【異体同心事】
■出筆時期:弘安二年(1279)八月 五十八歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は駿河国富士郡上野郷の地頭、南条時光に宛てられたご消息文です。本書がしたためられた弘安二年には、日興上人と時光の教化により駿河国富士郡の布教が進んだが、それに伴い既存宗派との軋轢が生じた。四月八日に熱原郷の信徒・四郎男が何者かに斬りつけられ、八月には弥四郎がこれも何者かにいきなり斬首されるという悲惨な事件が起きる。さらに九月には熱原の法華信徒二十名が、天台宗・滝泉寺の院主代行智と鎌倉幕府の最高実力者平頼綱の謀略により捕縛されるという、いわゆる「熱原の法難」が勃発する。日蓮門下の農民信徒にまで弾圧が及ぶという、最大の法難に立ち向かったのが日興上人と在家の強信徒・南条時光であった。大聖人は時光に「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども、大事を成じて一定(いちじょう)法華経ひろまりなんと覚へ候」と励ますとともに「今度はいかにもすぐれて御心ざし見えさせ給うよし人人も申し候。又かれらも申し候」と、時光の厚い法華信徒外護(げご)の姿勢を讃えられている。
■ご真筆: 現存していない。
[異体同心事 本文]
白小袖一つ、あつわた(厚綿)の小袖、はわき(伯耆)房のびんぎ(便宜)に鵞目一貫並びにうけ給わる。
はわき房・さど房等の事、あつわらの者どもの御心ざし、異体同心なれば万事を成(じょう)し、同体異心なれば諸事叶う事なしと申す事は、外典三千余巻に定まりて候。
殷の紂王は七十万騎なれども・同体異心なればいくさにまけぬ。周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成(じょう)ずる事なし。百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。
日本国の人人は多人なれども、体同異心なれば諸事成ぜん事かたし。
日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども、大事を成じて一定(いちじょう)法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ。此の一門も又かくのごとし。
其の上貴辺は多年としつもりて奉公・法華経にあつ(厚)くをはする上、今度はいかにもすぐれて御心ざし見えさせ給うよし、人人も申し候、又かれらも申し候。一一に承りて日天にも大神にも申し上げて候ぞ。