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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 04月 02日

熱原の法難が勃発した直後に認められ、事に当たり奮闘する日興上人等を御指南なされた【伯耆殿等御返事 】

【伯耆殿等御返事 】
■出筆時期:弘安二年(西暦1279)十月十二日  五十八歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:弘安二年九月二十一日、神四郎、弥五郎、弥六郎始めとする20人の駿河・熱原の農民信徒が捕らえられ鎌倉に移送されるという「熱原」の法難が勃発する。大聖人は直ちに事にあたっていた日興上人を中心とする弟子信徒に対し、幕府問注所への対応方法その他について具体的に御指南された書と思われます。
■ご真筆:存在しない。古写本:日興上人筆(北山本門寺所蔵)

【伯耆殿等御返事 本文】
 大体此の趣を以て書き上ぐ可きか、 但し熱原の百姓等安堵せしめば日秀等別に問注有る可からざるか、
大進房・弥藤次入道等の狼藉の事に至つては 源は行智の勧めに依りて殺害刄傷する所なり。
 
 若し又起請文に及ぶ可き云云の事之を申さば全く書く可からず、 其の故は人に殺害刄傷せられたる上、重ねて起請文を書き失を守るは
古今未曾有の沙汰なり、 其の上行智の所行・書かしむる如くならば身を容るる処なく行う可きの罪・方無きか、穴賢穴賢。
 此の旨を存じ問注の時・強強と之を申さば定めて上聞に及ぶ可きか、 又行智・証人立て申さば彼等の人人
行智と同意して百姓等が田畠数十苅り取る由・之を申せ、若し又証文を出さば謀書の由之を申せ、 事事証人の起請文を用ゆべからず、
但し現証の殺害刄傷而已、若し其の義に背く者は日蓮の門家に非ず日蓮の門家に非ず候、恐恐。

  弘安二年十月十二日                日 蓮 在 御 判
伯 耆 殿
日 秀
日 弁 等 下す


    



by johsei1129 | 2015-04-02 22:19 | 日興上人 | Trackback | Comments(0)
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