目の国家諌暁、身延入山までの本仏としての振舞を詳細に記した 「光日房御書」をはじめ、少なくとも四通の御書を送られていることが確認されている。
 本書では、亡くなった弥四郎の勧めで法華経を信じたのであるから、「子の肉は母の肉・母の骨は子の骨なり<中略>母と子と倶に霊山浄土へ参り給うべし」と励まされておられます。
■ご真筆:身延久遠寺に存在したが明治八年の大火で焼失。

[光日上人御返事 本文]

 法華経二の巻に云く「其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云。阿鼻地獄と申すは天竺の言(ことば)、唐土・日本には無間と申す。無間はひまなしとかけり。一百三十六の地獄の中に一百三十五はひま候。十二時の中にあつ(熱)けれども又すずしき事もあり、た(堪)へがたけれども又ゆるくなる時もあり。此の無間地獄と申すは十二時に一時(ひととき)・かた時も大苦ならざる事はなし、故に無間地獄と申す。此の地獄は此の我等が居て候大地の底、二万由旬をすぎて最下の処なり。
 此れ世間の法にもかろき物は上に、重き物は下にあり。大地の上には水あり、地よりも水かろし。水の上には火あり水よりも火かろし。火の上に風あり、火よりも風かろし。風の上に空あり、風よりも空かろし。人をも此の四大を以て造れり。悪人は風と火と先ず去り・地と水と留まる故に人死して後・重きは地獄へ堕つる相なり。善人は地と水と先ず去り・風火留まる。重き物は去りぬ・軽き物は留まる故に軽し、人天へ生まるる相なり。
 地獄の相重きが中の重きは無間地獄の相なり。彼の無間地獄は縦横二万由旬なり、八方は八万由旬なり。彼の地獄に堕つる人人は一人の身・大にして八万由旬なり。多人も又此くの如し。身のやはらかなる事綿(わた)の如し、火のこわ(強)き事は大風の焼亡の如し・鉄の火の如し。詮を取つて申さば我が身より火の出ずる事十三あり。
 二の火あり、足より出でて頂をとをる。又二の火あり、頂より出でて足をとほる。又二の火あり、背より入りて胸より出(い)ず。又二の火あり胸より入りて背へ出ず。又二の火あり、左の脇より入りて右の脇へ出ず。又二の火あり、右の脇より入りて左の脇へ出ず。亦一の火あり、首(かしら)より下に向いて雲の山を巻くが如くして下る。此の地獄の罪人の身は枯れたる草を焼くが如し。東西南北に走れども逃去(にげさる)所なし。他の苦は且らく之を置く、大火の一苦なり。此の大地獄の大苦を仏委(くわ)しく説き給うならば、我等衆生聞いて皆死すべし。故に仏委しくは説き給う事なしと見えて候。

 今日本国の四十五億八万九千六百五十八人の人人は皆此の地獄へ堕ちさせ給うべし。されども一人として堕つべしとはおぼさず。例せば此の弘安四年五月以前には、日本の上下万人一人も蒙古の責めにあふべしとも・おぼさざりしを、日本国に只(ただ)日蓮一人計りかかる事・此の国に出来すべしとしる。

 其の時・日本国の四十五億八万九千六百五十八人の一切衆生、一人もなく他国に責められさせ給いて、其の大苦は・譬へばほうろく(焙烙)と申す釜に水を入れて・ざつこ(雑魚)と申す小魚をあまた入れて、枯れたる・しば(柴)木をたかむが如くなるべしと申せば、あらおそろし・いまいまし、打ちはれ・所を追へ・流せ・殺せ・信ぜん人人をば田はたを・とれ、財(たから)を奪へ・所領をめせと申せしかども、此の五月よりは大蒙古の責めに値いてあきれ迷ふ程に・さもやと思う人人もあるやらん。にがにがしうして・せめたくはなけれども・有る事なればあたりたり・あたりたり、日蓮が申せし事はあたりたり、ばけ(化)物のもの申す様にこそ候めれ。

 去る承久の合戦に隠岐の法皇の御前にして・京の二位殿なんどと申せし何もしらぬ女房等の集りて王を勧め奉り、戦(いくさ)を起こして義時に責められ・あはて給いしが如し。今今御覧ぜよ、法華経誹謗の科(とが)と云ひ、日蓮をいやしみし罰と申し、経と仏と僧との三宝誹謗の大科によつて現生には此の国に修羅道を移し、後生には無間地獄へ行き給うべし。此れ又偏に弘法・慈覚・智証等の三大師の法華経誹謗の科と、達磨・善導・律僧等の一乗誹謗の科と、此れ等の人人を結構せさせ給う国主の科と、国を思ひ生処を忍びて兼て勘へ告げ示すを用いずして・還つて怨(あだ)をなす大科、先例を思へば呉王・夫差(ふさ)の伍子胥(ごししょ)が諌(いさめ)を用いずして越王・勾践(こうせん)にほろぼされ、殷の紂王が比干(ひかん)が言(ことば)をあなづりて周の武王に責められしが如し。

 而るに光日尼御前はいかなる宿習にて法華経をば御信用ありけるぞ。又故弥四郎殿が信じて候しかば・子の勧めか。此の功徳空しからざれば子と倶に霊山浄土へ参り合せ給わん事疑いなかるべし。烏竜(おりゅう)と云いし者は法華経を謗じて地獄に堕ちたりしかども・其の子に遺竜(いりゅう)と云いし者、法華経を書きて供養せしかば親・仏に成りぬ。又妙荘厳王は悪王なりしかども御子の浄蔵・浄眼に導かれて娑羅樹王仏(しゃらじゅ・おうぶつ)と成らせ給う。

 其の故は子の肉は母の肉、母の骨は子の骨なり。松栄(さかう)れば柏悦ぶ、芝か(枯)るれば蘭な(泣)く、情無き草木すら友の喜び・友の歎き一つなり。何に況んや親と子との契り、胎内に宿して九月を経て生み落し・数年まで養ひき。彼に・に(荷)なはれ・彼にとぶら(弔)はれんと思いしに彼をとぶらふ・うらめしさ、彼・如何(いかん)があらんと思うこころぐるしさ・いかにせん・いかにせん。
 子を思う金鳥は火の中に入りにき、子を思いし貧女は恒河(ごうが)に沈みき。彼の金鳥は今の弥勒菩薩なり、彼の河に沈みし女人は大梵天王と生まれ給えり。何に況んや今の光日上人は子を思うあまりに法華経の行者と成り給ふ。母と子と倶に霊山浄土へ参り給うべし。其の時の御対面、いかに・うれしかるべき、いかに・うれしかるべき。恐恐。

 八月八日            日 蓮 花押

 光日上人御返事




by johsei1129 | 2019-11-30 18:04 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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