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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 09月 18日

八十二、熱原の三烈士、霊山に旅立つ

鎌倉の牢内はなおも苦しい戦いがつづいていた。

百姓たちは神四郎ら三人をのぞき、すべてが退転にかたむいた。十七人の百姓が神四郎、弥五郎、弥六郎を責めていたのである。
 彼らは伯耆房の激励にいったんは信心をかためたが、またも退転の心がわいた。

「なぜ左衛門尉様のいうことをきかない。おまえたちのせいで、こんなところにほうりこまれたのだ」

「いいかげんにあきらめろ。一生ここにいるのか。こうまで強情をはったら、左衛門尉はどんなことをするかわかったものでないぞ」

「飯も満足に食べられない。これが限界だ。いままでよくやったのだ。満足ではないか。このままでは全員飢え死ぬだけだ」

仏と魔との戦いだった。

神四郎ら三人がなにをいってもむだだった。三人はひたすらだまり、耐えるしかない。かれらにも限界が近づいていた。

この時、牢内が静まった。

頼綱の長男宗綱があらわれたのである。

宗綱は静かに告げた。

「あす神四郎、弥五郎、弥六郎の三人が斬首の刑ときまった」

百姓が仰天した。

宗綱はわめく百姓をなだめた。

「それでどうだ。死罪とひきかえに法華経を捨てるのだ。お前たちが日蓮を捨てて念仏に帰れば、三人はもとより全員が無罪放免となる」

長男の目はやさしかった。

十七人の百姓がうなずいた。鬼のような侍どものなかで、この長男だけは信用できた。げんにこうしてかばってくれているではないか。

だが神四郎、弥五郎、弥六郎はかたい表情でだまったままである。

十七人が三人にすがった。

「神四郎、お前にいかれたらだれを頼っていけばよいのだ。熱原に帰ろう。われらを見捨てないでくれ。たのむ」

弥五郎、弥六郎もすがりつかれるが、なおも表情をこわばらせて動かない。

宗綱があきれ顔になって三人を見つめた。

「おまえたち、妻子はないのか、命が惜しくはないのか。このままでは身を粗末にするだけではないか。わたしのいうことがうそだと思うのか。わたしは起請してもよい。おまえたち三人の命は安堵するのだ。なぜだまっている」

神四郎は宗綱の言葉をきかず十七人に語りかけた。その声はすみきっていた。

「おまたち、われらは心の田畑に仏の種を植えたのではなかったか。ここで枯らしてどうする。春に種をまき、秋には実る。丹誠こめて水をやり大事に育てる。やがて春の日ざしとやさしい夏の雨がふりそそぐ。自分で種をつんでは実りはないぞ。どんな困苦があろうと、どんなに脅されようと、法華経の種を絶やしてはならぬ。これがわたしの遺言だ」

百姓たちはわめいたが、神四郎はほほえんだ。

「なぜ泣く。わたしが首をはねられるのがむだ死にだというのか。わたしはおまえたちの肥やしになるのだ。お前たちは法華経を最後まで信じとおした証人として生きよ。そうだ、これからも妙法をうけ、(たも)つ者たちがあらわれるだろう」

神四郎が宙を見つめる。

「彼らもわれらと同じく大難にあうだろう。その時、われらを思いだす。最後まで法華経を信じとおしたわれらを。大難に屈せず潔く、法華経のほかには仏になる道なしと題目を唱える者たちだ。聖人を愛し、国を思い、ひとたび決意したならば、決然とやりとげる人たちだ。そんな人たちが地からわきでるようにあらわれる。われらは彼らのために手本となろう。そのことを思うだけで満足だ」

