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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 05月 12日

開目抄愚記 上八

第六段 文底(もんてい)真実を判ず

一 但し此の経等

第三(しゅ)(だつ)相対の文底真実の文、分ちて二と為す。初めに正釈、次に「一念三千は十界」の下は広く諸宗を(えら)ぶ。初めの正釈に二あり。初めに略して(じゅく)(だつ)の三千を明かして諸宗を簡ぶ。次に「一念」の下は正しく下種の三千を明かし、正像未弘(みぐ)を示す。

文に「二十の大事」とは、異本に「二()の大事」と云云。末師(まっし)皆「二十の大事」を以て正と為す云云。今(いわ)く「二十の大事」とは(おそ)らくは文に便(よろ)しからざる故に「二箇の大事」を以て(まさ)に正と為すべきなり。言う所の二箇の大事とは即ちこれ迹門熟益(じゅくやく)の理の一念三千・本門脱益(だっちゃく)の事の一念三千なり。故に二箇の大事というなり。この一念三千を倶舍(くしゃ)等の五宗は名目(みょうもく)をも知らず。華厳(けごん)・真言の二宗は、(ひそか)に盗んで自宗の骨目(こゆもく)となすなり。

()くの如く熟脱の本迹、事理(こと)なりと(いえど)も、一代応仏(おうぶつ)(いき)をひかえたる方は、理の上の法相(ほっそう)なれば一部(とも)に理の一念三千なり。故に脱益の本門を事の一念三千と名づくと雖も、これ真の事の一念三千に非ず。真の事の一念三千の法門・久遠下種の名字(みょうじ)の妙法は、一代経の中には(ただ)法華経、法華経の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底に秘沈(ひちん)するなり。故に「一念三千文底秘沈」というなり。此くの如き事理の三千は、竜樹(りゅうじゅ)(てん)(じん)は知ってしかも(いま)だ弘めず、天台(てんだい)智者は(ただ)理具を弘め、未だ事行を弘めざる故に「これをいだ()けり」というなり。

本尊抄八・三十六に云く「像法の中末に観音(かんのん)(やく)(おう)南岳(なんがく)・天台等と示現(じげん)し出現して迹門を以て(おもて)()し本門を以て裏と為して百界千如・一念三千其の義を(つく)せり、但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く(これ)(ぎょう)ぜず」と云云。この文の(こころ)()くこれを思うべし。略して文相を(しょう)(おわ)んぬ云云。

問う、(じゅく)(だつ)の三千を()げて諸宗を(えら)(こころ)如何(いかん)

答う、(ただ)天台のみこの法門を得たまうことを(あらわ)すなり。
 問う、下種の三千を挙げて正像未弘を示す(こころ)、如何。

答う、末法流布の大白法なることを顕すなり。(まさ)に知るべし、蓮祖はこれ文底下種の法華経の行者(ぎょうじゃ)なり。故に今、()(しょ)()法体(ほったい)を示し、次に広くその事を明かすなり云云。学者深く(しん)()に染めてこれを思え。また本尊抄八・十四云云。

問う、(しゅ)(だつ)相対は(じん)(じん)の秘法なり。故に浅きより深きに至って(まさ)に第五に明かすべし。即ち本尊抄の次第の如し。今何ぞ第三にこれを明かすや。

答う、今、次上の義の便(よろ)しきを受けて即ち(ここ)にこれを明かすなり。所謂(いわゆる)(つつし)んで釈迦・多宝(たほう)十方(じっぽう)分身の御本意を案ずるに、(ただ)(まさ)しく文底下種の妙法に()り。故に(みょう)(らく)(せん)一末十二に云く「方便品の初めに近くは五仏の権実を(たん)ずと(いえど)も、(こころ)は実に(ひそか)に師弟の長遠(ちょうおん)を歎ず」と云云。師弟は即ちこれ本因・本果なり。近くは脱家(だっけ)の本因・本果を()し、遠くは種家(しゅけ)の本因・本果を歎ずるなり。種家の本因・本果とは久遠(くおん)名字(みょうじ)の妙法・事の一念三千なり云云。

