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日蓮大聖人『御書』解説

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2022年 07月 11日

法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り、口に唱ふれば其の口即仏なりと説いた【上野尼御前御返事】

【上野尼御前御返事】
■出筆時期:弘安四年(西暦1281)十一月十五日 六十歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は南條時光の母が、父松野入道殿の命日に際し「子息多ければ孝養まちまちなり。然れども必ず法華経に非ざれば謗法になるのでしょうか」と問われ、それへの返書となっております。大聖人は漢の書家・烏竜(おりょう)とその息子・遺竜の例えを引いて、「此の経(法華経)を持つ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり」と法華経信仰を貫くよう諭されております。烏竜と遺竜の例えとは、烏竜が「法華経を決して書写してはならない」と遺言し、遺竜もこの遺言を固く守ったため、父の烏竜は地獄に落ちる。しかし遺竜の仕えた大王の司馬氏は「せめて法華経の題目を書かずば・違勅(いちょく)の科(とが)あり」と責めたため、やむなく子の遺竜は法華経の題号を書きしるす。この事により、烏竜が落ちていた無間地獄は常寂光の都と成ったという。
 また大聖人は最後に「此の由を、はわきどの(伯耆殿)よみきかせまいらせ給うべし」と記し、日興上人に詳しくお話させますと気を遣われております。
■ご真筆: 京都市本禅寺 断簡所蔵
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[上野尼御前御返事 本文]

 麞牙(しらよね)一駄 四斗定 あらひいも(洗芋)一俵、送り給びて南無妙法蓮華経と唱へまいらせ候い了んぬ。
 妙法蓮華経と申すは蓮(はちす)に譬えられて候。天上には摩訶曼陀羅華(まかまんだらけ)、人間には桜の花、此等はめでたき花なれども此れ等の花をば法華経の譬へには仏取り給う事なし。一切の花の中に取分(とりわ)けて此の花を法華経に譬へさせ給う事は其の故候なり。
 或は前花後菓と申して花は前(さき)に・菓(み)は後(あと)なり。或は前菓後花と申して菓(み)は前(さき)に・花は後(あと)なり。或は一花多菓・或は多花一菓・或は無花有菓と品品(しなじな)に候へども蓮華と申す花は・菓(み)と花と同時なり。
 一切経の功徳は先(さき)に善根を作(な)して後(のち)に仏とは成ると説く。かかる故に不定なり。法華経と申すは手に取れば其の手・やがて仏に成り、口に唱ふれば其の口即ち仏なり。譬えば天月の東の山の端(は)に出ずれば、其の時・即ち水に影の浮かぶが如く、音とひびきとの同時なるが如し。
 故に経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一(ひとり)として成仏せざること無し」云云。文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり。

 抑(そもそも)御消息を見候へば、尼御前の慈父(おんちち)・故(こ)松野六郎左衛門入道殿の忌日と云云。子息多ければ孝養まちまちなり、然れども必ず法華経に非ざれば謗法等云云。
 釈迦仏の金口の説に云く「世尊の法は久しくして後、要(かな)らず当に真実を説きたもうべし」と。多宝の証明に云く「妙法蓮華経は皆是れ真実なり」と。十方の諸仏の誓ひに云く「舌相梵天に至る」云云。

