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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 05日

開目抄愚記 上二九

開目抄愚記末

第二十段 末法法華経行者の所由

一 (ここ)に日蓮案じて云く

 この下は大段の第二、蓮祖はこれ法華経の行者(ぎょうじゃ)なることを明かし、末法下種の(さん)(とく)(じん)(のん)(あらわ)す文なり。また二と()す。初めには(よし)、次に「(すで)に二十余年」の下は釈。初めの由の文、また四と為す。初めに出世の時・処・()(じょう)を明かし、次に「輪廻(りんね)」の下は六道流転の所以(ゆえん)を明かし、三に「これを一言」の下には折伏の心地決定(けつじょう)することを明かし、四に「(しばら)やす()らいし」の下に発心(ほっしん)不退の誓願(せいがん)を明かす云云。

一 ()既に末法(末代)に入つて二百余年

  一義に云く、人王七十代()冷泉院(れいぜいいん)永承(えいしょう)(みずのえ)(たつ)年(1052年)に末法に入って已来(このかた)、当抄述作の人王八十九代亀山(かめやま)院の文永九(みずのえ)(さる)(1272年)に至るまで二百二十年なり。故に「二百余年」というなり。

  今謂く「日蓮案云」の四字は当抄述作(じゅっさく)の時なり。「世すでに末代に入つて」の下は(かえ)って宗旨(しゅうし)建立(こんりゅう)の少し已前、御(しゅ)()の相なり。故に(けん)(ちょう)四、五年の時に在り。故に末法に入って二百一、二年に当る、故に「余」と云うか。

一 辺土に生をうけ

  一義に云く、日本を指して「辺土」というなりと。一義に云く、房州小湊(こみなと)を指して「辺土」というなりと。

(いま)は後の義に(したが)うべし。中興抄の如し云云。十八十七。

一 其の上下賤(げせん)

  「辺土」にも貴姓あり、「下賤」にも豊富あり。今並びに(しか)らず、故に「其の上」というなり。

  問う、()が祖、何ぞ下賤の家に生まれたもうや。

  答う、(およ)そ末法下種の法華経の行者は、三類の強敵(ごうてき)を招くを以て、用いてその義を(あらわ)す。吾が祖()し貴姓の豪家に生まれたもうならば、仮使(たとい)折伏修行を励むと(いえど)も、三類の強敵の(きそ)(おこ)るべきこと(かた)からん。()(しか)らば、何を以てか法華経の行者なることを(あらわ)さんや。(いわん)(また)悲門は下を妙と()す、即ちこれ慈悲の極みなり。例せば聖徳太子の誓願(せいがん)の如し。太子伝の下に云く「今此の国に(おい)て妙義(いま)()らず。(くらい)(ちょ)(くん)と為すならば、門戸に到って説くことを得ず。今思えらく、此の身命を捨てて微家に託生(たくしょう)し、出家入道して衆生を救済せんと。是れ我が発願(ほつがん)なり」等云云。蓮祖も(また)(また)この意なり。

つづく


開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-07-05 19:33 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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