(りゃっ)(かい)の始めすら(なお)(しか)なり。後々(のちのち)(じゅん)じて知るべし。故に知んぬ、釈尊の「久遠真実」の金言(きんげん)、多宝の「(かい)()真実」の証明、分身諸仏の(こう)(ちょう)舌相(ぜっそう)、実に本意を尋ぬれば、(もっぱ)ら文底下種の妙法に在ることを。故に下山抄二十六・四十四に云く「実には釈迦・多宝・十方の諸仏・寿量品の肝要(かんよう)たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為なりと(いだ)し給う(こう)(ちょう)(ぜつ)なり」と云云。この中の「寿量品の肝要」とは、肝要即ちこれ文底なり。文底は即ちこれ肝要なり。故に肝要・文底は眼目(げんもく)の異名なるのみ。(すで)に三仏の本意は実に文底下種の妙法に在り。故に今、次上の義の便(よろ)しきを受けて即ち(ここ)にこれを明かすなり。

(まさ)に知るべし、文は第三に明かすと雖も、義は必ず第五に在り。故に、「(ただ)法華経の本門・寿量品の文の底」というなり。「但法華経」の一句は即ち二意を含む。一には一経三段、(ごん)(じつ)相対の第二なり。二には迹門三段、即ち権迹相対の第三なり。(まさ)に順逆を以てこの二意を知るべし。「本門・寿量品」とは本門の三段、本迹相対の第四なり。「文底秘沈(ひちん)」は即ち文底に三段、(しゅ)(だつ)相対の第五なり。(あに)浅きより深きに至る次第、(たが)わざるに(あら)ずや。

一 文底秘沈(文の底にしづめたり)

問う、これ(いず)れの文と()んや。 

答う、他流の古抄に多くの義勢あり。

一に(いわ)く「如来(にょらい)如実(にょじつ)知見(ちけん)」等の文なり。この文は能知見を説くと雖も、(しか)も文底に所知見の三千あるが故なりと云云。

二に謂く「()(こう)良薬(ろうやく)」の文なり。これ則ち良薬の体、これ妙法の一念三千なるが故なりと。

三に謂く「如来(にょらい)秘密(ひみつ)神通之力(じんつうしりき)」の文なり。これ(すなわ)ち、文の(おもて)は本地相即の三身を説くと雖も、文底に即ち法体(ほったい)の一念三千を含むが故なりと。

四に謂く、(ただ)寿量品の題号の妙法なり。これ則ち本尊抄に「一念三千の珠を(つつ)む」(取意)というが故なりと。

五に謂く、通じて寿量一品の文を()す。これ則ち発迹(ほっしゃく)顕本(けんぽん)の上に一念三千を(あらわ)すが故なりと。

六に謂く「然我実(ねんがじつ)成仏已来(いらい)」の文なり。これ則ち秘法抄にこの文を引いて(まさ)しく一念三千を証し、御義口伝に事の一念三千に約してこの文を釈する故なりと云云。

今謂く、諸説皆これ人情なり。何ぞ聖旨に(かかわ)らん。

問う、正義は如何(いかん)

答う、これはこれ当流一大事に秘要なり。(しか)りと(いえど)も、今一言を以てこれを示さん。謂く、御相伝に云く本因(ほんにん)(みょう)の文なり云云。()し文上を論ぜば(ただ)住上に在り。故に「寿命(じゅみょう)未尽(みじん)」というなり。若し住上に(あら)ずんば、(なん)(じょう)寿(じゅ)を得ん。故に大師、この文を釈して「初住に登る時、(すで)に常寿を得たり」と云云。(まさ)に知るべし、後々(のちのち)の位に登る所以(ゆえん)は並びに前々(さきざき)の所修に()る。故に知んぬ、「()本行(ほんぎょう)菩薩(ぼさつ)(どう)」の文底に久遠名字の妙法を秘沈(ひちん)し給うことを。蓮祖の本因妙抄に云云。興師(こうし)文底大事抄に云云。秘すべし秘すべし云云。

                  つづく


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by johsei1129 | 2015-05-12 16:42 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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