第十一段 一仏二言難信の相
一 法華経の現文等文。
この下は釈、二あり。初めに権迹相対、次に「二には教主」の下は本迹相対なり。初めの権迹相対の文を分ちて三と為す。初めに正しく明かし、次に「但在世は」の下十九は滅後の難信、三に「此の法門は迹門と爾前と相対して」の下は結なり。初めの正しく明かすにまた二あり。初めに列名略示、次に「其の故は仏」の下は広く一仏二言難信の相を明かす。
一 此等の人人等文。
次上は列名なり。この下は略して難信を示すなり。
一 其の故は仏世尊等文。
この下は広く明かす。また三あり。先ず一仏実語の人なることを示し、次に「此の大人」の下は二言相違を明かし、三に「而るを後八年」の下は難信の相を示すなり。二言相違を明かす中に先ず迹門の意を挙げ、次に爾前の文を引く。
第十二段 爾前の永不成仏の文を引く
一 而れども爾前の諸経等文。
この下は爾前の永不成仏の七文を引く。第一に華厳、第二の大集経、第三に維摩経、第四に方等陀羅尼経、第五に大品般若経、第六に首楞厳経、第七に浄名経なり。
一 大方広仏等文。
八十の華厳第五十一、如来出現品第三十七の二の文なり。華厳疏抄五十一・四十紙に経文を載せたり、註中所引の如し。これを以て釈の意を知るべきなり。
一 大集経文。
第二に大集経第十八巻、不可説菩薩品の第八・十七の文なり。「必ず死して活きず」とは本経に云く「必ず死して治せず」と云云。「亦是くの如き」とは本経に「亦是くの如し」と云云。
一 二百五十戒。
朝抄二・十七、三蔵法数十二・二十六に云く「二百五十戒各四威儀あり。故に一千を成じて三世に約す。故に即ち三千を成ずるなり」と。
一 味・浄・無漏。文
根本味禅とは地々愛味を生ずる故なり。根本浄禅とは六妙門十六特勝通明禅なり。無漏禅とは観練薫修なり云云。
一 阿含経をきわめ文。
阿含経を究むれば即ちこれ智慧なり。故に戒定慧の三学なり。
一 第三(維摩)経等文。
第三に維摩経中十六の文なり。これ則ち優婆塞支謙所訳の本なり。意穏やかならず云云。若し什師所訳の維摩経は第七・四紙に出でたり云云。
一 塵労の疇文。
貪瞋癡を指して「塵労」と名づくるなり。塵はこれ六塵、労はこれ労倦なり。塵に由って労を成ず。故に塵労と名づく。また塵はこれ塵染、労はこれ労苦なり。染心勤苦す。故に塵労と名づく。即ちこれ依主持業の両釈なり。「疇」はまた「儔」に作る。楚辞の王逸が註に云く「二人を匹と為し、四人を儔と為す。通じて疇に作る」と云云。
つづく
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