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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 13日

始は日蓮只一人唱へ候いしほどに(略)日本国十分が一分は一向南無妙法蓮華経と説いた【中興入道御消息】

【中興入道御消息】

■出筆時期:弘安二年(1279)十一月三十日 五十八歳御作。
■出筆場所:鎌倉 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は佐渡流罪中、人目を忍んで大聖人を外護された中興次郎入道の子息・中興入道並びに女房に送られたご消息文です。中興入道は亡き父母の意思を継ぎ大聖人に帰依、はるばる佐渡から身延の草庵を訪れ、鵞目一貫文のご供養並びに亡き父母の卒塔婆の建立を願いでており、本抄はそれへの返書となっております。
本抄を記した時期は、大御本尊を建立した弘安二年十月十二日から間もなく、大聖人は立宗からこれまでの妙法蓮華経流布の苦難の生涯を振り返り、「去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安二年十一月まで二十七年が間、退転なく申しつより候事、月のみつるがごとく、しほのさすがごとく、はじめは日蓮只一人、唱へ候いしほどに<中略>すでに日本国十分が一分は一向南無妙法蓮華経、のこりの九分は或は両方、或はうたがひ、或は一向念仏者なる」と記すとともに、「日蓮は日本国には第一の忠の者なり肩をならぶる人は先代にもあるべからず・後代にもあるべしとも覚えず」と出世の本懐を遂げられた心境を吐露しております。
 文末では亡き娘の十三回忌に南無妙法蓮華経の卒塔婆を建立したことを記し、「過去の父母も彼のそとば功徳によりて天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん」と、中興入道夫妻の亡き娘また父母の追善供養を願う志を、強く称えられております。
■ご真筆: 現存しておりません。

[中興入道御消息 本文]

  鵞目一貫文送り給い候い了んぬ、妙法蓮華経の御宝前に申し上げ候い了んぬ。

 抑日本国と申す国は須弥山よりは南・一閻浮提の内・縦広七千由旬なり、其の内に八万四千の国あり、所謂五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散(ぞくさん)国・微塵(みじん)の島島あり。此等の国国は皆大海の中にあり・たとへば池にこのはのちれるが如し、此の日本国は大海の中の小島なり、しほみてば見へず・ひればすこしみゆるかの程にて候いしを、神のつき出させ給いて後・人王のはじめ神武天皇と申せし大王をはしましき。それよりこのかた三十余代は仏と経と僧とは・ましまさず・ただ人と神とばかりなり。仏法をはしまさねば地獄もしらず・浄土もねがはず、父母兄弟のわかれありしかども・いかんが・なるらん。ただ露のきゆるやうに日月のかくれさせ給うやうに・うちをもいて・ありけるが、然るに人王第三十代・欽明天皇と申す大王の御宇に此の国より戌亥(いぬい)の角(すみ)に当りて百済国と申す国あり。

 彼の国よりせいめい王と申せし王・金銅の釈迦仏と・此の仏の説かせ給へる一切経と申すふみと・此をよむ僧をわたしてありしかば、仏と申す物も・いきたる物にもあらず、経と申す物も外典の文にもにず、僧と申す物も物はいへども道理もきこへず・形も男女にもにざりしかば・かたがた・あやしみ・をどろきて左右の大臣・大王の御前にしてとかう僉議ありしかども、多分はもちうまじきにてありしかば、仏はすてられ僧はいましめられて候いしほどに、用明天王の御子・聖徳太子と申せし人、びだつ(敏達天皇の時代)の二年二月十五日、東に向いて南無釈迦牟尼仏と唱えて御舎利を御手より出し給いて、同六年に法華経を読誦し給ふ。それよりこのかた七百余年・王は六十余代に及ぶまで・やうやく仏法ひろまり候いて、日本六十六箇国・二つの島にいたらぬ国もなし、国国・郡郡・郷郷・里里・村村に堂塔と申し寺寺と申し仏法の住所すでに十七万一千三十七所なり、日月の如くあきらかなる智者・代代に仏法をひろめ衆星のごとく・かがやく・けんじん国国に充満せり、かの人人は自行には或は真言を行じ・或は般若・或は仁王・或は阿弥陀仏の名号・或は観音・或は地蔵・或は三千仏・或は法華経読誦しをるとは申せども・無智の道俗をすすむるには・ただ南無阿弥陀仏と申すべし、譬えば女人の幼子をまうけたるに或はほり・或はかわ・或はひとりなるには・母よ母よと申せば・ききつけぬれば・かならず他事をすてて・たすくる習なり、阿弥陀仏も又是くの如し我等は幼子なり・阿弥陀仏は母なり・地獄のあな・餓鬼のほりなんどにをち入りぬれば・南無阿弥陀仏と申せば音と響との如く必ず来りて・すくひ給うなりと・一切の智人ども教へ給いしかば、我が日本国かく申しならはして年ひさしくなり候。

