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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 08日

開目抄愚記 上三二


第二十一段 略して法華経行者なるを釈す


一 
(すで)に二十余年

 この下は(しゃく)、また二と()す。初めに略釈(りゃくしゃく)、次に「但し世間の疑()」の下三十六は広く疑を()げて以て釈す。初めの略釈、また四と為す。初めに略示、次に「法華経の第四」の下は文を引いて旨を釈し、三に「されば日蓮」の下は功を(あらわ)して疑を立て、広釈(こうしゃく)の本と為し、四に「而るに法華経」の下は身に当てて釈成す云云。初めの略示とは、略して大難を忍ぶを以てこれ法華経の行者(ぎょうじゃ)なることを示すが故なり。

一 大事の難・四度

  一義に云く、第一に康元(文応)年中の夜討ちの難、御年三十九歳の比なり。(つぶさ)下山抄二十六・三十六、法尼抄十三・四十二の如し。

  第二に(こう)(ちょう)元年の伊東の難、御年四十歳、(つぶさ)一谷抄三十五二・十六、四恩抄四十四の如し。

  第三に文永元年の東条(とうじょう)の難、御年四十三歳、南条抄二十二・十五の如し云云。

  第四に文永八年の佐州の難、御年五十なり。(たつの)(くち)の御難は佐州の難に属するなりと。

  一義に云く、夜討の難は没して佐州・竜口を開いて二難と()す云云。この義、諸文の意に(たが)うなり。故に諸義の如きは最も(しか)るべきなり。

一 二度は・しば()らく・()

  夜討、東条はこれ王難に非ず。故に(しばら)くこれを置くなり。

一 王難すでに二度

  これ諸文の如く両度の流罪なり。

  問う、両度の流罪は(まさ)しく鎌倉の下知(げじ)()る、これ国主の下知に(あら)ず、何ぞ王難というや。

  答う、一義に云く、これ深重の難なる故なり。一義に云く、(ちょく)を受け罪に処する故なりと。一義に云く、親王・将軍の故なり云。

  今(いわ)く、並びに宗祖の意に非ず。若し宗祖の意は、(ただ)義勢を以て「王難」というなり。(いわ)く、時頼等を正しく国主と名づく。故に佐渡御勘気抄十四五に云く「此の鎌倉の御一門の御繁盛は義盛と隠岐(おきの)法皇ましまさずんば(いかで)か日本の主となり給うべき」と云云。兵衛(ひょうえ)(さかん)御返事三十九二十七に云く「(こう)殿(どの)は日本国の主にてをはするが」と云云。(すで)にこれ日本国の主なり。故に義も又国王に同じ、故に或る処にも亦国王と名づくるなり。頼基(よりもと)陳状(ちんじょう)十九・八に云く「国王の勘気は両度」と云云。王舎城抄三十四・四十五に「これは国王(すで)()けぬ」等云云。此等の文意は、時頼等は日本国の主なるが故に、義も(また)国王に同じきなり。故に「王難」というなり。所以(ゆえ)次上の文に云く「父母・兄弟・師匠に国主の王難」と云云。これを思い見るべし。

一 今度(このたび)は既に()身命(しんみょう)に及ぶ

  一義に云く、是れ(たつの)(くち)を指すと。一義に云く、佐州を指すと云云。並びに是れ辺なり。「今度」の言は、広く竜口及び佐州を収むべきなり。諸文の意も(しか)なり。

   妙法尼抄十三・四十三に云く「国主より御勘気(ごかんき)二度なり、二度めは(そと)には遠流(おんる)と聞こへしかども内には(くび)を切るべしとて、鎌倉竜の口と申す処に九月十二日の(うし)の時に(くび)の座に引きすへられて候いき(乃至)其の夜の(くび)はのがれぬ、又佐渡の国にて・きらんとす」と文。

  報恩抄下二十二に云く「文永八年辛未(かのとひつじ)九月十二日の夜はのびて()()の国までゆく、今日切る明日切るといひしほどに四箇年と云うに()りぬ」(略抄)と。

一 ()の上弟子といひ檀那(だんな)といひ等

  若し妙法尼抄十三・四十八の意は、(けん)(ちょう)已後(いご)御一代の間の弟子・檀那の大難なり。若し今文の意は、別して九月十二日已後に約するか云云。精師云く「九月十二日の時は有合(ありあわ)せたる人人(みな)難に()い、(あるい)(ろう)、或は流罪等なり。(ただ)註画讃(ちゅうがさん)に日朗・日真、俗四人の者は未だ明拠を見ず。次に日朗への御書の事、録外(ろくげ)一・二十三、註画讃(ちゅうがさん)に出でたり。此の書()し真書ならば、日朗在俗の時なり。(すで)に彼の文に云く『あわれ殿は法華経一部を(しき)(しん)の二法にあそばしたるか』と云云。既に殿という、(まさ)しく是れ在俗なり。若し日朗出家已後ならば、(おそ)らく是れ彼の書は(まさ)に是れ偽書(ぎしょ)なるべし。出家を殿と云う事、諸抄の中に(すべ)て之れ無きが故なり」(取意)。

  佐渡御勘気抄十四・二に云く「()()にして二十余日・其の間鎌倉に(あるい)は火をつくる事・七八度・或は人をころす事ひまなし、讒言(ざんげん)の者共の云く日蓮が弟子共の火をつくるなりと、さもあるらんとて日蓮が弟子等を鎌倉に置くべからずとて二百六十余人しる()さる、皆遠島へ(つか)わすべし、ろう()にある弟子共をば(くび)をはねらるべし」等云云。

  この中に「籠にある弟子」とは九月十二日の籠者なるべし。彼の火を付け、人を殺すは念仏宗等の所行なり。(おそろ)しき(たくみ)にあらずや。

  又、十一に云く「武蔵前司殿(乃至)先ず国中のもの日蓮房につくならば或は国を()ひ、或はろう()に入れよと私の下知(げじ)を下す、(また)下文(くだしぶみ)下る。かくの如く三度()の間の事申さざるに心をもて(はか)りぬべし、(あるい)は其の前を()をれりと云うて・ろう()に入れ或は其の御房に物をまい()らせけりと云うて国をおひ()或は妻子をとる」等云云。

  此等の文を以て今の意を知るべし云云。

つづく


開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-07-08 22:52 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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