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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 05月 11日

仏になりやすき事は別のやう候はず<略>命の絶ゆるに人の施にあふがごとし、と説いた【上野殿御返事】

【上野殿御返事(須達長者御書)】
■出筆時期:弘安三年(西暦1280年)十二月二十七 五十九歳 御作。
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:本抄は、重い年貢に苦しめられ乗る馬も、妻子が着る衣もないという窮状の中、年の瀬に銭一千文を大聖人に供養した上野殿(南条時光)へ与えた書です。大聖人はインドの須達(すだつ)長者が貧しさの故夫婦二人きりになり、五升の米が残されたとき、托鉢(たくはつ)で訪ねてきた迦葉(かしょう)・舎利弗(しゃりほつ)・阿難・羅睺羅(らごら)、釈迦仏の五人に分け与えたことで五天竺第一の長者となった例えを引いて「仏になりやすき事は別のやう候はず<中略>二つとない物を人に与え、命のたゆるに人のせにあふがごとし(それをなくしては自分の命が絶えるときに人に布施すること)」と説いて、時光の強い信仰心を称えておられます。
■ご真筆:現存していない。古写本:日興上人筆(富士大石寺 所蔵)

[上野殿御返事(須達長者御書) 本文]
鵞目一貫文送り給い了んぬ。御心ざしの候へば申し候ぞ、よくふかき御房とおぼしめす事なかれ。
仏にやすやすとなる事の候ぞ、をし(教)へまいらせ候はん。人のものををしふると申すは、車のおもけれども油をぬりてまわり、ふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり。仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃(かんばつ)にかわけるものに水をあたへ、寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし。又二つなき物を人にあたへ、命のたゆるに人のせにあふがごとし。

 金色王(こんじき)と申せし王は其の国に十二年の大旱魃あつて万民飢え死ぬる事かずをしらず、河には死人をはしとし、陸にはがいこつをつかとせり。其の時、金色大王、大菩提心ををこしておほきに施をほどこし給いき。せすべき物みなつきて、蔵の内にただ米五升ばかりのこれり。大王の一日の御くご(供御)なりと臣下申せしかば、大王五升の米をとり出だして一切の飢えたるものに、或は一りう、二りう、或は三りう、四りうなんど、あまねくあたへさせ給いてのち、天に向わせ給いて、朕(われ)は一切衆生のけかちの苦にかはりて、うえじに候ぞと、こえをあげてよばはらせ給いしかば、天きこしめして甘呂(露)の雨を須臾(しゅゆ)に下し給いき、この雨を身にふれ、かをにかかりし人、皆食にあきみちて一国の万民、せちな(刹那)のほどに命よみかへりて候いけり。

 月氏国に須達長者と申せし者は七度貧になり、七度長者となりて候いしが、最後の貧の時は万民皆にげうせ、死にをはりて、ただめおと(夫婦)こ二人にて候いし時、五升の米あり五日のかつてとあて候いし時、迦葉・舎利弗・阿難・羅羅、釈迦仏の五人、次第に入らせ給いて五升の米をこひとらせ給いき。其の日より五天竺第一の長者となりて、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)をばつくりて候ぞ。これをもつて、よろづを心へさせ給へ。

 貴辺は・すでに法華経の行者に似させ給へる事、さるの人に似、もちゐ(餅)の月に似たるがごとし。あつはらのものどもの、かくをしませ給へる事は・承平の将門(まさかど)・天喜の貞当(さだとう)のやうに此の国のものどもはおもひて候ぞ。これひとへに法華経に命をすつるがゆへなり。まつたく主君にそむく人とは天、御覧あらじ。其の上わづかの小郷に、をほくの公事(くうじ)せめあてられて、わが身は・のるべき馬なし、妻子はひきかくべき衣なし。

 かかる身なれども法華経の行者の山中の雪にせめられ食ともしかるらんと、おもひやらせ給いて、ぜに一貫をくらせ給へるは、貧女がめおとこ二人して一つの衣をきたりしを乞食にあたへ、りだ(利吒)が合子(ごうし)の中なりしひえ(稗)を辟支仏(びゃくしぶつ)にあたへたりしがごとし。たうとし、たうとし。くはしくは又又申すべく候、恐恐謹言。

弘安三年十二月二十七日      日 蓮  花 押
上野殿御返事


 

by johsei1129 | 2015-05-11 20:49 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)
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