人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2019年 11月 27日

竜の口、佐渡流罪の大難で四条金吾が日蓮大聖人へ示した至誠を称えた書【殿 岡書】

【四条金吾殿御返事(殿岡書)】
■出筆時期:弘安三年 西暦1280)十月八日 五十九歳御作 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は四条金吾が、主君江間氏の御勘気が解け、返還された領地「信州殿岡(現、長野県飯田市)」から、白米を御供養されたことに対しての返書となっております。大聖人は、竜の口法難の時、馬の口に付いて最後までお供をし、事があれば自身も後を追う覚悟を決めた金吾の至誠を「いつの世にか思ひ忘るべき」と述べられるとともに、「在俗の官仕隙なき身」でありながら佐渡まで会いに来た金吾は「無始の罪障も、定めて今生一生に消滅すべきか」と称えられております。
■ご真筆: 現存していない。

[四条金吾殿御返事 別名「殿岡書」本文]

殿岡より米送り給び候。今年七月、盂蘭盆(うらぼん)供の僧膳にして候。自恣(じし)の僧・霊山の聴衆・仏陀・神明も納受随喜し給うらん。尽きせぬ志、連連の御訪い言を以て尽くしがたし。

 何となくとも殿の事は後生菩提疑なし。何事よりも文永八年の御勘気の時、既に相模の国、竜の口にて頚(くび)切られんとせし時にも殿は馬の口に付いて足歩赤足(かちはだし)にて泣き悲み給いし事(こと)実にならば腹きらんとの気色なりしをば、いつの世にか思い忘るべき。それのみならず佐渡の島に放たれ北海の雪の下(もと)に埋もれ北山の嶺(みね)の山下風(やまおろし)に命助かるべしともをぼへず。年来(としごろ)の同朋にも捨てられ故郷(ふるさと)へ帰らん事は大海の底のちびき(千引)の石の思ひして、さすがに凡夫なれば古郷の人人も恋しきに在俗の官仕隙(みやづかえ・ひま)なき身に、此の経を信ずる事こそ稀有(けう)なるに、山河を凌ぎ蒼海(そうかい)を経て遥に尋ね来り給いし志、香城に骨を砕き雪嶺に身を投げし人人にも争(いか)でか劣り給うべき。又我が身はこれ程に浮び難かりしが、いかなりける事にてや同十一年の春の比(ころ)、赦免せられて鎌倉に帰り上りけむ。倩(つらつら)事の情(こころ)を案ずるに今は我身に過(あやまち)あらじ、或は命に及ばんとし弘長には伊豆の国、文永には佐渡の島、諌暁(かんぎょう)再三に及べば留難重畳(るなんちょうじょう)せり。

 仏法中怨の誡責をも身にははや免れぬらん。然るに今山林に世を遁(のが)れ道を進まんと思いしに人人の語(ことば)・様様(さまざま)なりしかども、旁(かたがた)存ずる旨ありしに依りて、当国・当山に入りて已に七年の春秋を送る。

又身の智分をば且らく置きぬ、法華経の方人(かたうど)として難を忍び疵(きず)を蒙る事は漢土の天台大師にも越え日域の伝教大師にも勝れたり。是は時の然らしむる故なり。我が身法華経の行者ならば、霊山の教主・釈迦・宝浄世界の多宝如来・十方分身の諸仏・本化の大士・迹化の大菩薩・梵・釈・竜神・十羅刹女も定めて此の砌(みぎり)におはしますらん。

水あれば魚すむ、林あれば鳥来る、蓬莱(ほうらい)山には玉多く、摩黎(まり)山には栴檀生ず、麗水(れいすい)の山には金あり。今此の所も此くの如し、仏菩薩の住み給う功徳聚(くどくじゅ)の砌(みぎり)なり。多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は、虚空(こくう)にも余りぬべし。然るを毎年度度の御参詣には無始の罪障も、定めて今生一生に消滅すべきか。弥(いよいよ)はげむべし・はげむべし。

十月八日  日 蓮 花押
四条中務三郎左衛門殿御返事

by johsei1129 | 2019-11-27 21:22 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://nichirengs.exblog.jp/tb/23973025
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<<  父母に御孝養の意あらん人人は...      今本門の即身成仏は当位即妙本有... >>