神四郎が宗綱にむかって正座した。

「聞いてのとおりでございます。わたくし神四郎の首はさしあげますが、弥五郎、弥六郎の両名はどうか安堵のほど、よろしくお願いたてまつります」

ここで弥五郎がにこやかにいった。

「神四郎、なにをいう。水くさいぞ。ともに誓った仲ではないか。最後まで一緒だぞ」

弥六郎もにこやかだった。

「そのとおり。善につけ悪につけ法華経を捨つるは地獄の業なり。神四郎、おぬし功徳をひとりじめにする気か」

三人が無限の悦びとともに手をとりあった。

神四郎は涙ながらにつぶやいた。

「異体同心だな」

「まったく。最後の最後で三人がひとつになれた」

「日興上人のおかげだな」

三人が牢内で高らかに笑いあった。十七人の百姓が三人に手を合わせていく。

神四郎は立ちつくしている平宗綱に告げた。

「わざわざこのようなところにお越しいただき、恐縮にございます。さりながらわれらはあなた様のようなかたを悪知識と呼んでおります。どうぞお引きとりくださいませ」

宗綱が信じられない顔で、ふりかえりふりかえりながら出ていった。

三人はその夜、一睡もせず談笑し、心から楽しんだという。

弘安二年十月十五日の朝、三烈士は呼びだされた。

「熱原の法華講衆、神四郎、弥五郎、弥六郎、でませい」

のこった百姓は涙とともに題目を唱えはじめた。嗚咽のまじった唱題だった。牢内に妙法がひびきわたる。

明るい空の下、縄でくくられた三名が目かくしされ正座した。

三人の口元に満足の笑みがうかび、静けさがただよった。これで思いのこすことはない。

その時である。

屋敷の外から神四郎の妻子が絶叫する声がきこえてきた。

「おとう」

「あんた」

この声を聞いて神四郎の心がはげしくゆれた。

彼は弾圧から今にいたるまで、妻子を思わない日はなかった。だが心に心を戦わせ、今まできた。しかしここで命よりも大切な妻子の生の声を聞いて、がく然としてしまった。

「このまま妻や子をのこして死ぬのか・・」

神四郎は無念の思いとともに涙をうかべた。心中に逆風がうずまき、退転の心が走った。

と同時に、彼は日蓮大聖人の言葉を思いだした。

我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然(じねん)仏界(ぶっかい)にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけん。つたなき者のならひは約束せし事を、まことの時はわするゝなるべし。妻子を不便(ふびん)とおもうゆへ、現身にわかれん事をなげくらん。多少曠刧(こうごう)にしたしみし妻子には、心とはなれしか、仏道のためにはなれしか、いつも同じわかれなるべし。我法華経の信心をやぶらずして、霊山にまいりて返ってみちびけかし。  『開目抄

日蓮門下であれば、だれもが口ずさむ一節だった。

神四郎は自分でも不思議なほど動じなくなった。迷いから()め、決然と覚悟した。この間、一瞬である。

神四郎の口元に笑みがうかんだ。

三人が目かくしをされながら語りあう。

「神四郎」

「おお弥五郎か」

「首をはねられて、われらはどこへいく」

神四郎のこたえはさわやかだった。

「日蓮聖人は、千の仏がわれらをむかえにくるというておられるぞ」

弥六郎が感嘆した。

「ほう千仏か。それは頼もしい」

「そしておそれなく、悪道におちることなく、霊山浄土にはこぶというぞ」

神四郎が最後にいった。

「弥五郎、弥六郎。また会おう」

「おお」

三烈士がしずかに首をかたむけた。

武士が緊張して背後にまわった。

甲斐では日蓮が大御本尊に祈っていた。そして全信徒が唱和した。

三人も題目を唱えはじめた。その声は大空にこだましていった。

刀剣がふるえながら高くあがり、おろされて三人の声がとまった。

牢内では十七人の百姓が格子をつかんで狂ったように叫んだ。

「わたしも首をはねてくだされ」

「わたしもここで死にまする」

警護の役人は百姓が発狂したと思って逃げだした。
 すれちがった平頼綱親子がこの異様さにたじろいだ。

頼綱が命じた。

「なんという者どもだ。こやつら全員の首をはねろ」

次男の為綱が刀をぬくが、長男の宗綱がすがりつく。

「父上、ここはお考えくださいませ。ここで百姓全員の首をはねてしまえば、評定はあきらかにわれらの負けですぞ。百姓の口をふさいだわれらは世間でなんといわれるか。鎌倉殿からもおとがめがあるはず」

