一 輪廻六趣等文。
この下は六道流転の所以を明かし、自を以て他を顕すなり。無量劫の間、或は幾許か仏道を修行せしに、悪縁・悪知識に賺されて、今に生死を離れずして生々流転せしなり。故に第一に怖るべきは悪知識なり等云云。
一 人天の大王等文。
此れは是れ世間、次は爾前、次は迹門、次は本門の意なり。
一 しらず大通等文。
問う、大通の第三類、久遠五百の人も仍末法に至るや。若し至らずといわば、天台、第三類を釈して「乃至滅後得道の者」という。妙楽の籤の三に久遠五百の類を釈して云く「況や復、今世猶未だ入らざるより、尚未来に至って遠遠方に得ん」等云云。摂州云く「三千塵点の未来に到るに例するに、五百塵点も亦未来に至らん」等云云。又今文の意は、此等の衆、在世に漏れて末法に来る等云云。若し末法に来るといわば、何ぞ末法は本未有善というや。
答う、此の人は末法に来らず、多く正像に於て得道するなり。未来と云うと雖も、何ぞ必ずしも末法のみならん。但正像を指して未来というなり。是れ多分に約す。若し少分は今に来ることを妨げざらんや。
一 日本国に此れをしれるものは但日蓮一人なり。
流転の所以を知る者は蓮祖一人なり。豈智慧尊貴に非ずや。流転の所以は即ち悪知識に由るなり。
一 これを一言も申し出す等文。
この下は折伏の心地決定することを明かす。これ大慈悲に由るなり。豈慈悲尊貴に非ずや。
一 父母・兄弟等文。
父母・師匠より蓮祖の方へ来る難なり。具に王舎城抄三十四・四十七の如し。また兄弟抄十六十二、往いて見よ。
一 三障四魔等文。
止観五・十、書註十五・十一。
一 且く徘徊等文。
この下は発心不退の誓願を明かす。即ちこれ不愛身命の菩提心なり。発心不退とは即ちこれ誓願尊貴なり。
一 我等程の無通の者文。
台家に於ては得通・不得通の異義有れども、不得通の義、経釈の旨に最も符うなり。
一 強盛の菩提心等文。
「身命を愛せず但無上道を惜しむ」とは、即ち是れ宗門の菩提心なり。蓮祖既に爾なり。末弟如何ぞ此の願を立てざる。励むべし、励むべし云云。下巻四十二。
つづく
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