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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 06月 28日

開目抄愚記 上二四


一 本門にいたりて
()(じょう)正覚(しょうかく)をやぶれば四教の果をやぶる等文

 この下は今本の得を明かす。また二あり。初めに迹を破して本を(あらわ)し、次に「九界も無始(むし)」の下は所詮(しょせん)の三千を明かす。

「然るに善男子、我実に成仏して」の文は即ち始成正覚を破するなり。

「四教の果をやぶる」等とは、即ち玄文第七の本因・本果の下の如し。大師、一に近の故、二に(せん)(じん)不同の故、三に被払(ひふつ)の故の三義を以てこれを破するなり。本果の中には(つぶさ)()(ぜん)・迹門の仏果を()げてこれを破し、本因の広釈の中には(ただ)爾前の因のみ挙げ、迹門の因を挙げず。これ則ち略釈の中に、(すで)に大通の因を挙ぐる故なり。故に「爾前迹門の十界の因果を打ちやぶって」というなり。
 「十界の因果」等とは、これ十界各具の因果に非ず。九界を因と()し、仏界を果と為す。例せば九界を権と為し、仏界を実と為すが如し。()し蔵通二教の中に、依報(えほう)(ただ)六界を明かすのみと(いえど)も、正報には十界を明かすなり。別円は知るべし。上の文に「四教の因果」とはこれ(のう)(せん)の教に約し、今「十界の因果」というはこれ所詮(しょせん)の法に約す。能所(こと)なりと雖も、その意はこれ同じきなり。並びに釈尊の因を()げ、通じて九界を収むるなり。

(これ)即ち本因本果の法門」とは、また(げん)文第七の如し云云。

一 九界も無始(むし)の仏界に具し等文

 経に本果常住を説いて云く「我実(がじつ)成仏已来(じょうぶついらい)無量(むりょう)無辺(むへん)」と云云。故に「無始の仏界」というなり。経に本因常住を説いて云く「(しょ)(じょう)寿命(じゅみょう)今猶(こんゆう)未尽(みじん)」等云云。故に「無始の九界」というなり。(すで)にこれ本有(ほんぬ)常住(じょうじゅう)の十界()()なり。(あに)(まこと)の一念三千に非ずや。これを事の一念三千と名づくるなり。これ(すなわ)ち本因・本果に約して一念三千を明かす故なり。神力の(しょ)に云く「因果は是れ深事」と云云。()し迹門に於ては諸法実相に約して一念三千を明かす。故に理の一念三千というなり。(まさ)に知るべし、今日、迹本二門の事理の三千は(とも)にこれ理の一念三千なり。文底下種の(じき)(たつ)(しょう)(かん)久遠(くおん)名字(みょうじ)の事の一念三千を(まこと)の事の一念三千と名づくるなり。文の元意、見るべし。(つぶさ)に上の(しゅ)(だつ)相対の下に弁ずるが如し云云、云云。またまた当に知るべし、台家(たいけ)観門の難信難解は、今教門に属するなり。

一 かうて・かえりみれば

  この下は三に諸宗の迷乱なり。

一 華厳(けごん)経の台上等文

  註中に梵網(ぼんもう)経を引くが如し。

一 水中の月に実の月の想いをなし

  註中に()一下二十五の大論僧祇(そうぎ)(りつ)を引くが如し。

一 天月を()らず等文

  (げん)第七、本因妙の下の如し。これ体外(たいげ)の迹に(たと)うるなり。若し本果妙の下に「本より迹を()れ、月の水に現ずるが如し」とは、体内の迹に譬うるなり云云。若し文の元意は、文底(もんてい)下種の本仏を識らず、故に天月をも識らずというなり云云。

            つづく
開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-06-28 20:42 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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