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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 18日

開目抄愚記 上四十

第二十六段 菩薩等について()(ぜん)無恩を明かす

一 (また)諸大菩薩等

 此の下は第二に菩薩等の守護なき(うたがい)を立つ、亦二と()す。初めに今昔(こんじゃく)の仏恩の(せん)(じん)を明かし、次に下巻十四の「されば諸経の諸仏」の下は意を結するなり。初文にまた二あり。初めに()(ぜん)の無恩を明かし、次に「仏・御年」の下は(まさ)しく法華の深恩を明かすなり。

一 ()(ぜん)(きょう)(ぎょう)にして等

 是れ爾前の記別は有名(うみょう)無実(むじつ)なることを明かすなり。(しばら)く三意有り。(いわ)く、爾前の記別は一には一往二乗に対する為に記別を授く、故に成仏の名は有りと(いえど)も、実義は無きなり。(なお)()が子を責めんと欲して、(しばら)隣家(りんか)の子を(たん)るが如し。隣家の子も(また)実には善人に(あら)ざるなり。二には一人出過の成仏にして十界(かい)(じょう)の成仏に非ず、故に成仏の名は有りと雖も、(しか)も実義は無きなり。三には過去の下種を明かさず、故に成仏と云うと雖も有名(うみょう)無実(むじつ)なり。

一 世尊(しょ)成道(じょうどう)

 初めに華厳(けごん)、次に三味は正釈(しょうしゃく)の結文云云。之を略す。

一 六十余の大菩薩

 十恵、十林、十(どう)、三十六蔵の菩薩、故に「六十余」というなり。若し新訳に准ずれば六十八の菩薩之有り。(せん)十・三、啓蒙(けいもう)六・四十九。

一 此等の大菩薩の所説の法門等

 問う、今経に(すで)に「即遣(そくけん)傍人(ぼうにん)」と云い、華厳の処処に皆「仏力(ぶつりき)故説(こせつ)」と云う。師弟の義に於ては何の(うたがい)か有らんや。

 答う、(いま)()()を論じて内証を論ぜず。既に此等の菩薩は(いま)開権(かいごん)開迹(かいしゃく)の法門を聞かず。故に実の()弟子(でし)に非ず。故に今化儀に寄せて以て此の義を(あらわ)すなり。

一 不思議解脱(げだつ)に住せる

 三徳秘蔵の妙理を(さと)るが故に「不思議解脱に住す」というなり。又(げん)六・五十九、啓蒙(けいもう)二十・二十、()いて見よ。

一 ()弟子(でし)は出()して候

 (しか)りと(いえど)も、真実の御弟子に(あら)ず。是れ(すなわ)権法(ごんぽう)のみを(ゆる)して、実法を(さず)けざる故なり。

一、蔵・通・二教は()・別・円の枝流(しりゅう)文。

 若し根源を知らば(あに)枝流に迷わんや。(いわん)や勝は劣を()ぬるをや。(あに)蔵・通を知らざるべけんや。

一 ()()不説(一字)

 一義に云く、先仏所説の(ほか)(われ)一字をも説かず。今引用の意は、四菩薩所説の外に我一字をも説かずとなりと。

一義に云く、止観(しかん)第五・七十二に楞伽(りょうが)第三を引いて自証(じしょう)法、本住(ほんじゅう)法の義に約して之を(しゃく)す。自証法とは、能証(のうしょう)の智修得なり。本住法とは、所証(しょしょう)の理(しょう)(とく)なり。並びに是れ()くべからざるなり。(われ)()(ぜん)に於て()くの如く如来自証の本法をば一字をも之を説かず、即ち法華の中に至って始めて之を説くなりと云云。

 今(いわ)く、初めの義、(もん)に応ずるなり。

                 つづく
開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-07-18 13:14 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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