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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 06日

観心本尊抄文段 上六 吾が大聖人は、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇の本尊を顕わす。終窮究竟(しゅうぐくきょう)の極説(ごくせつ)なり。


 次に別釈。亦四段と()す。初めに「如来(にょらい)滅後(めつご)」等を釈し、次に「始」の字を釈し、三には「(かん)(じん)」の二字を釈し、四には「本尊」の二字を釈す云云。

初めに「如来滅後(ごの)五百歳(ごひゃくさい)」とは、これ薬王品の意に准じて神力品(じんりきぼん)の「我が滅度の後に(おい)て」の文に()るなり。当抄の大意、()之を思うべし。「如来」とは三身即一の(おう)(じん)なり。「滅後」の言は正像末に(わた)ると(いえど)も、意は末法に()り。「後五百歳」は(また)五百年に通ずと(いえど)も、意は二百余年に在り。故に諸文の中に「仏滅後二千二百二十余年」と云うなり。

次に「始」というは、(しょう)には正像未弘(みぐ)に対し、(ぼう)には一閻浮提(いちえんぶだい)(えら)ぶ。上下の文に准じて()くこれを見るべし。
 故に本尊問答抄に云く「此の御本尊は世尊説き()かせ給いて後
、二千二百三十余年が間・一閻浮提の内にいま()ひろ()めたる人候はず乃至当時こそひろまらせ給うべき時に()たりて候ヘ」と云云。

救護(くご)本尊の端書(はしがき)に云く「大覚世尊御入滅の後、二千余年を経歴(きょうりゃく)し、(しか)りと(いえど)も月・漢・日三箇国の(あいだ)(いま)だ此の大本尊(ましま)さず。(あるい)は知って(これ)を弘めず、或は之を知らず。我が慈父(じふ)仏智を以て之を隠し留め、末法の為に之を残す。後五百歳の時、上行菩薩世に出現し始めて之を()(せん)す」と云云。

故に知んぬ、当抄の題号は「如来滅後()五百歳に上行菩薩始む観心の本尊抄」なることを。

問う、建長五年の宗旨建立(こんりゅう)已後(いご)、即ちこれを始めたもうや。

答う、(あるい)(いわ)く実に所問の如し。或は謂く是れ(しか)るべからず。何となれば佐州()(ぜん)身業(しんごう)読誦(どくじゅ)未だ(おわ)らず。この故に本化(ほんげ)再誕(さいたん)(なお)(いま)分明(ふんみょう)ならず。故に三大秘法の名字すら(なお)これを顕さず。(いわん)之を始むべけんや。故に宗祖の云わく「佐渡已前の法門は仏の()(ぜん)経の如し」等云云。

問う、若し(しか)らば佐州()()、即ち之を始めたもうや。

答う、(もろもろ)の御本尊多く仏滅後二千二百二十余年という。(しか)るに当抄の述作(じゅっさく)は文永十(みずの)(とり)、即ち仏滅後二千二百二十二年に当るなり。故に当抄の述作已後(いご)これを始めたもうか。佐州免許は文永十一年二月、(まさ)しく仏滅後二千二百二十三年に(あた)る。故に(あるい)は免許已後これを始めたもうか。救護(くご)本尊は佐州免許の年の十二月なり。然りと(いえど)も文永八年、或は文永元年の御本尊(これ)有り云云。更に(かんが)えよ。

問う、文永・建治の御本尊に御本懐(ごほんかい)究尽(くじん)するや。

答う、文永・建治の御本尊、多く分身(ふんじん)及び善徳仏を()ぐ。これに相伝あり。或は(なお)文上を帯するか云云。

問う、弘安の御本尊、御本懐を究尽(くじん)するや。

答う、実に所問の如し。(すなわ)ちこれ終窮(しゅうぐ)究竟(くきょう)極説(ごくせつ)なり。

(まさ)に知るべし、智者大師は(ずい)の開皇十四年、御年五十七歳、四月二十六日より止観(しかん)を始め、(いち)()にこれを説いて四年後、同十七年、御年六十歳の十一月に御入滅なり。

()が大聖人は文永十年四月二十五日に当抄を終り、弘安二年、御年五十八歳の十月十二日に戒壇(かいだん)の本尊を(あらわ)して四年後の弘安五年、御年六十一歳十月の御入滅なり。

これに三事の不可思議あり。

一には天台(てんだい)大姉は五十七歳にして止観を説き、(れん)()大聖は五十八歳にして戒壇の本尊を(あらわ)す。また天台は六十歳御入滅、蓮祖は六十一歳御入滅なり。これ(すなわ)(ぞう)(まつ)の教主の(ついで)(あに)不思議に(あら)ずや。

二には天台は四月二十六日に止観(しかん)を始め、蓮祖は四月二十五日に当抄を終る。天台は十一月御入滅なり。蓮祖は十月御入滅なり。蓮祖は後に生れたまうと(いえど)も、下種の教主なり。故に義、(さき)()り。この故に蓮祖は二十五日に当抄を終り、十月の入滅なり。天台は(さき)に生れたもうと雖も熟益(じゅくやく)の教主なり。故に()、後に在り。この故に二十六日に止観を始め、十一月の入滅なり。(しゅ)(じゅく)の序、(あに)不思議に(あら)ずや。

三には天台・蓮祖は同じく入滅四年()(ぜん)終窮(しゅうぐ)()(きょう)の極説を顕す。(むし)ろ不思議に非ずや。


                つづく


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by johsei1129 | 2015-07-06 21:17 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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