人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2015年 05月 23日

開目抄愚記 上十四

一 華厳(けごん)経には、前(先)後の経なければ等

  問う、後経(すで)にあり、何ぞ前後の経なからんや。

  答う、一義に云く、言は総、意は別なりと云云。一義に云く、加えて四菩薩の説、前後になき故なりと。一義に云く、法華の如く前後を望んで三説の超過(ちょうか)を論ずるの義これなきなりと云云。一義に云く、(すで)に初成道の故に前後なきことを知るべしと云云。第四の義、文に(のぞ)むればこれ分明(ふんみょう)なりと(いえど)も、大旨(たいし)に准ずれば(すなわ)(なお)これ不可(ふか)なり。

  今(いわ)く、文の大旨に云く、華厳(けごん)経の時は前後相違なし。何に由ってか大疑出来(しゅったい)すべきと云云。故に知んぬ、これ前後相違の前後にして華厳の前後には(あら)ざることを。意に云く、()し前経あらば華厳は後経なるべし。(すで)に前経なき故に華厳も後経に非ざるなり。これ法華に望む故にこの言あるなりと云云。

一 大集経乃至二乗を弾呵(だんか)せんがために等

  これ宗祖の発明にして、諸家の学者の知る所に非ざるなり。

  当体義抄に「菩薩(ぼさつ)処処(しょしょ)得入(とくにゅう)と釈すれども二乗を(きら)うの時一往(いちおう)得入(とくにゅう)の名を与うるなり」といえるも即ちこの例なり。

一 十方(じっぽう)浄土(じょうど)をとき等

  二乗弾呵(だんか)には即ち二意を含むなり。謂く、一には土に約す。謂く、十方に浄土(じょうど)を説いて凡夫・菩薩をして欣募(ごんぼ)せしめ、二乗の人を(わずら)わす。即ちこれ弾呵(だんか)なり。二には仏に約す。(いわ)く、十方(じっぽう)に仏を明かし、小乗の十方(ゆい)()一仏(いちぶつ)(おもい)を破る。またこれ弾呵なり。啓蒙(けいもう)の中に一意と()すは(かえ)って(おだ)やかならざるか。健抄(ごんしょう)の二義は少しく(みだり)にするに()たり云云。

一 (あるい)は十方に仏現じ等

  この下は六箇の「或」の字あり。初めの二は即ちこれ華厳(けごん)。第三は上にこれを出さざるも、経文に准ずるに即ち華厳・般若(はんにゃ)に当るなり。文八・三十九に云く「華厳も(また)十方の仏の同じく華厳を説くことを()く。大品も亦千仏の同じく般若を説くと云う」等云云。第四は即ちこれ大集経なり。第五は般若の舌相(ぜっそう)なり。第六は弥陀(みだ)経なり。

一 諸仏の舌をいだす・よしをとかせ給う

  これ弥陀経の(しょう)(じょう)会座(えざ)の大衆の見聞(けんもん)に非ざることを(あらわ)すなり。学者(まさ)に知るべし。

  問う、選択(せんちゃく)伝弘五・三十に云く「問う、()誠証(じょうしょう)とは此の衆をして他仏の証を聞いて信心を発起(ほっき)せしめんが為に、本国に於て誠実の語を説く。証誠するに足らず。答う、群疑論二に云く、不虚誑(ふこおう)舌相(ぜっそう)を現じて誠諦の真言を発し、衆生をして相を()、言を()き、疑を除き、信を生ぜしむと已上。此の会衆(えしゅ)(すで)に舌相を見、言説を聞くを許す、故に証誠の義を(じょう)ずるなり」と已上伝弘。この義如何。

 答う、弥陀経四紙一巻の中に(すべ)て相を()、言を聴くの事なし。何ぞ懐感の推度(すいたく)を用いんや。今、文を引いてこれを示さん。弥陀(みだ)経に云く「舎利弗、我(きょう)、阿弥陀仏の不可思議の功徳を讃歎(さんたん)するが如く、東方にも亦阿閦鞞(あしゅくび)仏・(しゅ)()相仏等の恒河沙(ごうがしゃ)数の諸仏有って、(おのおの)其の国に於て(こう)(ちょう)舌相を出し、(あまね)く三千大千世界を(おお)って誠実の言を説く。(なんだ)()衆生、(まさ)に是の不可思議の功徳を称讃(しょうさん)し、一切諸仏の護念する所の経を信ずべし。南西北方の三の下も亦(しか)なり」云云。今経文を見るに、(ただ)釈尊の説のみにしてこの会の見聞に非ざること、(あたか)白日(はくじつ)の如し。故に聞持記に云く「(けだ)し諸仏各各(おのおの)国に於て釈迦を(しょう)(さん)すと(いえど)も、此の土の衆生に知る者有ること無し」と云云。

一 (これ)ひとえに諸小乗経等

  問う、正しく十方(じっぽう)(ゆい)()一仏(いちぶつ)を破す。応に(ほう)(どう)般若(はんにゃ)の時に在るべし。何ぞ華厳を()ぐるや。

  答う、通じて始終(しじゅう)を談ずるか。

一 前後の諸大乗経等

 「前」とは即ち四十余年の諸経、「後」とは即ち八年の法華経なり。法華経の前後と()うに(あら)ず、これ(すなわ)ち前後相違の前後なるのみ。()(しか)らずんば何ぞ後の涅槃(ねはん)経に(のぞ)んで「(まさ)に魔の仏と()るに非ずや」の想を生ぜんや。

一 (しか)るを華厳・法相(ほっそう)

 この下は三に権実雑乱を破するなり。

つづく


開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-05-23 15:20 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


<< 開目抄愚記 上十五      開目抄愚記 上十三 >>