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日蓮大聖人『御書』解説

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2022年 07月 06日

父亡き後上野郷の地頭職を受け継ぎ奮闘する弱冠十七歳の南条時光に仏法の四恩を説いた書【上野殿御消息】

【上野殿御消息(四徳四恩御書)】

■出筆時期:建治元年(1275) 五十四歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は、七歳で父南条兵衛七郎を失うも、富士上野郷の地頭職を引き継ぎ、亡父同様大聖人に帰依していた当時弱冠十七歳の南条時光に送られたご消息文です。本書で大聖人は、世間一般の四恩を記した後に仏法の四恩(父母、国主、一切衆生、三宝(仏・法・僧)を報ずる意味を詳細に説き、最後に「此の法華経を強く信じまいらせて余念なく一筋に信仰する者をば、影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり。相構て相構て心を翻へさず、一筋に信じ給ふならば・現世安穏・後生善処なるべし」と、法華経への信仰を貫くよう諭しておられます。
■ご真筆: 現存していない。

[上野殿御消息(四徳四恩御書) 本文]

 三世の諸仏の世に出でさせ給いても皆皆四恩を報ぜよと説き、三皇・五帝・孔子・老子・顔回等の古の賢人は四徳を修せよとなり。

 四徳とは、一には父母に孝あるべし、二には主に忠あるべし、三には友に合(あ)うて礼あるべし、四には劣れるに逢うて慈悲あれとなり。

 一に父母に孝あれとは、たとひ親はものに覚えずとも・悪(あし)ざまなる事を云うとも・聊(いささ)かも腹も立てず・誤る顔を見せず、親の云う事に一分も違へず・親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば、一日に二三度・え(笑)みて向へとなり。
 二に主に合うて忠あるべしとは、いささかも主にうしろめた(痛)なき心あるべからず。たとひ我が身は失なはるとも、主にはかまへてよかれと思うべし。かくれての信あれば・あらはれての徳あるなりと云云。

 三には、友にあふて礼あれとは、友達の一日に十度・二十度来たれる人なりとも千里・二千里・来たれる人の如く思ふて礼儀いささか・をろかに思うべからず。

 四に劣れる者に慈悲あれとは、我より劣りたらん人をば・我が子の如く思いて一切あはれみ慈悲あるべし。

 此れを四徳と云うなり。是くの如く振舞うを賢人とも聖人とも云うべし。此の四の事あれば余の事には・よからねども・よき者なり。是くの如く四の徳を振舞ふ人は外典三千巻をよまねども読みたる人となれり。

 一に仏教の四恩とは、一には父母の恩を報ぜよ、二には国主の恩を報ぜよ、三には一切衆生の恩を報ぜよ、四には三宝の恩を報ぜよ。
 
 一に父母の恩を報ぜよとは、父母の赤白二渧(たい)和合して我が身となる。母の胎内に宿る事・二百七十日・九月(くかつき)の間、三十七度死(しぬ)るほどの苦しみあり。生み落とす時、た(堪)へがたしと思ひ、念ずる息(いき)・頂(うなじ)より出づる煙り・梵天に至る。さて生落(うみおと)されて乳をのむ事一百八十余石、三年が間は父母の膝に遊び・人となりて仏教を信ずれば・先づ此の父と母との恩を報ずべし。父の恩の高き事・須弥山猶ひき(低)し、母の恩の深き事大海還つて浅し。相構えて父母の恩を報ずべし。

 二に国主の恩を報ぜよとは、生れて已来(このかた)・衣食のたぐひより初めて・皆是れ国主の恩を得てある者なれば・現世安穏・後生善処と祈り奉るべし。

 三に一切衆生の恩を報ぜよとは、されば昔は一切の男は父なり・女は母なり、然る間・生生世世に皆恩ある衆生なれば・皆仏になれと思ふべきなり。

 四に三宝の恩を報ぜとは、最初成道の華厳経を尋ぬれば・経も大乗・仏も報身如来にて坐(まし)ます間、二乗等は昼の梟(ふくろう)・夜の鷹の如くして・かれを聞くといへども耳しゐ(聾)・目しゐ(盲)の如し。然る間・四恩を報ずべきかと思ふに女人をきらはれたる間・母の恩報じがたし。

 次に仏・阿含・小乗経を説き給いし事・十二年、是こそ小乗なれば我等が機にしたがふべきかと思へば男は五戒・女は十戒・法師は二百五十戒・尼は五百戒を持ちて三千の威儀を具すべしと説きたれば、末代の我等かなふべしとも・おぼえねば母の恩報じがたし。況んや此の経にもきらはれたり。
 方等・般若・四十余年の経経に皆女人をきらはれたり。但・天女成仏経・観経等にすこし女人の得道の経文有りといへども・但名のみ有つて実なきなり。其の上未顕真実の経なれば如何が有りけん。

 四十余年の経経に皆女人を嫌われたり。又最後に説き給いたる涅槃経にも女人を嫌はれたり。何れか四恩を報ずる経有りと尋ぬれば、法華経こそ女人成仏する経なれば八歳の竜女・成仏し、仏の姨母(おば)喬曇弥(きょうどんみ)・耶輸陀羅(やしゅたら)比丘尼・記別にあづかりぬ。されば我等が母は但女人の体にてこそ候へ・畜生にもあらず・蛇身にもあらず、八歳の竜女だにも仏になる。
 如何ぞ此の経の力にて我が母の仏にならざるべき。されば法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり。我が心には報ずると思はねども、此の経の力にて報ずるなり。

 然る間、釈迦・多宝等の十方・無量の仏・上行地涌等の菩薩も、普賢・文殊等の迹化の大士も、舎利弗等の諸大声聞も、大梵天王・日月等の明主諸天も、八部王も・羅刹女等も、日本国中の大小の諸神も、総じて此の法華経を強く信じまいらせて余念なく一筋に信仰する者をば、影の身にそふが如く・守らせ給ひ候なり。相構て相構て心を翻へさず、一筋に信じ給ふならば、現世安穏・後生善処なるべし。恐恐謹言。

                日 蓮 花 押
上野殿


by johsei1129 | 2022-07-06 14:31 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)


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