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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 07日

観心本尊抄文段 上七 弘安二年の本門戒壇の御本尊は究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり 既に是れ三大秘法の随一なり、況や一閻浮提総体の本尊なる故なり


 問う、本尊問答抄の啓蒙(けいもう)に云く「諸山代代の本尊に多く仏滅後二千二百三十余年と云う。是れ元祖の本意顕れ(おわ)る時を定規(じょうき)とする故なり」と云云。これ則ち弘安五年御入滅の年、正しく二千二百三十余年に(あた)る故なり。若し(しか)らば弘安四年已前は宗祖の本懐(いま)だ顕れ(おわ)らざるや。

答う、今処々(しょしょ)の明文に()るに、正しく弘安元年已後を以て仏滅後二千二百三十余年と云うなり。

故に弘安元年七月の千日尼抄二十五に云く「仏滅度後すでに二千二百三十余年になり候」と云云。

(また)弘安元年九月の本尊問答抄に云く「仏滅後二千二百三十余年」(取意)と云云。

又第十六の四条金吾抄、又第十七の大陣破抄又第二十二の初心成仏抄等云云。

蒙抄(もうしょう)に云く「京の本国寺弘安元年七月の御本尊に二千二百三十余年」と云云。又上総(かずさ)(にち)(べん)授与の弘安二年四月の御本尊にも「二千二百三十余年」と云云。故に知んぬ、弘安元年已後(いご)、御本意(すなわ)(あらわ)(おわ)ることを。

問う、弘安元年は(まさ)しく仏滅後二千二百二十七年に当る。(れん)()何ぞ三十余年というや。

答う、恐らくは深意(じんい)あらんか。

宗祖云く「今此の御本尊は寿量品に説き顕し」等云云。(しか)るに寿量品御説法の年より弘安元年に至るまで、正しく二千二百三十一年に当るなり。(いわ)く、如来七十二歳より八箇年の間に二十八品を説く。故に知んぬ、一年に三(ぽん)半を説きたもうなり。故に七十六の御歳、正しく寿量品を説くなり。(しこう)して七十七の御歳、神力品を説いて本化に付嘱(ふぞく)して、四年後の八十歳の御入滅なり。如来の御年八十歳、御入滅の年より弘安元年に至るまで二千二百二十七年なり。これに七十六、七、八、九の四年を加うる(とき)は二千二百三十一年と成るなり。故に寿量説法の年よりこれを数えて弘安元年に至るまで、二千二百三十余年というか。

故に本尊問答抄に云く「此の御本尊は世尊説き()かせ給いて後二千二百三十余年」と云云。この文、深く之を思うべし。余文の中は多分に従う、故に仏滅後という(ごと)し。本尊問答抄に「説き()かせ給いて後」とい(ごと)く、新池(尼)抄には「寿量品に説き(あらわ)し」という、之を思い合すべし。故に弘安元年已後、究竟(くきょう)の極説なり。

就中(なかんずく)弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐(ほんかい)の中の本懐なり。(すで)是れ三大秘法の随一なり、(いわん)一閻(いちえん)浮提(ぶだい)総体(そうたい)の本尊なる故なり。


つづく


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by johsei1129 | 2015-07-07 20:53 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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