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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 06月 06日

開目抄愚記 上一九


一 爾前迹門のききを挙げて云く

  爾前・迹門の間は(ただ)伽耶(がや)()(じょう)()く故なり。初心成仏抄二十二・七に云く「四十二年の(きき)と今経の聴とをばわけ()()らぶべからず」と云云。或る本に「機宜(きぎ)」に作るは不可なり。

一 一切(いっさい)世間の天人等

  問う、何ぞ二乗・菩薩を挙げざるや。

  答う、二乗は開し(おわ)れば即ちこれ菩薩なり。若し諸菩薩は皆、三善道を摂するなり。これ本末の意なり。

十法界抄三十四・三十四に云く「爾前(にぜん)迹門(しゃくもん)の断無明(むみょう)の菩薩を『五十小劫・半日の如しと(おも)えり』と説く」「又天人・修羅に摂し『貪著(とんじゃく)()(よく)(もう)(けん)網中(もうちゅう)(乃至)』と説く」等云云。これ爾前・迹門の菩薩を以て三惑(さんなく)未断(みだん)()すなり。

一 皆今(乃至)と(おも)えり等

  健抄(ごんしょう)の意に云く「本迹勝劣は機情昇進(しょうしん)の一辺なり。故に皆謂えりと云う」と云云。啓蒙(けいもう)に難じて云く「(すで)に始成の説を聞き、即ち近情に(しゅう)す。何ぞ妙法を(えら)んで(ただ)機情のみを取らんや」と。

一 (しか)るに善男子・我実に成仏して

  この下は破権(はごん)(けん)(のん)なり。

  文九・二十二に云く「(しか)るに善男子の下は、執を破し迷を()ることを明かし、以て久遠(くおん)(ほん)を顕す」と云云。

(いわ)く「執を破し迷を遣ることを明かす」とは、即ち「然るに」に字の意を示すなり。(およ)そ「然るに」と言うは、上を(りょう)して下を生ずるの辞なり。上を領するが故に執迷といい、下を生ずるが故に破遣(はけん)というなり。「以て久遠を顕す」とは、即ち「我実に成仏して」の文なり。(ずい)(もん)(おだ)やかならず、(つぶさ)に文句の記の如し。

一 我実に成仏してより已来(いらい)無量無辺

  日健(にちごん)抄に一致相伝の義を示す。意に云く、この文、本迹一致の証拠なり。謂く「我実」は即ちこれ本門、「成仏」は即ちこれ迹門なり。又「我実成仏」は本門、「已来無量無辺」等は迹門なり。既に「本迹一致に説を(まじ)えたり」等云云。

  今破して云く、日健は盲虫、深く名利(みょうり)(ふけ)り、来生を怖れず、聖師の明判を捨て、愚人の相伝を執す、悲しいかな云云。

天台大師は玄文の第七に、正しく本地(ほんち)の三身を配して「我は是れ法身、成仏は報身、已来は応身なり」と云云。「成仏」の二字は既に本地の報身なり。何ぞ是れ迹門ならんや。「已来」はこれ本地の応身なり。何ぞこれを以て迹門と()んや。(いわん)や天台大師はこの文を科して「()(きん)(けん)(のん)」云云。迹の(ごん)(じょう)を破して、本の遠成(おんじょう)(あらわ)すが故なり。況や天台大師、(しょ)の第一に於て(まさ)しくこの文に()って迹門を権経方便と名づけ、本門を実経真実と名づくるをや。故に文に「約本開権顕実」というなり。智雲師云く「本の文に実成久遠と云う。何ぞ直ちに経文に依って(これ)を名づけざらんや」等云云。

宗祖はこの文に拠って迹門を未顕(みけん)真実と名づくるなり。故に十法界抄に云く「我実成仏は寿量品已前を未顕真実と云うに非ずや」と云云。自余(じよ)はこれを略す云云。

            つづく


開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-06-06 21:39 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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