 然るに日蓮は中国・都の者にもあらず・辺国の将軍等の子息にもあらず、遠国の者・民が子にて候いしかば、日本国・七百余年に一人も・いまだ唱へまいらせ候はぬ南無妙法蓮華経と唱え候のみならず、皆人の父母のごとく日月の如く主君の如くわたりに船の如く渇して水のごとく、うえて飯の如く思いて候、南無阿弥陀仏を無間地獄の業なりと申し候ゆへに、食に石をたひたる様に・がんせきに馬のはねたるやうに・渡りに・大風の吹き来たるやうに・じゆらくに大火のつきたるやうに・俄(にわか)にかたきのよせたるやうに・とわり(遊女)のきさきになるやうに・をどろき・そねみ・ねたみ候ゆへに、去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安二年十一月まで二十七年が間・退転なく申しつより候事、月のみつるがごとく・しほのさすがごとく・はじめは日蓮只一人・唱へ候いしほどに、見る人値う人聞く人・耳をふさぎ・眼をいからかし・口をひそめ・手をにぎり・はをかみ・父母・兄弟・師匠ぜんう(善友)も・かたきとなる。

 後には所の地頭・領家かたきとなる・後には一国さはぎ・後には万民をどろくほどに、或は人の口まねをして南無妙法蓮華経ととなへ、或は悪口のためにとなへ・或は信ずるに似て唱へ・或はそしるに似て唱へなんどする程に、すでに日本国十分が一分は一向南無妙法蓮華経・のこりの九分は或は両方・或はうたがひ・或は一向念仏者なる者は・父母のかたき主君のかたき・宿世のかたきのやうにののしる、村主・郷主・国主等は謀叛の者のごとくあだまれたり。

かくの如く申す程に大海の浮木の風に随いて定めなきが如く・軽毛の虚空にのぼりて上下するが如く・日本国ををはれあるく程に、或時はうたれ・或時はいましめられ・或時は疵をかほふり・或時は遠流・或時は弟子をころされ・或時はうちをはれなんどする程に、去ぬる文永八年九月十二日には御かんきをかほりて北国佐渡の島にうつされて候いしなり、世間には一分のとがも・なかりし身なれども・故最明寺入道殿・極楽寺入道殿を地獄に堕ちたりと申す法師なれば謀叛の者にも・すぎたりとて・相州・鎌倉・竜口と申す処にて頚を切らんとし候いしが・科は大科なれども法華経の行者なれば左右なくうしなひなば・いかんがとや・をもはれけん、又遠国の島にすてをきたるならば・いかにもなれかし。

