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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 06月 06日

開目抄愚記 上一八


一 
仁王(にんのう)般若経

  彼の経の序品の文なり。科註上二十七、(げん)私十・四十。

一 此等は言うにたらず等

この下は迹門、また二あり。初めに序分、次に「法華経」の下は正宗

一 華厳の唯心(ゆいしん)法界(ほうかい)文。

華厳(けごん)二十六・三に云く「三界は唯一心、心外に別の法なし」等云云。同疏抄三十七上六十九。

一 方等・般若経等

句を隔てて見るべし。謂く、方等の海印(かいいん)三眛(ざんまい)、般若の混同無二なり。

  問う、海印三眛の法門はこれ華厳経に()でたり。故に五教章上に云く「()遮那(しゃな)の内証を海印三眛等と名づく」と云云。また伝教大師、無量義経の註釈中二十七に、華厳海空の文を釈して云く「海印三眛を名づけて海空と為す」等云云。何ぞ「方等の海印」等というや。

  答う、海印三眛の法門は(もと)方等大集経十三・二十三に出でたり。而して華厳師(これ)を借用するなり。玄真記第十・二十四に云く「海印三眛とは大集経十四に云く『一切の色像(しきぞう)、海中に皆菩薩を現ず。此の三眛を得て()一切(いっさい)衆生(しゅじょう)の心行を知る』と云云。華厳(けごん)宗の師はこの海印を借りて互融の義を釈す」已上。故に註釈の文は(しばら)く彼の師に准じて以て経文を(しょう)するなり。

  証真は(すで)に大集経を以て海印三眛の本拠(ほんきょ)()す。故に(いま)(ほう)(とう)に配するなり。朝抄(ちょうしょう)は不可なり。

般若(はんにゃ)の混同無二とは金錍論(こんぺいろん)十二に云く「般若は諸法混同無二」等云云。標指上五終に云く「般若経中始めは色心より(しゅ)()に終る。八十余科の一切の諸法を混同して一と為す」等云云。

一 (あるい)()(けん)真実(しんじつ)

  註釈中十六に云く「但随(ただずい)()方便(ほうべん)帯権(たいごん)の一乗を説くのみにて、(ずい)()真実(しんじつ)捨権(しゃごん)の一乗を顕さず。故に『未顕真実』と云うなり」略抄。

一 迹門八品等

  (ただ)正宗のみを()ぐ、故に八品というなり。これ序分の無量義を望んで来るが故なり。

一 久遠寿量をば秘せさせ給いて

  これ法華経の内に於ても時機未熟(みじゅく)の故なり。本尊抄八・十六。

一 されば弥勒(みろく)菩薩等

  この下は今本久遠、また二あり。初めに(うたがい)()げ、次に「教主釈尊此等の(うたがい)」の下は正しく答うなり。

一 遠からず道場に座して

  菩提道場の伽耶(がや)城を去ること、(つづ)むるに二十里あり。故に「遠からず」というなり。

一 教主釈尊此等の(うたがい)

  この下、正しく答う。また二あり。初めに(しゅう)(ごん)(いわれ)、次に「正しく此の疑」の下は破権(はごん)(けん)(のん)なり。初めの執近の謂にまた二あり。初めは能迷の衆、次に「皆(乃至)(おも)」の下は迷遠の(いわれ)なり。


              つづく
開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-06-06 21:35 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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