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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 18日

開目抄愚記 上三九

一 阿闍(あじゃ)()王の(すい)(ぞう)を放ちし

  註に増一の四十七を引く。是れ()(おう)の難の中には(あら)ず。(しか)るに今之を()げたまう所以(ゆえん)は、(だっ)()が大石を(なげう)つと(いえど)も、如来を害すること(あた)わず、所以(ゆえ)に更に方便を(もう)け、(じゃ)(おう)(すす)めて酔象を放たしむ。この便を以ての故に、続いて之を引くなり。

  問う、(いか)んぞ九横の中に立てざるや。答う。

  問う、阿含(あごん)の意は、仏、象の来たるを見て、()を説いてこれを(くだ)す。涅槃(ねはん)経の意は、仏、()善根(ぜんこん)の力を以て手の五指より五師子を出して之を伏す云云。(あに)相違に非ずや。

  答う、(おのおの)一辺を挙ぐるなり。

一 阿耆(あぎ)()王の()(みゃく)文。

  問う、大論には阿耆(あぎ)(だっ)()()羅門(らもん)毘奈耶(びなや)には火授(かじゅ)(おう)胎教(たいきょう)には尸利崛(しりくつ)長者(ちょうじゃ)(きょう)(りつ)異相(いそう)には阿耆達多婆羅門王と云云。(あに)相違に(あら)ずや。

  答う、(あるい)は是れ梵音の賖促(しゃそく)ならんか。

一 無量の釈子(しゃくし)文。

  九千九百九十万人の釈子なり。

一 千万の眷属(けんぞく)

  註には増一の二十六、瑠璃(るり)殺釈(せっしゃく)の中を指す。最も便(びん)有るなり。啓蒙(けいもう)に云く「或は(じゃ)(おう)の酔象を主伴に配せんが(ため)に重ねて之を()ぐるか」と云云。

一 迦留陀(かるだ)()乃至目連(もくれん)

  問う、二聖はこれ法華受記の人なり、如何(いかん)

  答う、増一阿含の十八・十四に云く「(ただ)総報の悪を断じて別報(べっぽう)(とど)めざる故に(ごう)(つぐな)うなり」と文。

一 六師同心して等

  (じゃ)(おう)讒訴(ざんそ)は前に涅槃(ねはん)経を引く、(のく)(おう)に讒訴は北本涅槃経三十の五紙に出でたり。

一 (また)うちそうわざわいと

上は打ち()うの義なり。下は打ち()うの意なり。

一 ()の上大難等

 此の下は五に供養を制止することを明かす。前文十五已下。

一 (たす)けさせ給いしか

 「か」の字の清音は(かな)の義なり。清音に三義あり。一には哉の義、二には(うたがい)()、三には「ありたしか」なり。濁音に二義あり。前後移転の「が」句読連属の「が」なり。(つぶさ)語式の如し。

一 (しか)るに四十余年

 此の下は第二に今の授記(じゅき)を明かすなり。

一 一言一時に等文。

 「一言」は諸経に対し「一時」は四十余年(しじゅうよねん)に対するなり。

一 水すまば月・影等

 此の下は二乗の守護なき(うたがい)を立つる中の第二に意を結するなり。是れ(また)二と()す。初めには順結、次に「後五百歳」の下は反結なり。

一 (ごの)五百歳等

此の下は五義を()げて反結するなり。「後五百歳」は時に約し「広宣流布」は法に約す。故に一連の文なりと(いえど)も、分ちて二意と()すなり。禅宗・浄土は(ただ)れ謗者の一意なり。「仏前」の下は(また)諸天に約す。其の義は前の如し。

一 法華経を教内と(くだ)して等

  異本に「教外(きょうげ)と下して」等云云。


                          つづく
開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-07-18 03:31 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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