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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 17日

身延山中での窮状を救った南條時光の供養の志を称えた書【上野殿御返事(適時弘法事)】

【上野殿御返事(適時弘法事)】
■出筆時期:弘安二年(1279)十二月二十七日 五十八歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は年の瀬に、白米一だ(駄)を供養した南條時光(上野殿)の志を称えたご消息文です。大聖人は「一切の事は時による事に候か<中略>仏も世にいでさせ給いし事は法華経のためにて候いしかども、四十余年はとかせ給はず」と記し、「五尺のゆきふりて本よりも、かよわぬ山道ふさがり冬の身延」の状況で、貴方の白米一だ供養は「わづかの、ともしびにあぶらを入そへられたるがごとし」であると称えられております。
さらに大聖人は当時の苦しい暮らしぶりについて、熱原の法難に際して農民信徒を外護した働きぶりで信頼の厚い時光ゆえに、「一度にをもひ切つて、うへしなんと、あんじ切つて候いつる」と、実に率直に自身の思いを語っておられます。

■ご真筆:富士大石寺所蔵。古写本:日興筆(富士大石寺所蔵)

[上野殿御返事(適時弘法事)本文]


白米一だをくり給び了んぬ。
一切の事は時による事に候か、春は花・秋は月と申す事も時なり、仏も世にいでさせ給いし事は法華経のためにて候いしかども、四十余年はとかせ給はず。

 其の故を経文にとかれて候には、説時未至故等と云云。
なつあつわたのこそで、冬かたびらをたびて候は、うれしき事なれども、ふゆのこそで、なつのかたびらには・すぎず、うへて候時のこがね、かつせる時のごれう(御料)は、うれしき事なれども、はん(飯)と水とにはすぎず。
仏に土をまいらせて候人、仏となり、玉をまいらせて地獄へゆくと申すことこれか。

日蓮は日本国に生れてわわくせず、ぬすみせず、かたがたのとがなし。
末代の法師には、とがうすき身なれども、文をこのむ王に武のすてられ、いろをこのむ人に正直物のにくまるるがごとく、念仏と禅と真言と律とを信ずる代に値うて法華経をひろむれば、王臣・万民ににくまれて、結句は山中に候へば天いかんが計らわせ給うらむ。

五尺のゆきふりて本よりも・かよわぬ山道ふさがり、といくる人もなし。衣もうすくて、かんふせぎがたし、食たへて命すでに・をはりなんとす。
かかるきざみに、いのちさまたげの御とぶらひ、かつはよろこび、かつはなけかし、一度にをもひ切つて、うへしなんと、あんじ切つて候いつるに、わづかの・ともしびに・あぶらを入そへられたるがごとし。
あわれあわれたうとく、めでたき御心かな。釈迦仏・法華経定めて御計らい給はんか、恐恐謹言。

弘安二年十二月廿七日        日 蓮  花 押
上野殿御返事


【妙法蓮華経 方便品第二】

 我設是方便 令得入仏慧 
 未曾説汝等 当得成仏道
 所以未曾説 説時未至故 
 今正是其時 決定説大乗

[和訳]
 我(釈尊)は是の方便を設けて、仏慧に入ることを得させしめん。
 未だかつて汝らは、まさに仏道を成ることを得るべしとは説かず。
 (我)いまだかつて説かさりし所以は、説く時、未だ到らざればなり。
 今、まさしくこれ其の時なり。 (我)決定して大乗(法華経)を説かん。

by johsei1129 | 2015-07-17 21:58 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
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