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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 24日

仏のいみじきと申すは過去を勘へ未来をしり、三世を知しめすに過ぎて候御智慧はなしと説いた【蒙古使御書】

【蒙古使御書】
■出筆時期:建治元年(西暦1275)九月 五十四歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は、日興上人の母方の関係筋と思われる駿河国富士郡に住む西山入道に与えられた書です。西山入道は幕府の仕事で鎌倉に出向き、その際に知った「蒙古国の使者を幕府が竜の口で斬首された」事を手紙で大聖人に知らせます。
 本書はこの手紙への返書となっております。大聖人はこの件について「害の中の極めて重きは国位を失うに過ぎたること無し」と説き、鎌倉幕府の所業を「我が国を他国に破らるる」悪政であると断じておられます。さらに「仏のいみじきと申すは過去を勘へ未来をしり、三世を知しめすに過ぎて候・御智慧はなし」と記し、立正安国論で「他国侵逼難」を予言した末法の本仏としての内証を示しておられます。 
■ご真筆: 現存しておりません。

[蒙古使御書 本文]

 鎌倉より事故なく御下りの由・承(うけたまわ)り候いてうれしさ申す計りなし。又蒙古の人の頚(くび)を刎ねられ候事・承り候。日本国の敵にて候念仏・真言・禅・律等の法師は切られずして・科(とが)なき蒙古の使ひの頚を刎ねられ候ける事こそ不便(ふびん)に候へ。子細を知ざる人は勘へあてて候を・おご(憍)りて云うと思ふべし。

 
此の二十余年の間、私には昼夜に弟子等に歎き申し、公には度度申せし事是なり。一切の大事の中に国の亡びるが第一の大事にて候なり。
 最勝王経に云く「害の中の極めて重きは国位を失うに過ぎたること無し」等云云。
 文の心は一切の悪の中に国王と成りて政(まつりごと)悪くして・我が国を他国に破らるるが第一の悪(あしき)にて候と説れて候。又金光明経に云く「悪人を愛敬(あいぎょう)し善人を治罰するによるが故に乃至他方の怨賊来たりて国人喪乱に遇う」等云云。文の心は国王と成りて悪人を愛し善人を科(とが)にあつれば、必ず其の国・他国に破らるると云う文なり。

 法華経第五に云く「世に恭敬(くぎょう)せらるるを為(う)ること・六通の羅漢の如くならん」等云云。文の心は法華経の敵の相貌(そうみょう)を説きて候に、二百五十戒を堅く持ち、迦葉・舎利弗の如くなる人を・国主これを尊みて法華経の行者を失なはむとするなりと説かれて候ぞ。

 夫れ大事の法門と申すは別に候はず。時に当(あたり)て我が為め・国の為め、大事なる事を少しも勘へ・たがへざるが智者にては候なり。仏のいみじきと申すは過去を勘へ・未来をしり・三世を知(しろ)しめすに過ぎて候・御智慧はなし。設い仏にあらねども竜樹・天親・天台・伝教なんど申せし聖人・賢人等は、仏程こそ・なかりしかども・三世の事を粗知しめされて候しかば・名をも未来まで流されて候き。

 所詮、万法は己心に収まりて一塵もか(闕)けず、九山・八海も我が身に備わりて、日月・衆星も己心にあり。然りといへども盲目の者の鏡に影を浮べるに見えず、嬰児(みどりご)の水火を怖れざるが如し。外典の外道・内典の小乗・権大乗等は、皆己心の法を片端(かたはし)片端説きて候なり。然りといへども法華経の如く説かず。然れば経経に勝劣あり、人人にも聖賢分れて候ぞ。法門多多なれば止め候い畢んぬ。

 鎌倉より御下(くだ)りそうそうの御隙(おんひま)に使者・申す計りなし。其の上種種の物送り給(たび)候事・悦び入つて候。日本は皆人の歎き候に、日蓮が一類こそ歎きの中に悦び候へ。国に候へば蒙古の責めはよも脱れ候はじなれども、国のために責められ候いし事は天も知(しろ)しめして候へば、後生は必ずたすかりなんと悦び候に、御辺こそ今生に蒙古国の恩を蒙らせ給いて候へ。此の事起らずば最明寺殿の十三年に当らせ給いては御かりは所領にては申す計りなし。北条六郎殿のやうに筑紫にや御坐(おわし)なん。是は各各の御心のさから(忤逆)せ給うて候なり。人の科をあて(当)るにはあらず。
 又一には法華経の御故にたすからせ給いて候いぬるか。ゆゆしき御僻事(ひがごと)なり。是程の御悦びまいりても・悦びまいらせ度く候へども、人聞(ひとぎぎ)つつ(包兼)ましく候いてとどめ候い畢んぬ。

 乃 時(ないじ)    日 蓮  花 押

 西山殿御返事




by johsei1129 | 2019-10-24 22:13 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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