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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 16日

観心本尊抄文段 上十三  一たび人身を失えば万劫にも得がたし。一生空しく過ごして永劫侮ゆること勿(なか)れ。


第三に総結とは、当抄の題号に(まさ)に多意を含むべし。今略して之を示す。

一には三大秘法を含む。(いわ)く「如来滅後(にょらいめつご)(五の)五百歳(ごひゃくさい)(はじ)む」とは、即ち是れ正像未弘(みぐ)の義なり。「観心」の二字は(まさ)しく是れ本門の題目なり。其の故は三大秘法の中の本門の題目とは、(ただ)本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉るを本門の題目と名づくるなり。今の観心も(また)(しか)なり。(のう)(しん)(のう)(しょう)を観心と名づく故に即ち本門の題目に当るなり。「本尊」の二字は正しく是れ本門の本尊なり。所住の(ところ)は本門の戒壇なり。故に「如来滅後後五百歳に始む観心の本尊抄」とは(また)是れ「正像未弘(みぐ)の三大秘法抄」なり。

二には()の一念三千を含む。謂く「如来滅後後五百歳に始む」とは末法弘通(ぐつう)の始めなり。「観心本尊」とは即ち(しょ)()事の一念三千なり。謂く「観心」の二字は即ち是れ我等衆生の能信能唱の故に九界なり。「本尊」の二字は一念三千(そく)自受用身の仏界なり。我等一心に本尊を信じ奉れば、本尊の全体即ち我が()(しん)なり。故に仏界即九界なり。我等一向(いっこう)に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身の全体即ち是れ本尊なり。故に九界即仏界なり。故に「観心本尊」の四字は即ち十界()()百界(ひゃっかい)千如(せんにょ)の事の一念三千なり。故に「如来滅後()五百歳に始む観心の本尊抄」とは、亦是れ「末法弘通(ぐつう)の事の一念三千抄」なり。

三には本因(ほんにん)の四妙を含む。謂く「如来滅後後五百歳に始む」とは、即ち是れ末法下種の始めなり。「観心本尊」とは即ち是れ本因(ほんにん)(みょう)なり。此の本因妙に(また)四妙を()す。謂く、境智行位なり。(まさ)に知るべし「本尊」即ち是れ境妙なり。「観心」即ち是れ我等が信心()(しょう)なり。中に(おい)て「信心」是れ()(みょう)なり「口唱」即ち行妙なり。之を信じ之を唱うる我等は即ち是れ()(そく)但妄(たんもう)の位妙なり。此の四妙を合して種家の本因妙と名づくるなり。故に「如来(にょらい)滅後(めつご)(ごの)()百歳(ひゃくさい)に始む観心の本尊抄」とは、(また)是れ「末法下種の本因妙抄」なり。

四には()(ぎょう)の題目を含む。(いわ)く「如来滅後後五百歳に始む」とは、即ち是れ末法事行の始めなり。「観心本尊」とは即ち事行の題目なり。(いわ)く「観心」即ち是れ能修の九界「本尊」即ち是れ所修の仏界、十界十如(すで)是れ分明(ふんみょう)なり。(あに)法の字に(あら)ずや。九界・仏界感応(かんのう)道交し、能修・所修境智(みょう)(ごう)(じん)(じん)の境界は言語(ごんご)道断(どうだん)心行(しんぎょう)所滅(じょめつ)なり。(あに)妙の字に非ずや。(まさ)に知るべし、信心は是れ唱題の始めの故に本因妙なり。唱題は是れ信心の終りの故に本果妙なり。是れ(すなわ)刹那(せつな)始終(しじゅう)・一念の因果なり。(あに)蓮華に非ずや。此の妙法蓮華は本有(ほんぬ)常住(じょうじゅう)なり。(あに)経の字に(あら)ずや。故に「如来滅後後五百歳に始む観心の本尊抄」とは、亦是れ「末法事行の題目抄」なり。

五には決定(けつじょう)作仏(さぶつ)の義を含む。謂く「如来滅後後五百歳に始む」とは、即ち是れ末法下種の教主・本地(ほんち)事行の真仏・(さい)(ごく)無上の仏力なり。「本尊」は即ち是れ()(おん)元初(がんじょ)自証(じしょう)の本法・尊無過上の法力なり。「観心」というは我等衆生、本尊を信じ奉りて南無妙法蓮華経と唱うる義なり。(あに)信力・行力に非ずや。信力・行力・仏力・法力、既に是れ()(そく)す。(あに)決定(けつじょう)成仏の義を顕すに非ずや。 若し(しか)らば「如来滅後後五百歳に始む観心の本尊抄」とは「於我(おが)滅度(めつど)()応受(おうじゅ)()()(きょう)是人(ぜにん)()仏道(ぶつどう)決定(けつじょう)無有(むう)()抄」なり。

()鳳凰(ほうおう)は樹を(えら)んで()み、賢人(けんじん)は主を(えら)んで(つか)う。(いわん)や仏法を学ぶ者(いずくん)ぞ本尊を簡択(かんたく)して之を信行せざるべけんや。()正境(しょうきょう)に非ずんば仮令(たとい)信力・行力を励むと(いえど)も仏種を成ぜず。故に当抄に於て(じゅく)(だつ)教相の本尊を簡別(かんべつ)して下種観心の本尊を顕す。是れ則ち三世の諸仏の御師、八万法蔵の肝心(かんじん)、正中の正境、妙中の妙境なり。故に「一念(しん)()の功徳・五十(ごじゅう)展転(てんでん)の功徳と」云云。「行浅(ぎょうせん)(こう)(じん)、以て経力(きょうちりき)を顕す。妙法経力、即身成仏す」等云云。故に本尊に於ては(さい)(ごく)無上の尊体、尊無過上の力用(りきゆう)なり。故に行者(ぎょうじゃ)(まさ)(すべから)く信力・行力の観心を励むべし。智慧第一の舎利(しゃり)(ほつ)すら(なお)信を以て得道す。(いか)(いわん)や末代の愚人(ぐにん)をや。像法の智者大師すら(なお)毎日一万遍なり。(いか)に況や末法の我等をや。一たび人身を失えば万劫(ばんこう)にも()がたし。一生(むな)しく過ごして永劫(えいごう)()ゆること(なか)れ云云。

つづく


上巻 目次



by johsei1129 | 2015-07-16 07:19 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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