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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 04月 11日

立正安国論愚記 二五

一 擁護(おうご)すること()くの如く等

  この下に「持法比丘」の四字あり。南北(とも)(しか)なり。語式は不可なり。

一 刀杖を持すと(いえど)(まさ)(いのち)(だん)ずべからず

問う、(せん)()有徳(うとく)は謗者の命を断ず。今何ぞ「応に命を断ずべからず」というや。

答う、辰抄に云く「国王等の折伏には謗者の命を断じ、比丘の折伏には応に命を断ずべからざるが故なり」と云云。今、比丘に約することは所含(しょがん)の意を点示するか。()し現文に(じゅん)ぜば、また在家に約するなり。(しか)れば釈尊の前後を以て相違の難を()すべきなり。下の文の如し云云。

一 (たと)()(ぎゃく)()(ゆる)すとも謗法の()を許さず

(すで)に謗法の人を供養することを許さず、何ぞ謗法の人の供養を受けんや。

金吾抄十七・四十五に云く「(ただ)し法華経の御かたきをば大慈大悲の菩薩も供養すれば必ず無間(むけん)地獄に()つ、五逆の罪人も彼を(あだ)とすれば必ず人天に生を受く文。即ち今文の意に同じきなり。

教機時国抄二十六・三もまた今文に同じ。

乗明抄三十八・二十五に云く「劣る仏を供養する(なお)九十一劫に金色の身と()りぬ、勝れたる経を供養する施主・一生に仏位に入らざらんや、(ただ)真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし、(たと)えば修羅(しゅら)(そう)(じゅう)しながら帝釈(たいしゃく)帰敬(ききょう)するが如きのみ」文。これ謗法の供養を受けざるの明文なり。啓蒙(けいもう)三十六・三十五の如し。

御義口伝下十三に云く「謗法の供養を受けざるは貪欲(とんよく)の病を除くなり」云云。

二十六箇に云く「謗法の供養を()く可からざる事」云云。

一 (しか)るに謗法の(やから)正道(しょうどう)を忘るるの人

()くの如く点ずべし。この二句は、諸宗は元来謗者にして正道を忘れたるの人なることを明かすなり。その上、選択(せんちゃく)に依って(いよいよ)()(もう)を増す、故に「(あまつさ)え」というなり。(ただ)し註の中に「無上正真の道人」といえるは、(なお)人の字を以て所忘に属す、(おそ)らくは(おだ)やかならざるか。

一 (あお)ぐ所は(すなわ)ち其の家風
家風とは浄家の宗風なり。

一 (ゆう)(げん)(かたぎ)
印板の初め。随筆七・二十。

一 釈迦の手の指を切りて

善光寺の如来も(もと)善光(よしみつ)所持の難波(なにわ)の堀江の釈尊なり。而して中古より弥陀(みだ)と称するなり。此等もその例なり。また京の誓願寺(せいがんじ)も本は釈迦なり。而して阿難(あなん)迦葉(かしょう)を以て脇士(きょうじ)と為す。(のち)に釈迦を弥陀に()う。その時の狂歌に云く「釈迦不祥(ふしょう)、阿弥陀に家を取られぬる、アナン笑止(おかし)や何とカセウぞ」と読みて立てたりと云云。また相模(さがみ)国の大盛入道、良観房の教化に依って釈迦の指を切り、弥陀の印と成すなり。また地蔵の頭にて(たで)()る等の風情(ふぜい)もこの例なり。また十五日は弥陀の命日と云云。また諸神は弥陀の垂迹(すいじゃく)なりと云云。此等は皆釈迦を以て弥陀に代うるの例なり。

           つづく

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by johsei1129 | 2015-04-11 20:20 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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