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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 07日

開目抄愚記 上三一


一 
(りん)()(ろく)(しゅ)

  この下は六道流転(るてん)の所以を明かし、自を以て他を顕すなり。無量劫(むりょうこう)の間、(あるい)幾許(いくばく)か仏道を修行せしに、悪縁・悪知識に(すか)されて、今に生死(しょうじ)を離れずして生々(しょうじょう)流転(るてん)せしなり。故に第一に(おそ)るべきは悪知識なり等云云。

一 人天の大王等

  此れは是れ世間、次は()(ぜん)、次は迹門、次は本門の意なり。

一 ()らず大通(だいつう)

  問う、大通の第三類、久遠(くおん)五百の人も(なお)末法に至るや。()し至らずといわば、天台、第三類を(しゃく)して「乃至(ないし)滅後(めつご)得道(とくどう)の者」という。(みょう)(らく)(せん)三に久遠(くおん)五百の(たぐい)を釈して云く「(いわん)(また)、今世(なお)未だ入らざるより、(なお)未来に至って遠遠(おんおん)(まさ)に得ん」等云云。摂州云く「三千(さんぜん)塵点(じんてん)の未来に(いた)るに例するに、五百塵点も(また)未来に至らん」等云云。又今文の意は、此等の衆、在世に()れて末法に来る等云云。若し末法に来るといわば、何ぞ末法は(ほん)()()(ぜん)というや。

  答う、此の人は末法に(きた)らず、多く正像に於て得道するなり。未来と云うと(いえど)も、何ぞ必ずしも末法のみならん。(ただ)正像を指して未来というなり。是れ多分に約す。若し少分は今に(きた)ることを妨げざらんや。

一 日本国に此れをしれるもの()(ただ)日蓮一人なり。

  流転(るてん)所以(ゆえん)を知る者は(れん)()一人なり。(あに)智慧(ちえ)(そん)()に非ずや。流転の所以(ゆえん)は即ち悪知識に()るなり。

一 これを一言も(もう)(いだ)す等

  この下は折伏の心地決定(けつじょう)することを明かす。これ大慈悲(じひ)()るなり。(あに)慈悲尊貴に(あら)ずや。

一 父母・兄弟等

 父母・師匠より蓮祖の方へ(きた)る難なり。(つぶさ)王舎城抄三十四・四十七の如し。また兄弟抄十六十二、()いて見よ。

一 三障四魔等

  止観(しかん)五・十、書註十五・十一。

一 (しばら)徘徊(やすらいし)等文。

  この下は発心(ほっしん)不退の誓願(せいがん)を明かす。即ちこれ不愛(ふあい)身命(しんみょう)菩提(ぼだい)心なり。発心不退とは(すなわ)ちこれ誓願尊貴なり。

一 我等(ほど)の無通の者

  台家に(おい)ては得通(えつう)・不得通の異義有れども、不得通の義、経(しゃく)の旨に最も()うなり。

一 強盛の菩提(ぼだい)(しん)

  「身命(しんみょう)を愛せず(ただ)無上(むじょう)(どう)()しむ」とは、即ち是れ宗門の菩提心なり。(れん)()(すで)(しか)なり。末弟如何(いかん)()願を立てざる。励むべし、励むべし云云。下巻四十二


            つづく


開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-07-07 20:46 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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