【小蒙古御書】
■出筆時期:弘安四年(西暦1281年)六月十六日 六十歳 御作。
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:弘安4年5月21日、対馬沖に九千艘ともいわれる蒙古の巨大船団が来襲、その事を6月16日に知った大聖人は、門弟一同に対し予言が当たったなどと蒙古襲来のことを世間の人々に吹聴することを、厳に戒めるために本書を送られた。さらに、もしこの旨に背くならば門弟として破門するとまで強く戒めておられる。大聖人は釈尊の一切経を読み尽くして書き上げた「立正安国論」をもって、生涯三度の国家諫暁をなした事が、法門について理解の浅い門下の軽挙妄動で、その真意が損なわれ、今後の布教が阻害されることを恐れたものと思われる。
■ご真筆: 現存していない。
[小蒙古御書 本文]
小蒙古の人、大日本国に寄せ来たるの事、我が門弟並びに檀那等の中に、若(も)し他人に向い・将又(はたまた)自ら言語に及ぶ可からず。
若し此の旨に違背(いはい)せば門弟を離すべき等の由、存知せる所なり。
此の旨を以て人人に示す可く候なり。
弘安四年
太歳辛巳六月十六日 花 押
人 人 御 中