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日蓮大聖人『御書』解説

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2022年 01月 12日

久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なりと説いた【船守弥三郎許御書】

【船守弥三郎許御書】 
■出筆時期:弘長元年(1261)六月二十七日 四十歳御作。
■出筆場所:伊豆・伊東 伊東八郎左衛門尉の屋敷にて。
■出筆の経緯:本書は弘長元年五月十二日伊豆流罪の時、移送されてきた船から出て苦しんでいた大聖人を見つけ救済した伊豆・伊東川奈の漁師「船守弥三郎夫妻」に送られたご消息文です。船守弥三郎夫妻は、伊東・地頭の伊東八郎左衛門尉の屋敷に移られるまで、30日以上に渡って夫妻で庇護されております。さらに本書冒頭に「ちまき(粽)・さけ(酒)・ほしひ(干飯)・さんせう(山椒)・かみ(紙)しなじな給候い畢んぬ」とあるように、移居されたあとも大聖人を非難する地元の目を盗んで、人づてに数々のご供養を続けられておられました。大聖人はこの夫妻の真心の志に対して、法華経寿量品を引いて「過去久遠五百塵点のそのかみ、唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり<中略>しからば夫婦二人は教主大覚世尊の生れかわり給いて日蓮をたすけ給うか」と称えられております。
■ご真筆:現存しておりません。
[船守弥三郎許御書本文]

 わざと使を以てちまき・さけ・ほしひ・さんせう・かみ・しなじな給候い畢んぬ、又つかひ申され候は・御かくさせ給へと申し上げ候へと。日蓮心得申すべく候。

 日蓮去(いぬ)る五月十二日流罪の時、その津につきて候しに、いまだ名をもききをよびまいらせず候ところに、船よりあがり・くるしみ候いきところに、ねんごろにあたらせ給い候し事はいかなる宿習なるらん。

 過去に法華経の行者にて、わたらせ給へるが、今末法にふなもりの弥三郎と生れかわりて日蓮をあわれみ給うか。

 たとひ男は・さもあるべきに、女房の身として食をあたへ、洗足(せんぞく)・てうづ(手水)、其の外(ほか)さも事ねんごろなる事、日蓮はしらず・不思議とも申すばかりなし。

 ことに三十日あまりありて内心に法華経を信じ、日蓮を供養し給う事、いかなる事のよしなるや。

 かかる地頭・万民、日蓮をにくみねだむ事・鎌倉よりもすぎたり。みるものは目をひき、きく人はあだむ。ことに五月のころなれば、米もとぼしかるらんに、日蓮を内内にて・はぐくみ給いしことは、日蓮が父母の伊豆の伊東かわなと云うところに生れかわり給うか。
 法華経第四に云く「及清信士女供養於法師」と云云。
 法華経を行ぜん者をば諸天善神等、或はをとこ・となり、或は女となり形をかへさまざまに供養してたすくべしと云う経文なり。弥三郎殿夫婦の士女と生れて日蓮法師を供養する事疑なし。さきにまいらせし文につぶさにかきて候し間、今はくはしからず。

 ことに当地頭の病悩について祈せい申すべきよし仰せ候し間、案にあつかひて候。然れども一分信仰の心を日蓮に出し給へば、法華経へそせう(訴訟)とこそをもひ候へ。此の時は十羅刹女もいかでか力をあわせ給はざるべきと思い候いて、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏並びに天照・八幡・大小の神祇等に申して候。定めて評議ありてぞ・しるしをばあらはし給はん、よも日蓮をば捨てさせ給はじ。いたきと・かゆきとの如くあてがわせ給はんと・をもひ候いしに・ついに病悩なをり、海中いろくづの中より出現の仏体を日蓮にたまわる事、此れ病悩のゆへなり。さだめて十羅刹女のせめなり。此の功徳も夫婦二人の功徳となるべし。

 我等衆生・無始よりこのかた生死海の中にありしが、法華経の行者となりて無始色心・本是理性・妙境妙智・金剛不滅の仏身とならん事、あにかの仏にかわるべきや。
 
 過去久遠・五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり。
 法華経の一念三千の法門・常住此説法のふるまいなり、かかるたうとき法華経と釈尊にてをはせども凡夫はしる事なし。寿量品に云く「顛倒(てんどう)の衆生をして・近しと雖も而も見えざらしむ」とはこれなり。迷悟の不同は沙羅(しゃら)の四見の如し、一念三千の仏と申すは法界の成仏と云う事にて候ぞ。
 雪山童子(せっせんどうじ)のまへにきたりし鬼神は帝釈の変作なり、尸毘王(しびおう)の所へにげ入りし鳩は昆首羯摩天(びしゅかつまてん)ぞかし、班足王の城へ入りし普明王は教主釈尊にてまします。肉眼はしらず・仏眼は此れをみる、虚空と大海とには魚鳥の飛行するあとあり。此等は経文にみえたり。木像即金色なり金色即木像なり、あぬるだが金(こがね)はうさぎとなり死人となる、釈摩男がたなごころには・いさご(沙)も金(こがね)となる。此等は思議すべからず。凡夫即仏なり・仏即凡夫なり・一念三千・我実成仏これなり。

 しからば夫婦二人は教主大覚世尊の生れかわり給いて日蓮をたすけ給うか。伊東とかわな(川奈)のみちのほどは・ちかく候へども心はとをし。後のためにふみをまいらせ候ぞ。人にかたらずして心得させ給へ。すこしも人しるならば御ため・あしかりぬべし。
 むねのうちに・をきて・かたり給う事なかれ・あなかしこ・あなかしこ。南無妙法蓮華経。
 弘長元年六月二十七日    日蓮花押
 船守弥三郎殿許へ之を遣わす 


【妙法蓮華経 如来寿量品 第十六】 
為度衆生故 方便現涅槃 
而実不滅度 常住此説法 
我常住於此 以諸神通力 
令顛倒衆生 雖近而不見 
衆見我滅度 広供養舎利 
咸皆懐恋慕 而生渇仰心 

 [和訳] 
(仏)衆生を救わんがための故に、方便として涅槃を現ずるも、
而して実には滅度せず、常に此処(娑婆世界)にあって法を説くなり。 
我は諸々の神通力を以て、常に此処に住する、 
顛倒(意識が転倒し愚かな)衆生は、(我)近くにいるも、しかも見ざらん。 
衆は我滅度を見て、広く舎利を供養し 
皆、咸(悉く)恋慕を懐いて、而して(仏)を渇仰する心を生ぜん。

   


by johsei1129 | 2022-01-12 08:54 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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