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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 05月 12日

開目抄愚記 上七 

第四段 内外(ないげ)相対して判ず

一 三には大覚(だいかく)()(そん)文。

 第三に内典(ないてん)を釈す、中にまた二あり。初めに一代の(せん)(じん)を判じ、(じゅく)(だつ)(さん)(とく)の大恩を(あらわ)す。二には「(ここ)に日蓮案じて云く世すでに」の下は、蓮祖はこれ法華経の行者(ぎょうじゃ)なることを明かし、末法下種の三徳の深恩を顕す。初めにまた二あり。初めに能説(のうせつ)の教主を()げ、以て三徳を歎釈(たんしゃく)す。次に「此の仏陀(ぶつだ)」の下は、所説の教法を挙げ、以て浅深を判釈す。初めにまた二あり。初めに標、次に「外典(げてん)」の下は儒外(じゅげ)に対して釈す。

  釈の文意に云く、彼は(すで)三惑(さんなく)未断の凡夫なり。何ぞ彼を船と()して生死(しょうじ)の大海を渡るべけんや。何ぞ彼を橋と為して六道の(ちまた)を越ゆべけんや。()が釈迦大師は二死(にし)究竟(くきょう)の極意、三惑(さんなく)頓断(とんだん)の大聖なり。(あに)これを船と為して生死の大海を渡らざらんや。(あに)これを橋と為して六道の(ちまた)を越えざらんや。故にこれ「大橋梁(きょうりょう)・大船師(せんし)」なり。またこれ「大導師(どうし)・大眼目(げんもく)・大福田(ふくでん)」なり云云。

 問う、この中には(ただ)師徳を明かす。何ぞ(さん)(とく)(たん)ずというや。

 答う、これは儒外内(じゅげない)の釈にして影略(ようりゃく)()(けん)なり。(いわ)く、儒の中には但主君を()げ、()の二徳を略す、故に但諸臣の頭目、万民の棟梁(とうりょう)というなり。()し外道の中には主親の二徳を挙げ、師徳を略するなり。故に一切衆生の慈父(じふ)・慈母・天尊・主君というなり。

 今、内典の中には、主親の二徳を略して但師徳を挙ぐるなり。これ(すなわ)ち影略互現して以て(おのおの)三徳を(あらわ)すなり。故に(ただ)師徳を挙ぐと(いえど)も、今、意を取って三徳を歎ずというなり。学者これを思え。「大覚(だいかく)()(そん)」の名義は弘一上十八に、「大導師」等は北本、涅槃(ねはん)経三十三・四、その外は末抄に云云。

一 此の仏陀(ぶつだ)

  この下は所説(しょせつ)の教法を挙げ、以て(せん)(じん)を判ずるなり。(まさ)にこの文の起尽(きじん)を知らんとするに、(すべから)く五種の三段を(りょう)すべし。本尊抄にこれを明かす。今、意を取ってこれを示すなり。

  第一には一代一経の三段。文に云く「一代の諸経(そう)じて之を(くく)るに(ただ)一経なり、始め寂滅(じゃくめつ)道場より終り般若(はんにゃ)経に至るまでは序分(じょぶん)なり無量義経・法華経・()(げん)経の十巻は正宗(しょうしゅう)なり涅槃(ねはん)経等は流通(るつう)分なり」と。

  第二には法華一経の三段、第三には迹門熟益(じゅくやく)の三段、第四には本門脱益(だっちゃく)の三段なり。

  第二、第三、第四の分文は(すなわ)ち天台の一経三段、二経六段の分文に同じ。故に今これを略す。

 第五には文底下種の三段。文に云く「又本門に於て(じょ)(しょう)流通(るつう)有り過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経乃至迹門十四品・涅槃経等の一代五十余年の諸経・十方(じっぽう)三世諸仏の微塵(みじん)の経経は皆寿量の序分(じょぶん)なり」と文。

  この中に「(また)本門に於て」とは、文底下種独一の本門なり。また「皆寿量」とは即ちこれ内証の寿量品・文底下種の本因(ほんにん)(みょう)の事なり。当に知るべし、過去の大通仏の法華経、乃至今日一代五十余年の諸経、十方三世の微塵の経々は皆久遠(くおん)下種の妙法を(あらわ)さんが為に(もう)くる所の経々なり。故に彼々(かれがれ)の経々は皆これ文底下種の妙法の序分なり。(しか)れば(すなわ)ち蓮祖大聖は末法に出現して即ち彼の文底下種の妙法を()(せん)す。故に知んぬ、過去の大通乃至今日一代五十余年の経々、十方三世の微塵(みじん)の経々は、皆これ末法弘通(ぐつう)法体(ほったい)・文底下種の妙法の序分なることを云云。重々の相伝云云。

 今、正しく文を分たば、次に所説の教法を()げて以て(せん)(じん)を判ず。また分ちて五段と為す。

  第一内外(ないげ)相対。「此の仏陀()」等の下の文は、即ち一代一経三段の意を用ゆるなり。

 第二(ごん)(じつ)相対。「但し仏教」等の下の文は、即ち法華一経三段の意を用ゆるなり。

 第三(しゅ)(だつ)相対。「但し此の経」等の下の文は、即ち文底下種の三段の意を用ゆるなり。

 第四権迹相対。「此に余愚見」の下の文は、即ち迹門熟益の三段の意を用ゆるなり。

 第五本迹(ほんじゃく)相対。「二には教主釈尊」の下の文は、即ち本門脱益(だっちゃく)の三段の意を用ゆるなり。

一 此の仏陀(ぶつだ)は三十成道(じょうどう)文。

第一内外相対の一代真実の文、分ちて三と()す。初めに標、次に「外典」の下は釈、三に「(しょ)成道」の下は結なり。釈中また二あり。初めに(きょう)(けん)、次に正釈(しょうしゃく)。見るべし云云。

第五段 権実相対して判ず

一 (ただ)し仏教に等

 第二権実相対の法華真実の文、分ちて三と()す。初めに種々の法相(ほっそう)を示し、次に「但し法華」の下は正釈、三に「此の(ことば)」の下は(けっ)(かん)なり。

 つづく


開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-05-12 10:19 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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