頼綱は長男を鞭打ち、しばらく怒りにふるえた。

「よかろう、打ち首は三人で終わりだ。残りの宗徒は放免してやれ。だがな、評定はわれらが必ず勝つ」

この事態を受け、現地で農民信徒を励ましていた伯耆房(ほうきぼう)日興は、直ちに急使を立て身延の大聖人へ報告する。伯耆房の手紙は翌々日の十月十七日(とり)(午後六時頃)には日蓮のもとに到着する。

 日蓮はこの書を見て直ちに次の書状をしたため、その日の(いぬ)(午後八時頃)には伯耆房に送っている。

今月十五日酉時御文同じき十七日酉時到来す、彼等御勘気を(こうむ)るの時、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱え奉ると云云。(ひとえ)に只事に非ず、定めて平金吾の身に十羅刹(らせつ)入り(かわ)りて法華経の行者を試みたもうか。例せば雪山童子、尸毘(しび)(おう)等の如し。()(また)悪鬼其の身に入る者か。釈迦・多宝・十方の諸仏・(ぼん)(たい)等、五五百歳の法華経の行者を守護す可きの御誓(おちかい)は是なり。大論に云く、能く(どく)を変じて(くすり)と為す。天台云く(どく)(へん)じて薬と為す云云。妙の字(むな)しからずんば定めて須臾(しゅゆ)賞罰(しょうばつ)有らんか。

伯耆房等、深く此の旨を存じて問注(もんちゅう)()ぐ可し。平金吾に申す可き様は、文永の御勘気の時聖人の仰せ忘れ給うか、其の(わざわい)未だ(おわ)らず重ねて十羅刹の罰を招き取るか、最後に申し付けよ。恐恐。  

十月十七日戌時   日 判                                       聖人等御返事                                                        この事()ぶるならば此方には()がなしとみな人申すべし。又大進房が落馬あらわるべし。あらわれば人人ことに()づべし、天の御計らいなり、各にはおづる事なかれ、()よりもてゆかば定めて子細()でき()ぬとおぼふるなり。今度の使にはあわぢ(淡路)房を遣すべし。 『聖人等御返事

日蓮はこの手紙で、熱原の三烈士が処刑されるまで「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱えていたことは「偏に只事に非ず」と驚嘆されるとともに「経文の半偈(はんげ)を聞く為に鬼に身を投げ出した釈迦前世の雪山童子の如し」と讃えられている。
 実際に日蓮門下で、法華経を信仰するがゆえに処刑の場に立たされたのは「竜の口法難」の日蓮以外では、熱原の三烈士だけである。佐渡流罪の時には日朗を含む五人の弟子・信徒が投獄されているが、処刑までは至っていない。本書の宛名は聖人等御返事になっている。実際は日興上人へ送られているが、他の手紙では宛名はすべて「伯耆殿」となっている。また日興上人の弟子で、ともに熱原の農民を励ましていた日秀、日弁に対しては同じ年の十月十二日の伯耆房殿御返事で「日秀、日弁等へ下す」と記している。
 日蓮は宛名に聖人と付けたのは過去に日妙聖人ただ一人で、そのほかは上野殿に対し上野賢人と言う宛名を記しているだけである。佐渡流罪の法難で投獄された日朗に宛てた手紙でも宛名は「筑後殿」となっている。いわば身内とも言える弟子への手紙で、聖人と宛名を記した御書は一つもない。
 日蓮は、日興からの手紙は、事実上は熱原の三烈士が日興に託した熱原の三烈士そのものからの手紙と受けとめ、法難で死した三烈士を弔って日蓮が与えた称号であろうと強く推察される。



               八十三、 永遠なれ、熱原の三烈士 につづく

下巻目次
 



by johsei1129 | 2017-09-18 10:09 | 小説 日蓮の生涯 下 | Trackback | Comments(0)


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