上ににくまれたる上・万民も父母のかたきのやうに・おもひたれば・道にても・又国にても・若しはころすか若しはかつえしぬるかに・ならんずらんと・あてがはれて有りしに、法華経・十羅刹の御めぐみにやありけん。或は天とがなきよしを御らんずるにや・ありけん、島にて・あだむ者は多かりしかども中興の次郎入道と申せし老人ありき、彼の人は年ふりたる上心かしこく身もたのしくて国の人にも人と・をもはれたりし人の・此の御房は・ゆへある人にやと申しけるかのゆへに・子息等もいたうもにくまず、其の已下の者ども・たいし彼等の人人の下人にてありしかば内内あやまつ事もなく唯上の御計いのままにて・ありし程に、水は濁れども又すみ・月は雲かくせども・又はるることはりなれば、科なき事すでに・あらわれて・いゐし事もむなしからざりけるかの・ゆへに、御一門・諸大名はゆるすべからざるよし申されけれども・相模守殿の御計らひばかりにて・ついにゆりて候いて・のぼりぬ、ただし日蓮は日本国には第一の忠の者なり肩をならぶる人は先代にもあるべからず・後代にもあるべしとも覚えず。

其の故は去ぬる正嘉年中の大地震・文永元年の大長星の時・内外の智人・其の故をうらなひしかども・なにのゆへいかなる事の出来すべしと申す事をしらざりしに、日蓮・一切経蔵に入りて勘へたるに・真言・禅宗・念仏・律等の権小の人人をもつて法華経をかろしめ・たてまつる故に・梵天・帝釈の御とがめにて西なる国に仰せ付けて日本国をせむべしとかんがへて、故最明寺入道殿にまいらせ候いき、此の事を諸道の者・をこつきわらひし程に・九箇年すぎて去ぬる文永五年に大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒状わたりぬ、此の事のあふ故に念仏者・真言師等あだみて失はんとせしなり。

例せば漢土に玄宗皇帝と申せし御門の御后に上陽人と申せし美人あり、天下第一の美人にてありしかば楊貴妃と申すきさきの御らんじて・此の人王へまいるならば我がをぼへをとりなんとて宣旨なりと申しかすめて、父母・兄弟をば或はながし・或は殺し・上陽人をばろうに入れて四十年まで・せめたりしなり、此れもそれににて候、日蓮が勘文あらわれて大蒙古国を調伏し日本国かつならば此の法師は日本第一の僧となりなん、我等が威徳をとろうべしと思うかのゆへに讒言をなすをばしろしめさずして、彼等がことばを用いて国を亡さんとせらるるなり、例せば二世王は趙高が讒言によりて李斯を失ひかへりて趙高が為に身をほろぼされ、延喜の御門はしへい(時平)のをとど(大臣)の讒言によりて菅丞相を失いて地獄におち給いぬ、此れも又かくの如し、法華経のかたきたる真言師・禅宗・律僧・持斎・念仏者等が申す事を御用いありて日蓮をあだみ給うゆへに、日蓮はいやしけれども所持の法華経を釈迦・多宝・十方の諸仏・梵天・帝釈・日月・四天・竜神・天照太神・八幡大菩薩・人の眼をおしむがごとく・諸天の帝釈をうやまうがごとく・母の子を愛するがごとく・まほりおもんじ給うゆへに、法華経の行者をあだむ人を罰し給う事・父母のかたきよりも朝敵よりも重く大科に行ひ給うなり。

然るに貴辺は故次郎入道殿の御子にて・をはするなり・御前は又よめなり・いみじく心かしこかりし人の子と・よめとにをはすればや、故入道殿のあとをつぎ国主も御用いなき法華経を御用いあるのみならず・法華経の行者をやしなはせ給いて・としどしに千里の道をおくりむかへ・去ぬる幼子のむすめ御前の十三年に丈六のそとばをたてて其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕して・をはしませば、北風吹けば南海のいろくづ(魚族)其の風にあたりて大海の苦をはなれ・東風きたれば西山の鳥鹿・其の風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に生れん、況や・かのそとばに随喜をなし手をふれ眼に見まいらせ候人類をや。

過去の父母も彼のそとばの功徳によりて天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿(いのち)を百二十年持ちて後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水すめば月うつり、つづみをうてばひびき(響き)のあるがごとしとをぼしめし候へ等云云。此れより後後の御そとばにも法華経の題目を顕し給へ。

弘安二年己卯十一月卅日 身延山 日蓮花押

中興入道殿女房

by johsei1129 | 2015-07-13 20:33 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)
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