 これより・ひつじさる(未申)の方に大海をわたりて国あり、漢土と名く。彼の国には或は仏を信じて神を用いぬ人もあり、或は神を信じて仏を用いぬ人もあり、或は日本国も始めはさこそ候いしか。
 然るに彼の国に烏竜(おりょう)と申す手書(てかき)ありき、漢土第一の手なり。例せば日本国の道風(どうふう)・行成(こうぜい)等の如し。此の人・仏法をい(忌)みて経をかかじと申す願を立てたり。此の人死期来りて重病をうけ、臨終にをよんで子に遺言して云く、汝は我が子なり、その跡絶(あとたえ)ずして又我よりも勝れたる手跡なり。たとひいかなる悪縁ありとも法華経をかくべからずと云云。然して後、五根より血の出ずる事、泉(いずみ)の涌くが如し。舌八つにさけ・身くだけて十方にわか(分)れぬ。然れども一類の人人も三悪道を知らざれば・地獄に堕つる先相ともしらず。
 其の子をば遺竜(いりょう)と申す、又漢土第一の手跡なり。親の跡を追うて法華経を書かじと云う願を立てたり。其の時・大王おはします、司馬氏と名く。仏法を信じ・殊に法華経をあふぎ給いしが、同じくは我が国の中に手跡第一の者に此の経を書かせて持経とせんとて遺竜を召す。竜申さく、父の遺言あり是れ計りは免(ゆる)し給へと云云。
 大王・父の遺言と申す故に他の手跡を召して一経をうつし畢んぬ。然りといへ共・御心(みこころ)に叶い給はざりしかば又遺竜を召して言はく、汝・親の遺言と申せば朕(われ)ま(枉)げて経を写させず。但八巻の題目計りを勅に随うべしと云云。
 返す返す辞し申すに・王瞋(いか)りて云く、汝が父と云うも我が臣なり、親の不孝を恐れて題目を書かずば違勅の科(とが)ありと勅定(ちょくじょう)度度(たびたび)重かりしかば、不孝はさる事なれども・当座の責をのが(免)れ・がたかりしかば、法華経の外題を書きて王へ上(ささ)げ、宅に帰りて父のはか(墓)に向いて血の涙を流して申す様は、天子の責め重きによつて・亡き父の遺言をたがへて既に法華経の外題を書きぬ。不孝の責め免れがたしと歎きて三日の間・墓を離れず食を断ち・既に命に及ぶ。三日と申す寅(とら)の時に已に絶死し畢(おわ)つて夢の如し。虚空を見れば天人一人おはします。帝釈を絵(え)にかきたるが如し。無量の眷属、天地に充満せり。
 爰(ここ)に竜・問うて云く、何(いか)なる人ぞ。
 答えて云く、汝知らずや、我は是れ父の烏竜(おりょう)なり。我・人間にありし時・外典を執し・仏法をかたきとし、殊に法華経に敵をなしまいらせし故に無間に堕つ。日日に舌をぬかるる事・数百度、或は死し・或は生き・天に仰ぎ・地に伏してなげけども叶う事なし。人間へ告げんと思へども便りなし。汝・我が子として遺言なりと申せしかば、其の言(ことば)炎と成つて身を責め、剣と成つて天より雨(ふ)り下(くだ)る。
 汝が不孝極り無かりしかども・我が遺言を違へざりし故に自業自得果うらみがたかりし所に、金色の仏一体・無間地獄に出現して、仮使(たとい)法界に遍せる断善の諸の衆生・一たび法華経を聞かば決定(けつじょう)して菩提を成ぜんと云云。此の仏・無間地獄に入り給いしかば、大水を大火になげたるが如し。少し苦しみ・や(止)みぬる処に、我合掌して仏に問い奉りて・何(いか)なる仏ぞと申せば、仏・答えて我は是れ汝が子息・遺竜(いりょう)が只今書くところの法華経の題目、六十四字の内の妙の一字なりと言(のたも)ふ。八巻の題目は八八六十四の仏、六十四の満月と成り給へば無間地獄の大闇即大明となりし上、無間地獄は当位即妙・不改本位と申して常寂光の都と成りぬ。我及び罪人とは皆蓮(はちす)の上の仏と成りて只今都率の内院へ上り参り候が、先ず汝に告ぐるなりと云云。
 遺竜が云く、我が手にて書きけり、争(いか)でか君たすかり給うべき。而も我が心よりかくに非ず・いかに・いかにと申せば、父答えて云く、汝はかなし。汝が手は我が手なり、汝が身は我が身なり、汝が書きし字は我が書きし字なり。汝・心に信ぜざれども手に書く故に既にたすかりぬ。譬えば小児の火を放つに・心にあらざれども物を焼くが如し。法華経も亦かくの如し。存外に信を成せば必ず仏になる。又其の義を知りて謗ずる事無かれ。但し在家の事なればいひしこと故(ことさら)大罪なれども懺悔(さんげ)しやすしと云云。
 此の事を大王に申す。大王の言く、我が願・既にしるし有りとて遺竜・弥(いよいよ)朝恩を蒙(こうむ)り、国又こぞつて此の御経を仰ぎ奉る。

 然るに故(こ)五郎殿と入道殿とは尼御前の父なり子なり。尼御前は彼の入道殿のむすめなり。今こそ入道殿は都率(とそつ)の内院へ参り給うらめ。此の由をはわき(伯耆)どの・よみきかせ・まいらせ給うべし。事そうそう(怱怱)にてくはしく申さず候。恐恐謹言

 十一月十五日          日 蓮 花押

 上野尼御前御返事




by johsei1129 | 2022-07-11 16:28 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)


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