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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 12月 01日

「三月一日より四日にいたるまで」身延の地に大聖人をお訪ねした人が、莚三枚とわかめ一籠を御供養したことに対する御礼の書」

【莚(むしろ)三枚御書】
■出筆時期:弘安五年(西暦1282)三月 六十一歳御作。
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:本書は「三月一日より四日にいたるまで」身延の地に大聖人をお訪ねした某御信徒が、莚三枚とわかめ一籠を御供養したことに対する御礼の書となっております。本抄の題号もこの御供養の品にちなんで名づけられました。
 大聖人は「三月一日より四日にいたるまでの御あそびに心なぐさみて、やせやまいも・なをり、虎とるばかり・をぼへ候」と認められ、四日間の滞在で時光の病状の回復を見届け、自らの痩せ病も「虎を射止めることができる程良くなった」と、時光の回復を非常に喜ばれていることが文面に現れております。大聖人はこの書に先立つ二月二十五日には日興上人に時光に護符を与えるよう指示し、さらに二十八日には同じく伯耆房(日興上人)への手紙(法華証明抄)で「天魔、外道が病をつけてをどさんと試み候か」と、時光を励まされておられます。後に大石寺の開基檀那となった南條時光を、如何に大切な信徒として思われていたかが本書でもよくわかります。尚本書の文末部は残念ながらかけております。
■ご真筆: 富士大石寺 断簡所蔵
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[莚(むしろ)三枚御書 本文]

 莚(むしろ)三枚・生和布(わかめ)一篭(こ)・給い了んぬ。
 抑三月一日より四日にいたるまでの御あそ(遊)びに心なぐさみて、やせやまい(痩病)も・なをり、虎と(捕)るばかりをぼへ候上、此の御わかめ給びて・師子にの(乗)りぬべく・をぼへ候。

 さては財(たから)はところ(処)により・人によつてかわ(異)りて候。此の身延の山には石は多けれども餅なし。こけ(苔)は多けれども・うちしく物候はず。木の皮をは(剝)いでしき物とす。むしろ(筵)いかでか財とならざるべき。

 億耳居士(おくじこじ)と申せし長者は足のうらに・け(毛)のを(生)いて候いし者なり。ありき(歩行)のところ・いへ(家)の内は申すにをよばず、わた(綿)を四寸しきて・ふみし人なり。これは、いかなる事ぞと申せば、先世にたうとき僧にくま(熊)のかわを・しかせしゆへとみへて候。

 いわうや日本国は月氏より十万より(余里)をへだてて候。辺国なる上・へびす(夷)の島・因果のことはり(理)も弁えまじき上・末法になり候いぬ。仏法をば信ずるやうにて・そし(謗)る国なり。

 しかるに法華経の御ゆへに名をたたせ給う上、御むしろを法華経にまいらせ給い候いぬれば。 

 


by johsei1129 | 2019-12-01 14:57 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)


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