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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 26日

法華経を頼み詣らせ候へば(略)国王一人の太子の如し、如何でか位に付かざらんと説いた【上野殿御返事 】

【上野殿御返事(熱原外護事)】
■出筆時期:弘安三年(西暦1280)七月二日 五十九歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は前月の6月15日、南条時光が成人(16歳)になった弟の五郎とともに、身延の大聖人もとへ見参された事への返書となっています。その時時光は、大聖人門下となった神主を庇護していることについて相談したものと思われ、それに対し「しばらく、かうぬし等をば、これ(身延の草庵)へとをほせ候べし」と指示しておられます。これは前年の九月に起こった「熱原の法難」からまだ十ヶ月ほどしかたっておらず、熱原の農民を庇護してきた時光に対し、陰に陽に幕府の圧力がかかっている事を憂いていた大聖人の心遣いが見て取れます。また文末では「我等は法華経をたのみまいらせて候へば、あさきふちに魚のすむが、天くもりて雨のふらんとするを魚のよろこぶがごとし。しばらくの苦こそ候とも、ついにはたのしかるべし。国王一人の太子のごとし、いかでか位につかざらんとおぼしめし候へ」と諭し、たった一人の太子は将来必ず国王になるように、法華経をたもつならば必ず成仏すると断言されております。
■ご真筆: 富士大石寺 所蔵

[上野殿御返事(熱原外護事) 本文]
 去ぬる六月十五日のけさん(見参)悦び入つて候。さては・かうぬし(神主)等が事いままでかか(抱)へをかせ給いて候事ありがたくをぼへ候。ただし、ないない(内内)は法華経をあだませ給うにては候へども、うへ(上)には、た(他)の事によせて事かづ(託)け、にくまるるかのゆへに、あつわらのものに事をよせて、かしこ、ここをもせ(塞)かれ候こそ候いめれ。

 さればとて上に事をよせて、せかれ候はんに、御もちゐ候はずは、物をぼへぬ人にならせ給うべし。を(居)かせ給いて、あしかりぬべきやうにて候わば、しばらく、かうぬし等をば、これへとをほ(仰)せ候べし。

 めこ(妻子)なんどはそれに候とも、よも御たづねは候はじ。事のしづまるまで、それにをかせ給いて候わば、よろしく候いなんとをぼへ候。

 よのなか上につけ下によせて、なげきこそををく候へ。よにある人人をば、よになき人人は、きじ(雉)のたか(鷹)をみ(見)、がき(餓鬼)の毘沙門をたのしむがごとく候へども、たかはわし(鷲)につかまれ、びしやもんは、すら(修羅)にせめらる。
 そのやうに当時、日本国のたのしき人人は、蒙古国の事をききてはひつじの虎の声を聞くがごとし。また筑紫へおもむきて、いとをしきめ(妻)をはなれ子をみぬは、皮をはぎ、肉をやぶるがごとくにこそ候らめ。いわうや、かの国より、おしよせなば、蛇の口のかえる(蟆)、はうちやうし(包丁師)がまないた(俎)にをけるこゐふな(鯉鮒)のごとくこそおもはれ候らめ。

 今生はさてをきぬ、命きえなば一百三十六の地獄に堕ちて無量劫ふ(経)べし、我等は法華経をたのみまいらせて候へば・あさきふち(淵)に魚のすむが、天くもりて雨のふらんとするを魚のよろこぶが・ごとし。しばらくの苦こそ候とも、ついにはたのしかるべし、国王一人の太子のごとし、いかでか位につかざらんとおぼしめし候へ。 恐恐謹言。

弘安三年七月二日         日 蓮 花押
上野殿御返事
人にしらせずして、ひそかにをほせ候べし。

by johsei1129 | 2019-11-26 21:06 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
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