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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 06月 10日

開目抄愚記 上二一

一 (なお)水中の月を見るがごとし

  (まさ)に知るべし、水月はこれ真の月に非ず、故に真の一念三千の(あらわ)れざるに譬うるなり。(また)法体の二失を(あらわ)すなり。

  問う、その相は如何(いかん)

  答う、水月の功能に准ずる故なり。

一には本無(ほんむ)(こん)()。玄七に云く「天月を()らず、(ただ)()(げつ)を観ず」と云云。天月を識らざるは(あに)本無に非ずや。但池月を観ずるは即ちこれ今有なり。

二には有名無実。恵心僧都(そうず)児歌(ちごうた)に云く「手に結ぶ水に宿(やど)れる月影の有るか無きかの世にも住むかな」と云云。月の名はありと(いえど)も、(しか)も実体なき故なり。

一 根なし草の波の上に浮べるににたり

  波に随えばその(ところ)定まらず、故に二乗作仏の定まらざるに(たと)うるなり。例せば小町が歌の如し。(いわ)く「(わび)ぬれば身を(うきぐさ)の根を絶えてさそう水あらばいなんとぞ思う」と云云。また、法体(ほったい)の二失を顕す、これ萍の功能に准ずる故なり。

  一には本無今有。小町の歌に云く「()かなくに何を種とて(うきぐさ)の 波のうねうね()いしげるらん」と云云。久遠(くおん)下種のたねを()かなくに、何を種として二乗(にじょう)作仏(さぶつ)の萍は、波のうねうね生いしげるらん云云。上の句は(ほん)()なり、下の句は(こん)()なり。

  二には有名(うみょう)無実(むじつ)()()()(がん)に云く「浮とは物の水上に浮くが如く()()ざるなり」と文。草ありと(いえど)も、()()(あに)有名無実に(あら)ずや。

(しか)れば(すなわ)ち迹門に諸法実相(じっそう)・一念三千を明かすと(いえど)も、大通下種・二乗作仏を明かすと雖も、未だ発迹顕本せざれば、本無今有・有名無実の一念三千・二乗作仏なり。故に「ま()との一念三千もあらはれず、二乗作仏も定まらず。(なお)水中の月、根なし草の如し」(取意)というなり。(また)(また)(まさ)に知るべし、(のう)(せん)の二乗作仏は(すで)に本無今有・有名無実の故に、所詮(しょせん)の一念三千も本無今有・有名無実なり云云。

  問う、啓蒙(けいもう)五・二十八に云く「未発迹の未の字は本迹一致の証拠なり。(すで)に発迹顕本し(おわ)れば、迹は即ち本なるが故なり」と云云。

  難じて云く、()(しか)らば未顕真実の未の字は、権実一致の証拠ならんや。(すで)に真実を(あらわ)(おわ)れば、権は即ち実なるが故なり。

  日講重ねて云く「権実の例難、(びゃく)(あん)の至りなり。若し必ず一例ならば、(すなわ)ち宗祖は何ぞ()が読む所の迹と名づけて(ただ)迹門を読み、予が()む所の権と名づけて弥陀(みだ)経を読まざるや」と云云。

  今(いわ)く、この難(はなは)だ非なり。何となれば権実・本迹は(とも)法体(ほったい)に約す。故に三時(こと)なりと雖も、その体は(つね)に定まれり。(けだ)()読誦(どくじゅ)は修行に約す。故に時に随い、機に随い、その相同じからず。故に宗祖云く二十三・四十一に云く「法華経は一法なれども機にしたがひ時によりて其の行万差なるべし」と云云。日講は(なお)修行を以て法体に混乱す。(いわん)や三時の()(きょう)を知らんをや。今、権実例難の明文を引いて(すべから)く日講が(もう)(げん)を開くべし。

  玄七・二十三に云く「問う、三世の諸仏(みな)本を顕すとは、最初(じつ)(じょう)()(かん)が本を顕さん。答う、必ずしも(みな)本を顕さず。問う、仏に若し始成・()(じょう)あって発迹(ほっしゃく)・不発迹あらば、亦応(またまさ)に開三顕一、不開三不顕一あるべしや」等云云。

  信解品(しんげほん)疏六・二に云く「()る人の言く、此の品は是れ迹なりと。私に(おもえら)く、義理は(すなわ)(しか)れども、文に()っては便ならず。何となれば仏は未だ本迹を説きたまわず、(なん)(たちま)ちに(あらかじ)め領せん。(かく)ならば未だ三を()せざるに(すで)(まさ)に一を悟るべし」等云云。

  文九・十八に云く「法華に(おん)を開き(おわ)んぬ。(じょう)不軽(ふきょう)(なん)(さら)(ごん)なるや。若し(しか)らば()()一し(おわ)って亦応(またまさ)に会三帰一せざるべしや」と云云。

  記九本三十四に云く「本門顕れ(おわ)って更に近ならば、亦応(またまさ)に迹門も会し已って会せざらんや」等云云。

  また五十四に云く「何を以てか(ねんごろ)に久成の徳を(そし)って釈疑(しゃくぎ)とするや。此れ若し釈疑ならば方便も(また)(また)現相の疑を釈するならん」等云云。

  治病抄に云く「本迹の相違は水火天地の違目(いもく)なり、例せば()(ぜん)と法華経との違目よりも(なお)相違あり」等云云。

  天台(てんだい)章安(しょうあん)(みょう)(らく)・蓮祖、一同に()くの如し、この聖師、皆(びゃく)(あん)ならんや。日講の無間(むけん)の業、(あわれ)むべし、悲しむべし。

             つづく


開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-06-10 22:29 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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