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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 05月 10日

開目抄愚記 上四 「無因・邪因は乃(すなわ)ち大過を成ず」

一 二には()の玄

 止十・二十に云く「老子(ろうし)虚融、無に約して玄を明かす」と。弘の十・四十三云云。また道春の大学抄に云く「老子の虚無(こむ)とは虚にして無なり。虚無の道は、太極(たいきょく)の前に()り、故に天地も未だ分たず、万物も未だ生ぜざる処に一箇の虚無の道理有りと立つるなり」と云云。

一 三には(やく)()(やく)()文。

 止十・二十に云く「荘子は自然(じねん)なり。有無(うむ)に約して玄を明かす」と云云。弘十・四十三に云く「荘子の内篇は自然(じねん)を本と為す。また有無というは内篇は、()を明かし、外篇は()を明かす」等云云。意に云く、有もこれ一偏なり。無もこれ一偏なり。(ただ)これ自然に有の辺もあり、自然にこれ無の辺もあり。故に自然は有無に及ぶというなり。

一 玄とは(こく)なり

 彼々の(しょ)(りゅう)一分(いちぶん)深奥(じんおう)なり。故に「黒」というなり。

一 (あるい)は元気よりして生じ或は貴賎(きせん)苦楽(くらく)是非(ぜひ)得失(とくしつ)等は皆自然(じねん)

 「元気よりして生じ」とは、これ(じゅ)の有の玄なり。「貴賎乃至自然」とは、(ろう)の無の玄なり。「等」とは、これ(そう)(やく)()(やく)()に等しきなり。(ただ)し「貴賎・苦楽」等の文は(もと)荘子に出でたり。(しか)るに今は老子と()すなり。これ(すなわ)ち老子も自然と計する故なり。華厳玄談八・十に云く「()くの如く荘老(みな)自然と計す」等云云。(いわん)や老子を以て自然(じねん)の体と為し、荘子を附出するなり。今この意に(じゅん)じてこれを(しょう)すべきなり。

  今(たず)ねて云く、(とも)にこれ元気よりして生ず、何を以ての故に人畜等の異ありや。

  答う、儒家(じゅけ)の意に()ればその所以(ゆえん)あり。(いわ)く、元気に於ては差別無しと(いえど)も、人物等に分ち来る時、正通(しょうつう)(へん)(さい)の四等あり。故に(すなわ)ち人畜等の異を分つなり。謂く、天の正通の気を受くれば則ち人間を生じ、天地の形を(まさ)しく受く、円首方足等なり。()し偏((気))を受くれば則ち禽獣(きんじゅう)を生じ、首尾(しゅび)横行(おうこう)するなり。若し塞気を受くれば則ち草木を生じ、頭下足上にするなり。故に同じく元気よりして生ずと雖も、人畜等の不同ある者なり。

  問う、同じく正通の気を受くるに何ぞ人間の中に於て貴賎(きせん)苦楽(くらく)の異ありや。

  答う、これ清濁(せいだく)ある故なり。謂く、同じく正通の気を受くると雖も、清気を受けたるは則ち富貴にして楽なり。若し濁気を受けたるは貧賤にして苦なり。禽獣等もこれに准じて知るべし。

  問う、貴賎(きせん)(おのおの)是非(ぜひ)得失(とくしつ)あり。(いわれ)如何(いかん)

  答う、これ美悪ある故なり。(いわ)く、同じく清気を受け富貴にして楽しむと(いえど)も、()し美気を受くれば(すなわ)()にして(とく)あり。(ぎょう)(しゅん)等の如きはこれなり。若し悪気を受くれば()にして失あり。(けつ)(ちゅう)の如きはこれなり。同じく濁気を受け貧賤にして苦しむと雖も、若し美風を受くれば則ち是にして得あり。(がん)(えん)子思(しし)等の如し。若し悪気を受くれば世の貧賤の盗賊(とうぞく)等の如し。禽獣(きんじゅう)等もこれに准じて知るべし。儒家(じゅけ)の意は大概(おおむね)斯くの如し。今「元気よりして生ず」というは則ちこの意なり。故に()に約して(げん)を明かすというなり。若し道家の意は則ち(しか)らず。貴賎、苦楽、是非、得失(とくしつ)等、皆自然等なり云云。故に()に約して玄を明かすというなり。荘子、知るべし云云。

  問う、此等の謬誤(びゅうご)は如何。

  答う、()三中六十一に云く「此の方の俗典の如く、(ある)いは元気よりして生ずと計するは即ち是れ自を計す。有いは父母よりして生ずと計するは即ち是れ他を計す。有いは元気に()る故に父母に()ると計するは即ち是れ共と計す。有いは自然と計するは即ち是れ無因なり」と云云。

  華厳(けごん)玄談八・十六に云く「太極(たいきょく)の因と()るは即ち是れ邪因なり。陰陽(おんよう)変化(へんげ)して()く万物を生ずと、(また)是れ邪因なり。()し虚無・自然を計せば(すなわ)(また)無因なり。若し万物自然にして生ずと()わば即ち是れ無因なり。(しか)るに無因・邪因は(すなわ)ち大過を成ず。三界の我が心に()ることを知らざるを以て正しく因縁(いんねん)に迷う。故に異計紛然(ふんぜん)たり。(いずく)んぞ因縁性空にして真如(しんにょ)(みょう)()なることを知らんや」等云云取意。

                   つづく


開目抄愚記 上 目次



by johsei1129 | 2015-05-10 20:39 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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